84年前、台湾にいた日本人教師、山岡栄氏が、台湾の児童を救うため、川に飛び込み、自らの命を落とした。台湾中部・台中市の新社高校などの機関は10日、記念セレモニーを催し、山岡先生を偲んだ。山岡先生の孫娘、駄場美恵子氏もわざわざ日本から参加に訪れた。
日本統治時代の昭和5年(1930年)1月、山岡先生は、台湾中部、東勢農林学校(現・台中市新社高校)に単身赴任した。同年5月9日、新社公学校(現在の新社国民小学校の前身)は、豪雨のため、放課時間を早めた。7人の児童は保護者に連れられて徒歩で帰る途中、突然川が氾濫、竹で作られた橋が流された。この9人が川の中州に取り残されてしまった。山岡先生は現場にかけつけ、川に飛び込み、こどもたちを救おうと試みたが、激流に呑まれて頭部を石に強打、妻、小さい子供二人、およびまだ生まれていない赤ちゃん一人を残して、殉職した。享年29歳だった。
後にその9人が救助されたが、山岡先生は貴い命を失った。現地の人たちは山岡先生のために記念碑を建立した。台中市は、この記念碑を歴史的建造物に指定している。当時、先生が自分を犠牲にして救おうとしたこどもたちの子孫は、いまだに、山岡先生の命日になると、記念碑に花束を飾り、先生の死を悼んでいる。
10日、新社高校、台中市台日文化経済交流協会、台日本交流聯誼会などの団体と山岡先生の遺族が記念碑の前で記念式典を催して山岡先生の義挙を偲び、記念碑の脇に植樹して、84年間変わらぬ感謝の念を伝えた。日本から記念式典に参加した孫娘の駄馬恵美子さんは、祖父の自己犠牲の精神は理解できるが、それでもやはり、家族の悲しみは深かった、と振り返っている。