今、東京・銀座にある泰明画廊で、「台湾の至宝、楊三郎展」が開催されています。
油絵や絵画に興味のある方はご存じの方が多いと思いますが、楊三郎とは、日本、フランスでの留学を経て、台湾での西洋美術の普及と芸術の発展に多大なる貢献をした人物です。
1907年、台北に生まれた楊三郎。
小学校低学年の頃、通学路にある文具店に飾ってあった塩月桃甫の油絵に一目ぼれし、そこから画家を目指すようになります。
この塩月桃甫は、宮崎出身の画家で、今からおよそ100年前、戦前の日本統治時代の台湾に初めて西洋美術を普及させ、台湾美術展覧会を創設し、台湾美術界に多大なる貢献をした人物で、彼の絵は、強烈な色調を使うのが特徴です。
その塩月桃甫の油絵に強く惹きつけられた楊三郎でしたが、家族は絵を描くことに反対。しかし、その反対を押し切り、16歳の時に、家業の酒・たばこの流通業を手伝って貯めたお金で、日本へ留学します。
日本に渡ってからは、アルバイトをしながら、京都市立美術工芸学校、そして関西美術院で油絵創作の基礎を学びました。
最初は反対していた家族も、後に理解を示して、経済的な援助をしてくれていたそうです。
1927年には、楊三郎が関西美術院の3年生だった時、父親が彼に替わって作品「復活節時候(復活祭の頃)」を「第1回 台湾美術展覧会(略称:台展)」にエントリーすると、その作品は入選を果たしました。
ちなみに「第1回 台展」では、李石樵、李梅樹、陳澄波、顏水龍、廖繼春といった、現在にも名が残っている台湾の有名な画家が同時に入選をしています。
学校を卒業後、台湾へ戻った楊三郎。
翌年(1929年)には「第3回台展」で作品「静物」が特選を取りました。
またこの年には、父親と交友のあった台北・大橋頭周辺の名家の娘・許玉燕と結婚しました。
そして1932年、芸術の都・フランスのパリへと渡り、画廊や美術館を巡り研鑽を積み、画作に没頭します。
印象派のコローやモネの風景画には特別憧れ、ロマンチックな風情と光と陰を組み合わせた自身のスタイルを確立。
作品は「台展」や、日本の「春陽展」などで数々の入選を果たし高い評価を受けました。
1934年、フランスから帰国後、陳澄波や李梅樹、そして在台日本人画家の立石鉄臣ら7人と共に「台陽美術協会」を設立。台湾の美術展のキュレーションを行うようになり、台湾の芸術振興に尽力しました。
戦後も「台湾省全省美術展覧会(略称:省展)」を開催し、第1回から合計27回にわたって審査員を担当したほか、常に個展を開くなど、生涯にわたって画壇、画会で活躍し、作り上げた理念と審美感は、長年にわたって台湾の戦後の油絵のスタイルに影響を与えています。
その伝統は今も受け継がれ、台湾美術史の発展に尽力を注ぎ、多大な貢献をしたため、「台灣第一代的油畫大師(台湾初代油絵マスター)」として認知され、晩年には「国家文芸賞」特別貢献賞、文化勲章などを受賞しました。
そんな台湾を代表する油絵画家・楊三郎の展示会が今、東京・銀座にある「泰明画廊」で行われています。
今回の展示では、楊三郎が世界各地を旅して描いた風景画およそ20点が出展されています。
開催は7月10日(土)まで。月曜から金曜は午前10時半からごご6時半まで、土曜・日曜は午前11時から午後5時までとなっています。
機会があればぜひ足を運んでみてください。
ちなみに、楊三郎は、小さい頃よく淡水で油絵を描いていたそうで、その時、背の高い青年がよく絵を見に来ていたそうです。その時、楊三郎は単純に「背の高い少年だなぁ」と思っていたんだそうですが、後にわかったのは、その青年は当時、淡水のご近所・三芝で過ごしていた李登輝・元総統だったんだそうです。
また、李登輝・元総統の奥様、曽文恵・女史は、楊三郎の従兄妹にあたるそうで、楊三郎と李登輝・元総統の縁は深く、台湾の新北市永和区にある「楊三郎美術館」の名前の文字は、李登輝・元総統が書いたものだそうです。
また旅行が解禁になりましたら、こちらの「楊三郎美術館」にも足を運んでみてくださいね。
Rti 台湾国際放送
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