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馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」) - 2025-04-27-豪州の戦後80年日本人捕虜慰霊アートプロジェクト『When You Call My Name』と台湾

  • 27 April, 2025
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馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」)
オーストラリアの日本人民間抑留者慰霊アートプロジェクト『When You Call My Name』

<第1セクション:豪州のアートプロジェクト『When You Call My Name』>

  • リスナーの皆さん、こんばんは。今年は第二次世界大戦の終戦から80周年の節目の年。ふだんは音楽や演劇の世界に身を置いている自分が、ひょんなことから、オーストラリアで抑留され亡くなった日本の民間人戦没者慰霊のためのビジュアルアートのプロジェクト『When You Call My Name』に、台湾からの参加アーティストを取りまとめる共同コーディネーター兼アーティストとして参加することとなった。本日はこのプロジェクトの内容と私が参加することとなった経緯についてお話していきたい。

  • まず、このプロジェクト『When You Call My Name』 は、第二次世界大戦中に東南アジア、太平洋諸島などの地域から「敵性外国人」としてオーストラリアやニュージーランドに連行され、抑留中に亡くなった日本の民間人208名をアートを通じて慰霊する共同プロジェクト。この中には当時日本の統治下にあった台湾出身者12名や韓国出身者1名も含まれる。また、ニュージーランドで抑留され、オーストラリアに移送される途中、日本人抑留者とともに飛行機事故で命を落としたタイ出身者3名も含まれている。

  • 現在、オーストラリアのニューサウスウェールズ州カウラにある日本人墓地には、上述の抑留者のうち192名が埋葬されている。台湾出身者は船での移送途中で亡くなった1名を除き、全員このカウラに眠っている。また、飛行機事故で亡くなったタイ出身者3名を含む11名は、オークランドのワイクメテ墓地に埋葬されている。

  • このプロジェクトでは、特定の抑留者1名に関する主にオーストラリア側の歴史資料に基づき、 2Dまたは3Dの作品を製作するものである。先ほど述べたオーストラリアのカウラ日本人墓地に埋葬されている抑留者のうち、台湾出身者で名前が判明している12名を対象に、台湾在住のアーティストに対し、本プロジェクトへの参加を呼びかけた。作品は個別にオンラインで展示され、カタログに印刷される。また、完成したすべての作品は大規模なコラージュ作品として展示される。現時点ではオーストラリアのキャンベラ、パース、並びにニュージーランドのオークランドの三都市での展示会が予定。

  • ところで、なぜ私がアーティストとして、また台湾サイドのコーディネーターとして、このプロジェクトに関わることとなったのか?昨年9月のことだった。オーストラリアのシドニー在住の写真家で友人の金森マユさんから次のようなメッセージを受け取った。

  • 「馬場さん、お元気ですか。ちょっと台湾アーティストについて、ご相談あり。戦時中オーストラリアで亡くなった日系民間人に関してのコミュニティーアートを作っていて、194人のアートワークを一つの大きなコラージュ作品に作ろうとしている。その中で、戦時中、日本人民間人と一緒にオーストラリアに連行され、抑留された、元オランダ領東インド (今のインドネシア)に住んでいた台湾人(フォルモサ出身)の人たちも10人くらいいる。その人たちのためのアートも勿論含めたい。というか、もし可能なら台湾のアーティストか馬場さんみたいに台湾に住んでいる日本人アーティストに作ってもらえないかなーと思っている。馬場さん、やってみない?もしくはやってくれそうな人を知らない?」

  • 私はビジュアルアーティストではないが、台湾出身者全員をまとめて慰霊する形で楽曲を制作し、その音楽をBGMにした簡単な映像作品であればできるかもしれないと返事をしたのが、そもそものきっかけだった。その返事のとおり、私は『君の名を喚(よ)ぶ』という曲を書き、台湾在住の日本人画家・木下真子さんの『聽海』という油画の作品の画像と自作のその曲をバックに流しながら、台湾出身の抑留者12名のお名前を字幕ロールで表示する形で慰霊する2分ほどの映像作品を完成させた。作品を提出して、私はこのプロジェクトでの自分の役割はこれで終わったとその時は思った。

  • ところが、作品を提出して1週間ほどしてから、このプロジェクトのファウンダーの金森マユさんから次のような連絡が入った。「馬場さんの映像作品は会場でビデオを流したり、YouTubeで配信したりするつもりだが、その一方、やはり一人一人のアーティストが、オーストラリアで亡くなったお一人お一人の抑留者に心を込めて向き合って作品を製作するという、当初の趣旨に立ち返りたい」とのメッセージが寄せられた。つまり、捕虜収容所で亡くなった12名の台湾籍の抑留者に対し、12名の台湾在住のアーティストをマッチングさせるべく、私にコーディネートしてほしいという新たな依頼を受けることとなった。のです。

