流暢に中国語を話す、ユミこと、岡元友実子さん。驚くことに彼女は全くの日本人で、さらには動物園の研究員でもあります。20代のユミさんは東京の上野動物園の元研究員。さらに各国の動物園で働いた豊富な経験も持っている彼女が今回、台湾にやってきたのは、台湾北部の新竹市立動物園の再生プロジェクトに加わるためです。新竹市立動物園の再生プロジェクトでは、動物の展示スペースに、それぞれの動物が生息する自然環境に基づいて異なる特色をもたせます。共通する点は、動物はもう檻の中に閉じ込められないこと。こうした理念がユミさんの心を打ったのです。
※ ※ ※ ※ ※ ※
流暢に中国語を話す、「ユミ」と呼ばれる女性。驚くことに彼女は全くの日本人で、さらには動物園の研究員でもあります。
ユミさんは、「小さいときから上野動物園などの、動物園のそばにすんでいた。だからよく動物園に行った。母によると、小さいときから一つの動物を1時間でも2時間でも眺めていたそうだ。ホッキョクグマなどを。だから生まれつき動物が大好きだったようだ」と話しています。
まだ20代のユミさんは東京の上野動物園の元研究員。さらに各国の動物園で働いた豊富な経験も持っている彼女が今回、台湾にやってきたのは、台湾北部の新竹市立動物園の再生プロジェクトに加わるためです。
新竹市立動物園の楊家民・園長は、「新竹市立動物園にとって80年来最大規模の改造計画だ。全ての展示スペースを全面的に作り直す。その重点は、飼育される動物たちによりよい生活環境を提供することだ」と話しています。
新竹市立動物園の再生プロジェクトでは、動物の展示スペースに、それぞれの動物が生息する自然環境に基づいて異なる特色をもたせます。共通する点は、動物はもう檻の中に閉じ込められないこと。こうした理念がユミさんの心を打ったのです。
ユミさんは、「どこの動物園にも当然それぞれ考えがあるが、最近の世界の趨勢は、出来る限り檻に入れないことだ。だから新竹市立動物園のプロジェクトは先進的なケースで、このプロジェクトはすばらしいと思う」と話しています。
ユミさんはこの感動を行動へと転換。1年前、新竹市の市長に手紙で自らを売り込み、新竹市立動物園で働きたいという意思と誠意を伝えたのです。
ユミさんは、「2年前に新竹市の市長さんが上野動物園にやってきた。その時自分は通訳を務め、それで新竹市、新竹市立動物園について知った。それからこのプロジェクトを知り、チャンスがあれば台湾で一緒に働きたいと思った。それで手紙を書いた。でも、eメールでは誠意が伝わらないのでは、手書きの手紙の方が自分が本気だという誠意が伝わるのではと思った」と話します。
楊・園長は、「市長から手紙の事でどう思うか聞かれたので、すごくいいんじゃないかと賛成した。やってきた当初、彼女はとても慎重だったけど、すぐにみんなに溶け込んだ。彼女にとってもとても楽しい労働環境だろう。だから今ではよく、彼女が事務所の中で大きな声で笑っているのを耳にする」と話しています。
ユミさんは新竹市立動物園にとって最初の外国人スタッフとなったわけですが、新竹市立動物園と日本の間には実は歴史的な縁があります。
楊・園長は、「新竹市立動物園は日本占領時代の1936年に出来た。日本人はここに公園を作り、遊園地も作った。その遊園地の中で、それから動物も飼い始め、だんだん増えたようだ。今の動物園の中にも、日本人による痕跡がある。例えば今見えるとても歴史のあるゾウのデザインのゲート。日本人が作ったものでとても美しい建造物だ。それに噴水のある池。そしてこの後ろにある日本の灯篭などだ」と説明しました。
日本占領時代の建物だけではありません。その後日本在住の華僑が数多くの動物を買って日本から新竹市立動物園に寄贈し、動物園の安定した発展を助けました。そして今、歴史的な再生プロジェクトが進められる中、動物を熱愛する日本人女性、ユミさんの加入という新たな縁が生まれたことで、スタッフたちのやる気と信念はさらに強まっています。
ユミさんは、「台湾には日本に占領された時代があることは当然知っていたが、その痕跡を直接見られることに驚いた。また、この動物園は日本と深い関係がある。そこに自分が来て働けることは不思議な気がするし、とても縁があるんだと感じる。自分はこの動物園で働くか、あるいは野生動物をあつかう仕事を一生していたい」と話しました。
楊・園長は、「ずっと、神様が手配してくれたような、運命的なものを感じている。ここから、全世界、そして日本とより多くの絆を築き、新竹市立動物園のこうした歴史をずっと伝えていきたいと願っている」と語りました。
(編集:上野重樹)