台湾南部・台南に塩田が広がる場所があるのをご存じでしょうか。
海からほど近い場所に作られた遠くまで広がる塩田は、その特殊な景色はもちろんのこと、特に夕暮れ時になるとそこに夕陽が映り込んで美しい風景を作り出すことから、人気の観光スポットとなっています。
中でも「井仔腳瓦盤鹽田」は、現存する最古の塩田で、200年以上の歴史があります。
台湾の製塩業の歴史はいつから始まったのかわかっていませんが、最初は住民が各自で海水を煮て塩を作っていました。その後、オランダ東インド会社が台湾で塩を生産するために技術を導入しようとしましたが、生産された品質が悪かったため、台湾で必要な塩は依然として中国大陸から輸入されていました。
そして1661年、鄭成功が台湾を制覇した後、積極的に農地開拓を行っていきますが、歴史書によると、その鄭氏政権時代に、軍人である陳永華が、当時の原住民族による製塩技術が未熟なために、塩に苦みがあると考え、オランダ人が放棄した塩田を再建。製塩方法の改革を行ったと記載されているそうです。
その方法というのが、海辺に築いた塩田の上に割れた瓦を敷き詰めて、結晶池まで水を引き、天日で乾かして、瓦の上に塩の結晶を作るという方法でした。
そして清朝時代の台湾の歴史資料には、7つの塩田の名前がありますが、洪水などの影響で移動をしていて、時代によって同じ名前の塩田が別の場所に移ったりしています。
先ほど紹介した200年以上の歴史ある現存する最古の塩田「井仔腳瓦盤鹽田」も、日本統治時代には「瀨東場」と呼ばれていて、元々は別の場所にありましたが、洪水のために2度移転し、1818年にこの台南の北門に作られ、現在に至っています。
ですので、この地に移転してから200年以上ですが、塩田としての歴史は300年以上あると言われています。
1818年当時、140以上もの製塩業者がこの地に移り住んできて開拓をしました。
当時、この一帯は荒れた土地で人は住んでおらず、木がうっそうと茂っている小さな丘と、そのわきに水質のいい水が湧き出して井戸だけがあったことから、この地が「井仔腳」と呼ばれるようになったそうです。
なお、塩は製造方法によって、結晶の大きさや、結晶の形、塩に含まれるミネラルの割合などが変わり、それらは全て塩の味に影響します。
基本的には、結晶が大きくなればなるほど、解けるのが遅く、味もマイルドで、結晶が小さいほど、解けるのが早く、塩の味が際立ちます。
この「井仔腳瓦盤鹽田」は北門潟が作り出す天然のろ過システムがあるため、作られる天日塩はしょっぱすぎないだけでなく、甘みも感じられ、まさに天からこの地への贈り物だとされています。
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実はそんな歴史ある「井仔腳瓦盤鹽田」ですが、天日干し製塩業は、人件費がかかりすぎることから、2002年に終わりをつげ、この地に広がっていた塩田は一時期、風化していました。
ところが、その製塩業文化を継承するために塩田を復活させ、現在は、観光スポットとして生まれ変わりました。
厚さおよそ6mmの瓦で敷き詰められた塩田は、モザイクアートのようになっていますし、実際にその塩田で天秤棒を担いで収穫の楽しみを体験したりすることができます。
また、実際にここで作られた塩をお土産として持ち帰ることもできます。
そして、きれいに区画整理された塩田は、夕陽の頃になると塩田に映る美しい夕陽を写真におさめに、多くの観光客が集まる人気スポットとなっています。
でも、それだけでなく、住民たちの生活の思い出が蘇ったとして、懐かしんでいる人も少なくありません。
そして今回、その塩田文化を振り返り、とらえた映像「被遺忘的白色時光—井仔腳鹽田文化重振(The White Time - Jingzaijiao Community’s Culture Revival)」が、「世界のグリーンツーリズム 100 選(the Global Top 100 GreenDestinationFoundation)」で、「持続可能なストーリートップ100(Top 100 Sustainable Stories)」に選ばれています。
交通部觀光局雲嘉南濱海國家風景區管理處は、「井仔腳瓦盤鹽田」は台湾に現存する最古の塩田で、特殊な「瓦盤鹽田」を保存しているだけでなく、数百年前の天日塩の技術を継承していて、観光教育を通じて、衰退しつつある天日塩文化の継承と普及に努めていくとしています。
Rti 台湾国際放送
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