<第1セクション:「アジアの歌姫」テレサ・テンさん没後30周年>
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リスナーの皆さん、こんばんは。今月8日は、「アジアの歌姫」テレサ・テン(鄧麗君)さんがこの世を去ってからちょうど30周年。命日の5月8日には、新北市金山地区にある金宝山墓園で、テレサさんの没後30周年を記念する追悼コンサートが執り行われた。この日、テレサさんの墓前には台湾の他、日本、香港、マカオ、マレーシア、シンガポール、タイ、アメリカ、カナダなど世界各地からファンが集まった。南投県の「親愛愛樂樂團」の演奏でテレサさんの代表曲『月亮代表我的心』『我只在乎你(時の流れに身をまかせ)』などが流れる中、参列者たちは合唱したり、墓前で手を合わせたりして、彼女の功績を偲んだ。
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また、マネージャーとしてテレサさんの日本デビューを支え、テレサさんが「日本のお父さん」と慕っていた、今年御年92歳になる舟木稔さんも参列し、「音楽に国境はないというが、まさにそういう世界をつくったテレサの功績は永遠に消えないだろう」と語った。本日はテレサさんの残された足跡を振り返り、その功績を偲びつつ、「台湾に根を下ろした日本歌謡」シリーズの第17回として、テレサ・テンさんの特集をお届けしたい。
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テレサ・テン(鄧麗君、Teresa Teng)さんは、1953年1月29日に台湾の雲林県に生まれた。彼女は、東アジア全域を中心に世界中で愛された伝説的な歌手であり、温かく繊細な歌声と多言語にわたる歌唱で、「アジアの歌姫」と称された空前絶後の大スターである。
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テレサ・テンさんの父親は中国河南省出身の国民党軍人であり、彼女の一家は中国共産党との内戦に敗れた後、台湾へと渡った。したがって、テレサさんは外省人2世ということになる。幼い頃から歌に強い関心を抱いていた彼女は、早くも10代でその才能を開花させる。1963年、わずか10歳で台湾のラジオ番組に出演、1967年には台湾宇宙レコードからファーストアルバム『鄧麗君之歌第一集:鳳陽花鼓』をリリースし、本格的な歌手デビューを果たした。
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その後、彼女は台湾で人気を博し、1970年代には活動の場を香港や東南アジアへと広げていく。特に中華圏では「月亮代表我的心(月は私の心)」などの楽曲が大ヒットし、愛と郷愁を歌う彼女のスタイルが多くの人々の心を掴んだ。
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テレサ・テンさんのキャリアにおいて特筆すべきは、日本における成功である。彼女は1973年に日本に渡り、日本語を学びながら演歌や歌謡曲の世界に挑戦した。1974年、「空港」で日本デビューを果たし、その年の日本レコード大賞新人賞を獲得、たちまち注目を集める。続いて作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかしのコンビによる楽曲「つぐない」(1984年、150万枚)、「愛人」(1985年、150万枚)、「時の流れに身をまかせ」(1986年、200万枚)が三年連続でミリオンセラーの大ヒットを記録し、彼女は一躍日本でも押しも押されぬ国民的歌手となった。
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テレサさんの日本語曲には、抜群の歌唱力に裏付けされた哀愁や切なさ、深い情感が込められており、日本の演歌文化とも絶妙にマッチしていた。多くの日本人にとって、彼女の歌声は心に沁みる「懐かしさ」として記憶されている。そして、少しだけたどたどしさの残る日本語が醸し出す雰囲気が愛らしさを演出し、これも多くの日本人の心をつかんだ一因となったと私は思う。
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テレサ・テンさんの魅力のひとつは、その語学能力と多言語での歌唱にあった。彼女は母語の台湾華語、そして生活言語だった台湾語はもちろん、日本語、英語、広東語、インドネシア語などでも歌いこなし、アジアの各国で親しまれた。国境を越えた活躍は、音楽が持つ普遍的な力を象徴するものであり、特に冷戦下の東アジアでは、政治や思想の違いを超えて人々の心をつなぐ存在となった。日本語で歌った原曲を自ら華語で次々とカバーするという離れ業を行い、いずれもヒットに繋げた歌手は、テレサさんをおいてほとんどいない。強いてあげれば、後は『雨の御堂筋』と『Love is over』を歌った歐陽菲菲さんくらいだろう。
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中国では彼女の音楽が「資本主義的」「低俗」として当初は禁止されていたが、やがて彼女の歌声は海賊版のカセットテープで密かに広まり、人々の間で「自由と優しさの象徴」として語られるようになった。文化大革命後、テレサ・テンさんの歌は多くの中国人にとって、心の安らぎを与えるものとなった。
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私がテレサさんの歌を華語で初めて聴いたのも、1986年に上海に留学していた時だった。あまりの素敵な歌声に本当に鳥肌が立った。日本語の百倍良い、とその時は思った。当時は「大鄧小鄧(大きな鄧【=鄧小平】と小さな鄧【=鄧麗君/テレサ・テン】)」などという言い方も市民の間では流行し、中国の時の権力者・鄧小平と並び称されるほどの勢いだった。中国の当局もこの状況は半ば黙認していたし、1987年以降は、台湾の戒厳令の収束とともに両岸関係が改善され、テレサさんをはじめ台湾ポップスの音源が正式に流通するようにもなった。しかしながら、こうした春の訪れも束の間、天安門事件の発生で事態は一変する。このことは次のセクションで詳しく見ていきたい。
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ここで、テレサ・テンさんが日本語で歌った『つぐない』の華語でのセルフカバー曲『償還』をお聴きいただきたい。華語のタイトルの意味もそのまま「つぐない」である。
<第2セクション:テレサ・テンさんと天安門事件>
