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ミュージックストーリー - 2023-07-11_黄明志①

  • 11 July, 2023

今週からは、マレーシア出身の歌手、黄明志さんのストーリーをご紹介します。ご存知ない方は、ニット帽にかわったサングラスをかけた男性歌手といえば、おわかりになるでしょうか?

メッセージ性が強い曲を作り、時には社会へ訴えるような曲、そして映画も制作するなど、その形にとらわれなさすぎる表現方法は、まさに鬼才といわれる黄明志さんは1983年5月6日生まれ。マレーシア出身です。マレーシアで学生時代を過ごしますが、政府の認定をうけていない華語の学校の学歴は認められずは台湾の大学に進学します。銘伝大学の大衆メディア学科に進学し、6年間台湾で学ぶこととなります。


台湾ではマレーシア出身の歌手は多く活躍しています。男性歌手では、光良 (マイケル・ウォン)、そしてその光良とともに無印良品というユニットをくんだ品冠(ビクター・ウォン)、そして曹格 (ゲイリー・ツァオ)、女性歌手では、梁静茹 (フィッシュ・リョン)、戴佩妮 (ペニー・ダイ)さんなど。こうした歌手はマレーシアで活躍、または才能を見出されて台湾に渡ったのですが黄明志さんは台湾に留学し、台湾で生活し、そしてその学生時代に音楽を作り続け、台湾から発展していったというのが他のマレーシア出身のアーティストとは異なるんです。黄明志さんは母国マレーシアだけでなく、アジアでも注目されるアーティストとなります。

黄明志さんは、台湾への留学を決めた理由について、台湾は大学の費用が安く、また在学中にアルバイトができることが大きかった。また、音楽をやっている自分は、中学校の頃から曲を書き始めて、高校卒業までに200曲を制作していた。台湾に行って音楽業界に自分の曲を売り込みたいと考えていたとあるインタビューで話しています。
大学卒業後、アルバイトをしながら音楽をつくり、あらやるところに売り込みますが全く反応がなかったといいます。音楽関係の人にすがりつき、トイレまでいって曲を売り込んだが目にも止めてくれなかったと語っています。
ちょうどそのころ、ユーチューブがはじまり、黄明志さんは自身の作品をアップしていくようになります。なかにはやりすぎといわれるほど過激な作品をつくるなか、マレーシアの公務員の汚職や社会の問題を歌詞にしたマレーシア国歌を編曲したことで注目をあびるようになります。しかし、不適切な曲をつくったことで逮捕状がだされ、マレーシアへ帰国できない、入国できない状態に。

黄明志さんは、国歌の編曲はマレーシアの問題を歌っただけで、侮辱はしていないことを証明するため、2008年には香港から陸路で各アジア諸国を経由して帰国し、旅の途中で母国を離れ生きるマレーシア人を取材したドキュメンタリー映画、「我要回家」
を制作しました。

黄明志さんの奇抜な発想やその表現方法はひとことでは言いあらわせないといわれていますが、音楽制作の場としてスタートした台湾での生活が、その後の黄明志さんの土壌となったといわれているそうです。

【お送りした楽曲】

・五百

・我要回家

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