今、台湾では各地で「眷村文化節(眷村文化フェスティバル)」が行われています。
「眷村文化節」は、地域社会と「眷村」の家屋を結び付け、「眷村」の文化を紹介し、広めていくもので、各地の「眷村」で大小さまざまなイベントが行われます。
この「眷村」とは何かというと、英語では「military village」と呼ばれています。つまり、“軍人村”─。
台湾の近代史に登場した特殊な建物と住居で、多くの人の記憶の中に残っている、貴重な文化資産です。
「眷村」が登場したきっかけは、第二次世界大戦後の1948年後半、国共内戦の情勢が変化すると、中国大陸から、政府関係者や軍人、教師、そしてその家族らが台湾に移住してきました。その規模はおよそ150万人と言われ、当時の台湾の総人口の25%に迫る勢いだったそうです。
その人たちのことをやがて「外省人」と総称されるようになりますが、それほどに多くの「外省人」を、どのようにして住まわせるかが問題となりました。
そこで国民政府はその移住してきた人の居住問題を解決するために、住宅を建設し、集団で生活できる地区を設定しました。
「眷村」の多くは日本統治時代の建物を利用したため、日本統治時代に日本人が多く居住していた台北市、嘉義市、台南市、高雄市、そして軍事基地付近の新北市や桃園市などに集中してできました。
政府は既存の宿舎や、各地の学校、廟、倉庫、工場の部屋などを暫定的な住まいとしました。また、軍隊が駐留しているエリアや、都市周辺にも宿舎を建設し、軍の種類、階級など、職業や任務に応じて宿舎を割り当てました。
こうして「眷村」が誕生したんです。
もっと狭い定義では、軍が建設し、管理する“軍眷村(軍人村)”のことを指しています。
「眷村」は、60年を超える歴史があり、台湾全体でこれまでに880以上あって、10万8000人以上の家族が住んでいたと言われています。
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そんな「眷村」の発展は、1945年から1956年の“旧・眷村時期”、1957年から1980年の“新・眷村時期”、1980年から1997年の“旧・眷村建て替え時期”、そして1997年から現在に至る“新・眷村建て替え時期”の大きく4つの時期に分けられます。
初期の眷村には2種類あって、1つは日本時代に建てられ残された日本式の宿舎─。
日本式の宿舎は木造建築で、工法も材料の面でも一定の基準を満たしていて、空間の構造が完全で、居住するための品質として良かったため、このタイプの宿舎は、最初に台湾に渡ってきたグループが使用していました。そしてのちに階級の高い人たちが住む住宅となったことから、“将官住宅”と呼ばれていたそうです。
そしてもうひとつは、簡素な住宅が集まる集落。
1949年以降、多くの人が台湾に渡ってきたため、家が足りない状況になったことから、軍隊が駐留しているエリア付近やその他の辺境の土地に、竹や藁、泥などを使って、自分たちで簡素な家を建ててできた集落です。
あまり建物の工法やスペースの使い方に配慮していないのですが、それはあくまで“仮の住処”だったからだと言われています。
というのも、当時、眷村では、中国大陸に向け、「1年で準備し、2年で反攻、3年で掃蕩し、5年で成功」をスローガンに掲げていたため、長くここで生活することは想定していなかったからなんだそうです。
しかし、1956年5月、眷村の婦人たちによる組合が、貧弱な住宅問題を解決するために構想を提出します。
そのころは「中国大陸への反攻」はいつになるか予見できなくなってきていたことから、定住の地として、住宅の質を改善すれば、軍人も国民も安心して過ごすことができるとして、婦人たちが立ち上がったんです。
ここから2つ目の時期、“新・眷村時期”に入ります。
この時期に建てられた建物は、長く居住することを考え、使用する建材も比較的強固なレンガや瓦、木、鉄筋コンクリート造りで、空間も軍の階級に応じて7.5坪から12坪とグレード分けされました。
ただ、各家のスペースが足りないため、家にはリビングと部屋といった生活スペースしかなく、キッチンとトイレやバスルームは、コミュニティー内の共用施設となっていました。
住民にとっては、居住人数に対して、スペースの割合は狭いのですが、それでも生活環境は以前と比べてよくなり、より“家”という意識も強くなりました。
1980年代に入ると、初期に建てられた眷村はすでに老朽化、人口増加に伴い自ら増築していたりして、建物の安全性や、治安の問題などが起こり始めます。
そこで、3番目の時期、“旧・眷村建て替え時期”に入ります。
眷村がある地域は、開拓地から振興開発地へと進化してきたため、住宅の景観が周辺の街並みと調和しておらず、都市再生や土地の経済的利用にも影響を及ぼしていました。
政府にとっては眷村の建て替えは、土地の有効活用であり、台湾の社会全体への変化の中で必然的な流れであるとしていましたが、眷村の住民にとって、眷村を建て替えるということは生活環境や人間関係の大きな変化を意味し、文化保存にとっては大きな衝撃と損失であるとして、眷村を取り壊す前に眷村文化を保存し、活性化させることも重要であるとして、近年では、各地で眷村を「歴史的建築物」として保存をしたり、リノベーションして新たな活用をし、観光地として生まれ変わらせたりしています。
そんな眷村文化を紹介するイベント「眷村文化節」が、ちょうど今、台湾の各地で行われています。毎年秋に、各地の眷村でそれぞれに行われていますが、近年は台北、新北、基隆、桃園の4つの市では合同でイベントを展開したりもしています。
それぞれの眷村で違った特色があったりしますので、秋に台湾を訪れる機会があれば、いろんな街の「眷村文化節」を見て、当時の生活や雰囲気を感じてみてくださいね。
Rti 台湾国際放送
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