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テレサ・テンさんは、1989年6月4日の天安門事件の前後において、中国本土の民主化を支持する立場を明確に示し、大きな注目を集めた。彼女の行動は、アーティストとしての枠を超えた、政治的なメッセージを持つものでもあった。
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1989年春、中国では学生たちを中心とした大規模な民主化運動が展開されていた。北京・天安門広場には数十万人が集まり、言論の自由や政治改革を求めるデモが続いていた。この動きに対し、台湾や香港をはじめとする華人社会の多くが共感と支援の声を上げた。テレサ・テンさんもその一人であり、学生たちへの支持を表明した。
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1989年5月27日には、テレサさんは、かねてから中国国内で起きていた民主化要求デモを支援する目的で行われた、香港ハッピーバレー競馬場での中国の民主化支援コンサートに参加。約30万人の前で、平和を願う『我的家在山的那一邊(私の家は山の向こう)』を歌い、亡命した民主化活動家とも交流した。しかしテレサさんの願いはかなわず、北京で天安門事件が発生。テレサさんの夢であった、両親の生まれた中国本土でのコンサートも中止となった。
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また、天安門事件発生の数か月後の1989年10月に、テレサさんは日本のTV番組の中で、新曲『悲しい自由』を発表する前に、次のようなメッセージを発している。「私はチャイニーズです。世界のどこに行っても、どこで生活しても、私はチャイニーズです。だから、今年の中国の出来事、全てに私は心を痛めています。中国の未来がどこにあるのか、とても心配しています。私は自由でいたい。そして、すべての人たちも自由であるべきだと思っています。それが脅かされているのが、とても悲しいです。でも、この悲しくて辛い気持ち、いつか晴れる。誰もきっとわかり合える。その日が来ることを信じて、私は歌っていきます。――それでは最後、新曲『悲しい自由』を聴いてください。(発言ママ)」
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テレサ・テンさんは、普段は政治的な発言を避ける慎重な人物として知られていたが、天安門事件という歴史的な転機においては、アーティストとしてだけでなく一人の市民として果敢に行動を起こした。『悲しい自由』は、愛の終わりの物語に仮託してはいるが、天安門事件に対する静かな批判と悲しい心情が込められた明確な彼女の「メッセージソング」である。それは、「音楽に国境はない」「自由を求める心は誰にでもある」という彼女の信念に基づくものだった。この一連の行動により、彼女は単に一人の歌手という立場にとどまらず、台湾の、ひいては東アジアの自由と良心を象徴する存在として、現在に至るまで高く評価され続けている。
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1990年代に入り、テレサ・テンさんは音楽活動を控え、私生活を重視するようになった。私には、彼女がその後の状況に絶望し、人生に疲れてしまったようにも見えた。イギリスから中国への返還が決まった香港を離れ、フランスのパリへ移住していたテレサさんだったが、1995年5月8日、滞在先のタイのチェンマイで気管支喘息による発作を起こし、急逝する。享年42歳だった。
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突然の訃報はアジア中に大きな衝撃が駆け巡り、台湾、日本、中国、香港など各地で追悼の声が上がった。私もこの時、国際交流基金北京日本文化センターの駐在員として北京で暮らしていたが、このニュースは到底受け入れ難いほどショックだった。何度嘘であってくれと願ったことだろう。台湾では当時の李登輝総統をはじめ政府要人も出席する国葬に準じる形式で葬儀が執り行われ、多くのファンがその死を深く悼んだ。
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ではここで、テレサ・テンさんの『悲しい自由』をOA。
<第3セクション:没後30周年にテレサ・テンさんの新曲をリリース?!>
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冒頭でテレサさんの命日に、テレサ・テンさんの眠る台湾の金宝山墓園の「筠園」で追悼コンサートが行われたことは述べたが、その前々日の5月6日には、日本でも東京都北区の赤羽会館にて、BS11主催の「テレサ・テン、あなたに逢いたいーー 没後30年メモリアル・チャリティコンサート」が開催された。小柳ルミ子さん、中澤卓也さん、小林未郁さん、郭静さんらが出演し、テレサ・テンさんの名曲の数々を披露。このコンサートの模様は、7月13日にBS11で特別番組として放送される予定。
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また、今年の4月には、ファンにとってはサプライズのニュースが飛び込んできた。日本のレコード会社ユニバーサル・ミュージックで、テレサさんの未発表曲が見つかったというのだ。往年のゴールデンコンビの作曲家の三木たかしさん、作詞家の荒木とよひささんの作品で、1980年代半ばに録音された音源だという。テレサさんの没後30年に合わせ、今年6月25日発売の作品集『三木たかしソングブック』に収録予定という。この楽曲にはタイトルが無かったため、三名(テレサさん、三木さん、荒木さん)のうち、唯一存命の荒木さんが『ラブソングは夜露がお好き』と名付けたそうだ。今から発売が待ち遠しい。
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テレサ・テンの歌は、没後30年近くが経った今でも色褪せることなく、多くの人々に愛され続けている。彼女の楽曲は今なおリバイバルされ、カバーされ、テレビ番組や映画でもたびたび取り上げられている。彼女の歌声は「永遠のスタンダード」ととして、時代や世代を超えて人々の心に響き続けている。
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本日は、テレサさんの最大のヒット曲であり、台湾で私が「流し」で歌う際にも最もリクエストの多い楽曲の一つ『時の流れに身を任せ』の華語版『我只在乎你(あなただけが気掛かり)』をお聴きいただきながらお別れ。
Rti 台湾国際放送
Rti 台湾国際放送 