  • 私の映像にも油画の作品画像を提供してくださった台北在住の画家の木下真子さんが、まず手を上げて口火を切り、抑留者1名に対する慰霊の作品を担当してくださることとなった。続いて、台南芸術大学大学院博士課程に在籍する日本人アーティスト宇田奈緒さんも参加してくださることとなった。この時点で慰霊対象の台湾の抑留者とのマッチングが必要なアーティストは、12名のうちあと10名となった。

  • ちょうどこのタイミングで、ドキュメンタリー映画『由島至島(島から島へ)』(2024年台北映画祭グランプリ、同年金馬奨国際映画祭最優秀ドキュメンタリー映画作品賞受賞作)や昨年話題となった歴史大河ドラマ『聽海湧(邦題:波の音色)』(いずれも私の出演作)の歴史顧問を務められた政治大学歴史学科の藍適齊副教授が、プロジェクトの趣旨に賛同してくださり、台湾サイドの共同コーディネーターとして加わっていただけることとなった。こちらからの申し出に二つ返事でご快諾いただけたのは、本当に嬉しかった。

  • 続いて、藍先生の研究成果を通じて、オーストラリアで埋葬された台湾籍抑留者のうち、3名の子孫の方々とも繋がった。実際に私もその子孫のお二人の江秀蓮さんと林婉瑜さん母娘ともお会いしたのだが、江秀蓮さんの父親(江両泉さん)と兄(江平和さん)、義理の父親(林枝さん)、この3名に関してはご家族の方に記念の作品を制作していただくのが良いのではないかと提案したところ、江秀蓮さんと林婉瑜さん母娘は快く賛同してくださった。

  • 最終的に、この3名については、その抑留者の末裔に当たる江秀蓮さん、林婉瑜さん母娘と林さんの息子さん(江秀蓮さんのお孫さん)、林さんの知人でアーティストの鄭圭君さんが担当してくださることとなった。また、藍先生の政治大学歴史学科の教え子の学生さん1名も「歴史と記憶」の授業の一環として、参加を表明してくださった。これで残りは12名のうち6名。道の半分まで来た。

  • ここからも藍先生の人脈で一気に解決した。藍先生の友人で台北芸術大学芸術と教育研究所の呉岱融所長もプロジェクトの趣旨に賛同してくださり、何と自分の大学院の学生6名に参加させると表明をしてくださったのだ。オンライン会議で学生さんたちにも私からプロジェクトの趣旨説明をする機会もいただき、残りの6名の抑留者の方々もすんなりとマッチングが決まった。本当にもうこれは藍先生のご縁の賜物というしかない。作品制作もコーディネーションもまったくのボランティア・ベースにもかかわらず、趣旨に賛同してくださった参加者の皆さん、藍先生、呉所長には心から感謝している。

  • では、ここで私が自分の映像作品の中で使用した『君の名を喚ぶ(When I Call Your Name)』をOA。これはこのプロジェクト『When You Call My Name』に対する返歌、リスポンスを意図して作った。

<第2セクション:80年前のオランダ領東インド(ジャワ)で何が起こったのか?>

  • 次に当時、台湾籍「日本人」の民間人がオーストラリアに連行され、抑留された歴史的背景に触れてみたい。当然ながら当時の時代状況として台湾人は日本国民と見なされた。軍人や軍属で無かったとしても、「敵性外国人」というだけで、老若男女を問わず捕虜として連行される理由となった。

  • オーストラリアに抑留された台湾籍捕虜のほとんどは、当時のオランダ領東インド(現在のインドネシア)のジャワ島への移民だった。当時の戦況としては、日本軍がオランダ領東インドを占領するのは目前だった。台湾からジャワに渡った人々の多くは、貿易商か現地での小売商である。「日本人」だった彼らは当然日本語を自由に操れたので、日本軍とコミュニケーションが取れた。一方、ジャワの現地で経済の中心を握っていたのは、主に福建系の華僑であった。台湾出身者は現地の取引先とも言葉が通じたのである。そういう条件が重なって、海を渡って行ったのだろうと藍先生は分析する。

  • しかし、それが後々に仇となってしまった。1941年12月8日の日本軍によるハワイ真珠湾攻撃を機に太平洋戦争が始まると、オランダ領東インド当局は、軍人、民間人を問わず、「敵性外国人」の日本人を捕虜として連行した。その中にはジャワ島に居住していた台湾籍の人々とその家族も含まれた。ジャワ島に渡った台湾人の中には、現地の華僑の女性と結婚する人も多かったが、彼らに嫁いだ妻たちや子どもたちも一緒に連行された。その数は一説には数百から一千名近くだったとも言われている。

