「日本が間に合わなかった記録、そして、台湾が忘れた記録」…第二次世界大戦後、台湾に在住していた40万人あまりの日本人が日本へ送還されたが、そのうちのおよそ半数は、台湾で生まれた日本人、いわゆる「湾生」と呼ばれる人たちだ。
台湾と日本の血を引く作家、田中実加(台湾名:陳宣儒)さんは、12年の歳月をかけて200名の「湾生」のルーツを追い続けてきた。18日、その経緯を描いた書籍「湾生回家(湾生の帰郷という意味)」の発表会が花蓮市内の門諾醫院で行われ、同日夜には、花蓮文創園區で、同名のドキュメンタリー映像作品も初公開され、多くの人たちが、涙ながらに映像を鑑賞し、湾生の物語に聞き入った。
ドキュメンタリー作品は、4年前、田中さんが花蓮で自己の人生を探す湾生をサポートした経過を記録したもの。田中さんは、1910年、日本からの大量の移民がはじめて台湾に移植し、日本人村「吉野村」を建設したが、それが現在の花蓮県吉安郷に当たる。その縁から、花蓮を、台湾各地で巡回上映会を予定しているドキュメンタリー作品の初公開場所に選んだと説明。生前、田中さんの家で働いていたお手伝いさん夫婦も湾生で、二人の台湾でのルーツを探すことを約束していた田中さんは、画家としての仕事以外にも、自宅を売り払ってドキュメンタリー作製のための資金づくりをしてきたという。
10数年来、田中さんは142名の湾生の出生記録を入手してきた。田中さんは、湾生たちの感動は、やっと自分が生まれた証明を探し当てたことから来るものであり、この感動が、田中さんを励ます原動力でもあると語っている。
会場には、ドキュメンタリーの主人公のひとりである松本洽盛さんも日本から駆けつけた。松本さんは、水牛とよく遊んだ花蓮での少年時代をなつかしく思い出す、名前に使われている「洽」という字は、台湾のお坊さんがつけてくれた字で、台湾でこの文字を名前に使っている人と出会うと親しみを覚えるといい、しみじみと、台湾にはもう20回以上戻ってきているがやっぱり台湾はいいところだと語った。