明日、12月11日から、台湾北東部・宜蘭の五結郷で「二結王公文化節」が始まります。
そして、二結王公廟に祀られている「王公」と呼ばれる神様たちの誕生日にあたる旧暦11月15日、今年(2021年)は12月18日に、メインの「火渡り」の儀式「二結王公過火(二結王公火渡り)」が行われます。
この「二結王公過火」は、台湾最大規模の“火渡り”の儀式で、現在、宜蘭と呼ばれている噶瑪蘭(カバラン)の開拓者たちの間では、「王公の生誕祭は、旧正月よりも重要である」という諺があるほどに、この地域で重要視されてきた行事です。
二結王公廟に祀られている「三王公」は、中国福建省の漳浦県湖西坑に祀られていた、南宋末期にモンゴルに反旗を翻した3人の義士です。1786年に、噶瑪蘭の開拓者たちがその「三王公」のご本尊と共に台湾に渡り、現在の宜蘭県蘭陽溪南畔の二結庄に祀りました。その後、信者の移住に伴い、分霊を行った寺院は台湾全土で50か所以上に達し、「王公」は台湾の特殊な民間信仰となりました。
その「王公」の生誕祭として行われるのが「二結王公過火」です。主に、厄や不運を払うための行事で、100年以上の歴史があります。
その特徴は、“火渡り”の炭!
日本でよく見かける“火渡り”の様に、木をくべてごうごうと燃え盛る火の上を渡るというよりも、先に火を起こし、じっくり熱を溜めこんだ大量の炭火の上を駆け抜けるのですが、その炭の量が半端ないんです。
なんと7,200キロもの木炭を使って大きな炭火を起こします。
生誕祭当日、朝から現地の年配者やベテランスタッフが「火炭組」と呼ばれる役割を務め、廟内で王公から火を授かり、火を起こします。
そしてすべての準備が整ったら、午後、擲筊(ポエ)によって王公にお伺いをたて“火渡り”が始まります。
そして、興味深いのが、“火渡り”の前に行われる「掠童乩」。
「掠童乩」とは、王公が自ら憑依するための「乩童(シャーマン)」を探し出すこと。毎年、生誕祭当日、「乩童」はわざと隠れて、神様とかくれんぼをします。驚くのは、王公は「乩童」がどこに隠れているか知っているようだということ。二結地区には数千戸の家があるのですが、その中から探し出すのは容易ではないと思いますが、これがちゃんと見つけられるんです。
そして王公の神輿が「乩童」を見つけたら、神輿に乗せて廟へと連れて帰り、それから“火渡り”の儀式へと移ります。
廟に戻ってから、擲筊によって王公から指示を受けると、爆竹、花火、銅鑼、太鼓が激しく鳴り響き、まずは黒い旗を持った人が「開火路」として先陣を切って火の山を駆け抜け、安全を確認します。そのあと、神輿と神様を抱えた人と旗を担いだ人が次々と火の山を駆け抜けていきます。
毎年、100体以上の神様の像を神輿に載せたり、抱きかかえたりして、平安を祈願して“火渡り”をします。その壮観な光景に拍手の音が止むことがありません。
そして儀式が終わると、しきたりによって参加できなかった人たちの服をもってきて、火の上で振り回し、悪霊や災いが取り除かれるように祈ります。
また、この“火渡り”で使われた炭を家の下に埋めるとご利益があるとされていたり、家畜に与えると疫病から守ることができるとされていることから、多くの市民がこの炭を持って帰ります。
ちなみに、この炭、以前はおよそ1万2,000キロの木炭を使用していたそうですが、現在は環境保護に配慮して減らされているそうです。
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毎年、旧暦の11月15日に宜蘭で行われる台湾最大規模の“火渡り”の儀式「二結王公過火(二結王公火渡り)」─。
毎年多くの人々を魅了していますが、日本統治時代の1937年の台湾日日新報によりますと、そのころの「二結王公過火」はかつてない賑わいを見せており、“火渡り”のあと、神様の巡行に参加する陣頭の数は20以上、観衆も5000人以上に上り、交通整備のために青年団の協力が必要な事態となっていたと記されているそうです。
また、1950年代から60年代にかけても大きな盛り上がりを見せる儀式と宴席に参加するために多くの人々が集まり、鉄道では臨時便が運行されるほどの賑わいとなっていました。
そして、2007年に国家文化総会によって“台湾10大民俗祭り”に選出(*2)。2011年には宜蘭の伝統無形文化資産に登録され、2013年には「台湾宗教百景」の一つに登録されています。
Rti 台湾国際放送
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