  • 一方、本土をナチス・ドイツに占領されたオランダは、オランダ領東インドで日本軍に対抗する余力はもう残っていなかった。1942年2月、日本軍によってオランダ領東インドが陥落する1か月前、オランダ領東インド当局は、連合国の一員でジャワ島から地理的にも最も近いオーストラリアに、これらの捕虜たちを船で移送する決断をする。

  • オーストラリアでは、4か所の捕虜収容所に分かれて男女別々に移送された。生き残った抑留者の証言によると、それらの収容所の待遇は決して悪くはなかったようであるが、流行病やストレスで体調を崩し、死に至った人もいた。それが今回私や藍先生が進めている慰霊のためのアート作品の対象となった、台湾籍抑留者の方々である。先ほどお話した江秀蓮さんは、このオーストラリアの収容所で生まれている。その一方、江秀蓮さんの父親(江両全さん)と生後10か月だった兄(江平和さん)は、江秀蓮さんとは別の収容所で息を引き取っている。

  • 江秀蓮さんは、ジャワの華僑の母親ともう一人の兄とともに、戦後1年が経った1946年にシドニーから船に乗って台湾に「引き揚げ」ている。しかしながら、ジャワ出身の母親と兄、オーストラリアの収容所で生まれた江秀蓮さんにとって、父親の故郷の台湾は、全くの見ず知らずの土地だった。当時のオーストラリア政府は、台湾出身者とその家族を一律台湾人と看做したため、このような措置が取られてしまったのだ。

  • 江秀蓮さんの御一家(母親、兄、ご自身)が台湾に「帰還」してからのご苦労はいかばかりだっただろう。故郷っていったい何なんだろう。ここで福爾摩沙合唱團の合唱で『永遠的故郷』をお聴きいただきたい。

<第3セクション:戦後80年の意味を考える>

  • 私は自分がこの『When You Call My Name』というプロジェクトに関わることとなったのには、ある種の運命的な意味を感じている。政治大学の藍先生が歴史顧問を務め、昨年話題となったドキュメンタリー映画『由島至島(島から島へ)』もテレビドラマ『聽海湧(邦題:波の音色)』も、マラヤや北ボルネオ(いずれも現在のマレーシア領)に派遣された台湾籍の日本兵・軍属の物語である。この両作品には、私はキャストとして出演し、脚本の翻訳にも関わっていたからだ。

  • また、私がかつてオーストラリアに3年間住み、現在は台湾に住んでアーティスト活動をしている日本人であるからこそ、日本、台湾、南洋、オーストラリアの点と点を線で結び、面に仕上げるこのプロジェクトに、ファウンダーの金森さんから協力を求められたのだろうと思う。さらに言えば、英語、中国語、マラヤ語等7か国語を解したという私の父方の祖父は、太平洋戦争時に通訳官として従軍し、南洋に赴き、そこで捕虜になったと聞いている。こうした地勢的な繋がりや家族の因縁も含めて、見えない糸に引き寄せられたという感覚を持っている。

  • 先述のドラマ『聽海湧(邦題:波の音色)』のクライマックス・シーンで、台湾籍日本軍属の捕虜監視員として参戦し、戦後の軍事裁判で裁かれることとなった主人公の阿遠(アオン)が、法廷で「いったい何のための戦争だったのですか?」と叫ぶシーンがある。このセリフは、私が演じた日本側弁護団団長の高橋庄治郎の胸に深く刺さり、その役から降りて二年経った今も私の心に刺さったままだ。このドラマを演じて深く感じたことは、「戦争には真の勝者はない」ということだ。

  • 戦前は「日本人」として生きてきた台湾の多くの「本省人」と呼ばれた人々、「原住民族」の人々が、「終戦」を境に戦後は「中華民国人」として生きていくこととなった。また、抗日戦争を戦い、連合国軍の一員として勝利の美酒を味わったのも束の間、その後の国共内戦に敗れて台湾に逃れて「外省人」と呼ばれ、この土地で生きていくこととなった人々もいた。そのそれぞれにそれぞれの葛藤や苦悩、焦燥や絶望があったはずだ。改めてこの土地に住む日本人の一人として、私は台湾の歴史をより深く知り、受け止める必要があると感じている。そして、戦後80年が経って多くの先達の血と涙と汗の結晶として勝ち取ってきた台湾の「自由と民主」という価値に対しても、今一度感謝と敬意を払わなければならないと思っている。

  • 本日のお別れの曲は、この番組のテーマソングで私のオリジナル曲『Promised Land』をOA。オーストラリアという異郷の地で「日本人捕虜」としてこの世を去ることとなった台湾出身の皆さんの魂が、故郷に無事に帰還できますようにとの願いを込めてお届けしたい。

    アートプロジェクト『When You Call My Name』ウェブサイト:
    https://mayu.com.au/WhenYouCallMyName/

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