本日からは台湾語男性歌手の葉啓田さんをご紹介したいと思います。
葉啓田さん本名は葉憲修。1948年6月1日生まれ、嘉義県、太保市出身です。「宝島の歌王」(台湾語歌曲のキング)として知られる台湾の男性歌手の葉啓田さんですが、ご存知ない方は、「愛拼才會贏(頑張れば勝つ)」を歌う歌手といえば、逆に曲から、思い出す方もいるかもしれません。
1964年にデビューした葉啓田さん。非常に波乱に満ちた歌手人生を送られています。本日はその前半としてご紹介しましょう。
葉啓田さんには9人の兄弟の3番目。家計は苦しかったといいます。13歳の時、家族に連れられていった嘉義市で開かれた歌のコンサートで、当時大人気の台湾語歌手、洪一峰さん、文夏さんら著名歌手のパフォーマンスをみて、歌手を夢みます。
14歳で、両親からもらった20元をてに、歌手の夢をかなえるため台北にでて、働きながらチャンスを探すも、なかなかうまくいきません。15歳の時、歌手で音楽プロデューサーの郭大成をたずね、歌をその場で披露。郭氏にうけいれてもらい、17歳で、「內山的姑娘」という曲でデビュー。この曲で注目をあび、続いて「墓仔埔也敢去」で人気を確実なものとし、21歳の若さで、宝島歌王の名を得ます。 この「墓仔埔也敢去」は、橋幸夫さんの「恋をするなら」のカバー曲となります。意味はお墓にだって平気に行けるよという意味。
恋愛しているときは何にも怖くない、深夜でもお墓にいけるという内容です。この曲は同じく台湾語歌手の伍佰(ウーバイ)、そして台湾を代表する歌姫、蔡依林(ジョリン・ツァイ)によっても歌われています。
さて、順調にみえた葉啓田さん、なんと逃亡生活、逮捕、刑務所に入ることとなります。
そうなった事件とは、まず70年代、台湾語は禁歌となり、テレビで放映できなくなると、歌手は外でのショーを中心に活動します。台南でのショーの際、衝突事件が起き、結果、一人が亡くなる事件となります。この責任を問われ、当初逃げたことから、指名手配となるのです。逃亡の結果、逮捕され、1982年から1985年に刑務所に入ります。
あるテレビのインタビューで葉啓田さんは、その時を振り返り、間違ったことをしてしまったと非常に反省していると語っていました。
その後、復帰を果たそうと、歌手活動に専念。「忍」、「乾一杯」、「男性的本領」などの曲を発表し、大ヒットをとばします。そして、1988年に代表曲といわれる「愛拼才會贏」が誕生します。
葉啓田さんのストーリーは来週に続きます。
【お送りした楽曲】
・故郷
・墓仔埔也敢去
・愛拼才會贏
Rti 台湾国際放送
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