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恩地孝四郎の版画2点、70年ぶり台湾に里帰り

  • 04 June, 2025
  • 本村 大資
恩地孝四郎の版画2点、70年ぶり台湾に里帰り
日本の創作版画の先駆者、恩地孝四郎の版画作品2点が3日、北部・新北市三峡の美術館「李梅樹紀念館」に寄贈され、所有者で日本の兵庫県に住峡む伊東進さん、優里さん兄妹が立ち会った(写真:本村大資)

日本の創作版画の先駆者、恩地孝四郎が日本統治時代の台湾を旅して制作した版画「台南孔子廟側門」と「台北東門」2点が6月3日、北部・新北市三峡の李梅樹紀年館に寄贈された。恩地孝四郎の没後70年の命日にあたるこの日、作品の所有者で台湾生まれの「湾生」である、伊東進さんが妹の優里さん(ともに兵庫県明石市在住)と同館を訪れ、正式に作品を寄贈した。

作品は当初、李梅樹紀念館で現在開催中の特別展で、台湾と日本で活躍した「湾生」の画家、立石鐵臣と仲間の画家たちを紹介する展覧会、「2025梅樹月 風土的花蕊──獻給臺灣的情書」のために貸し出されたものだったが、伊東さんはその後、2点の作品はいわば故郷でもある台湾に戻すべきだと考え、寄贈することに決めたという。

伊東さんは恩地孝四郎の姉の孫にあたる。この2点の作品は戦前、台湾に住んでいた姉を訪ねた孝四郎が各地を旅した際に撮りためた写真やスケッチをもとに制作。その後、姉の加壽惠さんから伊東家に受け継がれていたものの、第二次世界大戦後の引き揚げ時は日本に持ち帰ることができず、1950年代初頭まで台湾の知人が保管していたという。

その後は再び伊東家で保管されていた作品が今回、およそ70年ぶりに台湾に里帰りすることになり、伊東さんは「2点の版画が返るべき場所に返ったことで、ほっとした」と安心した笑顔を見せた。

作品を寄贈された李梅樹紀念館の李景光・館長は、作品が台湾に留まることになり、今後も台湾で多くの人に見てもらえる機会ができたことは、作品にとっても台湾の人たちにとっても非常に意義のあることだと感謝を示し、紀念館からは記念品として李・館長の父であり、「台湾近代美術の巨匠」として知られる李梅樹の作品が伊東さんに贈られた。

李梅樹紀念館の特別展は6月8日まで、この機会に恩地孝四郎が台湾で目にした風景を通して、当時の台湾に思いを馳せてみませんか。


二点の版画、「台南孔子廟側門」と「台北東門」

今回寄贈された恩地孝四郎の版画は「台南孔子廟側門」と「台北東門」の2点。資料によると「台南孔子廟側門」は1936年、「台北東門」は1938年に制作されている。いずれもおよそ90年前に制作された作品ながら、とても色鮮やかに当時の台湾の風景を映し出している。また「台北東門」については今回の特別展での展示にあたり、実は東門ではなく当時の大南門だったということが新たに判明した。


時を越えて旅する作品の背景

前述の通り、二点の作品は台湾、日本、ふたたび台湾と、長い時をかけて旅をしているが、この軌跡の中で触れておきたいのが、伊東家の日本への引き揚げ後に作品を保管していた台湾人の顔滄波氏だ。

顔滄波氏は伊東さん兄妹の叔父にあたる石崎和彦氏の同僚で、旧台北帝国大学および戦後の国立台湾大学で地質学を研究していた台湾の著名な地質学者である。伊東さんによると、顔氏が伊東家が去ったあとに大学の官舎となった家屋、そして今回の版画を含め家族が台湾に残した物品を管理してくれていたという。

さらに、顔氏は自身が国立台湾大学を離れる1950年代前半に、その家に保管されていた恩地孝四郎の版画などの品々を、日本の伊東家に送り届けた。

その荷物が届いた当時、進さんはまだ幼かったため、家族の様子などはあまり記憶にないが、中の手紙に顔氏の夫人である淡月さんの名前が書かれていたのを鮮明に覚えていると話してくれた。

伊東さんは、「顔滄波先生とご家族が、思い出のある品々を大切に保管してくれたことに対して、感謝しかない」と顔氏とその家族への思いを述べた。

残念ながら顔滄波氏夫妻は既にこの世を去っているが、最近になって家族がアメリカにいることがわかったとのことで、機会があれば直接、思いを伝えたいと期待を寄せた。


恩地孝四郎と李梅樹の知られざる縁

ここでもうひとつ、恩地孝四郎と李梅樹の知られざる縁について触れてみたい。

李梅樹紀念館で伊東さん兄妹を取材している際、同席していた李景光・館長が恩地孝四郎と李梅樹にも繋がりがあると述べ、李梅樹が生前、再建のために尽力した三峡祖師廟について説明してくれた。

新北市三峡にある道教の廟、祖師廟はこれまで三度、再建されているが、第二次大戦後の1947年から行われた3度目の再建に人生をかけたのが、三峡出身の李梅樹である。

李・館長は、1947年に始まった祖師廟の再建には、終戦まで台北の圓山にあった台湾神宮の鳥居などの建材が使用されていると説明。李・館長によると、戦後、台湾神宮が取り壊された際に不要となった鳥居など建材の一部を、祖師廟を再建するための建材として李梅樹が引き取ったということだ。現在、祖師廟中殿にある花崗岩の柱には、台湾神宮の鳥居が用いられているという。

そして、台湾神宮が建立されたきっかけの一つが、恩地孝四郎の父であり、伊東さんの曾祖父にあたる恩地轍氏になる。

恩地轍は、北白川宮能久親王が日清戦争により日本に割譲された台湾に出征した際に同行している。そして、北白川宮能久親王が台湾で命を落とした後、紀念のために官製の神社を建設することを時の台湾総督、樺山資紀に進言した。いわば、台湾神宮建立の発端となった人物の一人なのである。

台北の圓山にあった台湾神宮の建立にかかわった恩地轍、その台湾神宮が残した鳥居などに新たな息を吹き込んだ李梅樹、2人の人物がこのように繋がっていたというのも大変興味深く、不思議な縁を感じる。

こういった物語を知ってから、三峡の李梅樹紀念館や祖師廟を訪れると、さらに違った視点で楽しめるかもしれない。

李梅樹紀念館 梅樹月特別展「風土的花蕊 —— 獻給臺灣的情書」 

・開館時間:午前10時から午後5時(最終入場時間:午後4時30分)
・休館日:月曜日
・入場料:一般100台湾元
・行き方:台北メトロ(MRT)ブルーライン(板南線)府中駅バス乗り場から910番のバスに乗車し、安渓国小(李梅樹紀念館)バス停で下車。バス乗車時間はおよそ30分、バス停から紀念館まで徒歩約100m

特別展は6月8日まで
 

(編集:本村大資/王淑卿)

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