日本統治時代に台湾の水利事業で大きな貢献をした、故・八田與一氏の追悼式が今年も行われた。日本の石川県出身の八田氏は1910年に東京帝国大学を卒業すると台湾総督府の土木技師となり、烏山頭ダムを建設、水路を張り巡らせて、嘉南大圳と呼ばれる広大な灌漑施設を作り、台湾中南部の嘉義県から南部の台南市にかけての一帯を穀倉地帯に変えた。
嘉南農田水利会は八田氏の命日である5月8日に、毎年、烏山頭ダムで八田氏の追悼会を行っている。8日午後に行われた追悼会には総統府の楊進添・秘書長、台南市の頼清徳・市長、嘉義県の張花冠・県長、日本の対台湾窓口機関・交流協会台北事務所の樽井澄夫代表、そして八田氏の遺族など、台湾と日本から約400人が参列した。
楊・総統府秘書長は、「八田氏は24歳から56歳という人生でもっとも輝かしい時間を台湾に捧げ、多くのインフラ建設を成し遂げた。10年を費やした烏山頭ダムと嘉南大圳は、地元の農業の生産額をそれまでの3倍に増やすなど、台湾の経済成長に大きな貢献をした」と称えた。
八田氏の孫に当たる八田修一さんは、当初の想定では烏山頭ダムの寿命は50年だったが、すでに84年間使われていると喜ぶと共に、近年、台湾が八田與一氏の記念パークを作り、八田氏が戦死した後で烏山頭ダムで投身自殺した八田氏の妻、外代樹さんの銅像も建てるなどしていることに感謝、烏山頭ダムが日本と台湾の交流のための重要なプラットフォームになるようにと願った。