<第1セクション:台湾の「新移民」が生まれた背景>
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先月のことだが、近所のコンビニエンスストアの入口に「齋戒月快樂(祝ラマダン)」の標語とともにポスターが貼られ、「椰棗蜜拿鐵(ナツメヤシジャム・カフェラテ)」と「椰棗蜜牛奶(ナツメヤシジャム・ミルク)」が売られているのを見かけた。しかも18時〜6時(日の入りから日の出までのラマダン期間中に飲食が許される時間)は1割引と書いてある。つまり、敬虔なイスラム教徒(ムスリム)であれば必ず1割引で味わえるということだ。
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今年のラマダンは2月28日〜3月29日であり、台湾では昔から在住のイスラム教徒は少数派ながら、インドネシア、マレーシア、中東諸国からの留学生や労働者が一定数いる。ラマダン期間中は台北市の台北大清真寺(台北モスク)や龍山寺周辺のイスラム文化センターなどで、特別な礼拝が行われたり、イフタールと呼ばれる日没後の食事が振る舞われたりするので、これらの場所ではラマダンの雰囲気を感じることはできる。ちなみに、台湾のイスラム教徒の人口は、台湾人が5万人、国際結婚、移住労働者や留学生まで含めると約30万人と言われている。彼らの中には台湾の「新移民」として、台湾社会に溶け込んでいる人たちも少なくない。
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本日はこの30年間で台湾の社会や文化の多様性を構成する重要なファクターとなった「新移民(新住民ともいう)」について整理してみたい。「新移民」とは、主に1990年代以降に台湾へ移住した外国出身者で、特に、中国・東南アジア諸国(ベトナム、インドネシア、タイ、フィリピンなど)からの結婚移民や労働移民を指す。かくいう私自身もこの「新移民」の一人である。
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2020年10月時点で台湾の「新移民」の人口は約56万人と報告されている。 これに基づくと、新移民は台湾の総人口(約2,300万人)の約2.4%を占める。この人口は、台湾の総人口の約2.5%を占め、約58万人と言われる「原住民」にほぼ匹敵する。また、「新二代(新住民二代目)」と呼ばれる「新移民」の二世まで含めると、その割合は台湾の総人口の約6~7%を占める。この数字を見ただけでも、「新移民」が台湾社会においてもはや無視できない規模の勢力となっていることがおわかりいただけるだろう。
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「新移民」が生まれた背景には、1980年代以降、台湾が「アジアの四つの龍(韓国・シンガポール・香港・台湾)」の一つに数えられ、著しく経済が発展した時期に、「移工」と呼ばれる外国人労働者や国際結婚が増加したことが挙げられる。特に1990年代~2000年代初めに、台湾人男性と中国人女性、あるいはベトナム、インドネシア、タイ、フィリピンなど東南アジア出身女性との国際結婚が増え、多くの女性が台湾に移住し、「新移民」として台湾社会に定着した。一方、介護、製造業、漁業、建設業などの現場で働く期限付きで滞在している外国人労働者は「移工」と呼ばれ、「新移民」と区別されている。
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台湾の政府はこうした「新移民」の定住を支援するための政策も実施している。「新移民」向けの華語クラスを開講したり、「新移民」二世の「新二代」と呼ばれる子ども向けには、奨学金の提供やバイリンガル教育などの支援を行ったりしている。また、労働・起業支援として技能訓練や職業紹介を実施する一方、「新住民文化節」などのイベントを開催するなどして、「新移民」の出身地の東南アジアの言語や食文化を台湾社会に紹介する取り組みも行っている。
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また、メディアでも「新移民」の活躍を取り上げる番組が毎年のように企画・放送され、こうした多文化共生の動きを後押ししている。かくいう私も「新移民」の文脈でこれまでに複数のメディア取材を受けたことがあり、現在も二つのテレビ局から同時進行で取材を受けているところであり、ドキュメンタリー番組の制作が進行中である。また、台湾国際放送を運営する中央廣播電台でも、「新住民」を取り上げたレギュラー番組を放送中である。
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もともと自他共に認める多文化共生型社会である台湾だが、「新移民」の台頭は、この多文化共生の概念をさらに推し進めることとなった。台湾社会に東南アジアの各国の文化の浸透も見られる。台湾の街を歩けば、至る所にタイ料理、ベトナム料理を掲げる看板が見られ、タイ式マッサージ店や東南アジアの食材を専門に扱う小売店も多い。また、以前この番組で紹介した新北市中和区の華新街は、通称「ミャンマー街」と呼ばれ、ミャンマー出身の移民たちのコミュニティーを形成し、本格的なミャンマー料理を提供する店がひしめいている。伝統的な仏教のお祭りである「潑水節(水掛け祭り)」などの行事も行われている。
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ここで1999年〜2003年に高雄の客家の里・美濃をベースに活動し、2002年には「金曲奨」の最優秀バンド賞を受賞した「交工樂隊」の演奏で『日久他鄉是故鄉(長く住めば異郷も故郷)』をOA。この曲は、現在は「生祥樂隊」のリーダーで、台湾客家のシンガーソングライターの林生祥さんが作曲者だが、歌っているのは東南アジアから台湾に嫁いできた「南洋台灣姊妹會」のメンバー。習いたての華語で「交工樂隊」のアルバム『菊花夜行軍』に収録されたこの1曲に果敢に挑戦した彼女たち。その歌声の向こうに秘められた、彼女たちの望郷の思いや第二の故郷・台湾に溶け込もうと奮闘する姿を思い浮かべながら、お聴きいただきたい。
<第2セクション:台湾社会を構成する一部となった「新移民」>
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さて、台湾の内政部移民署では、1987年1月以降に国際結婚や移民で定居した人を「新住民」と定義している。また、「新移民」という言葉が定着したのは、台北市では、2003年に民間団体が「正名運動(様々な名称から中国色を排除し台湾本土色のものに改めようという運動)」の一環として、中国籍やその他外国籍配偶者による投票によって「新移民」という呼称が採用された。実は「新移民」という呼称は、「新移民」たちが自分たちで決めた名称だったのだ。2004年12月21日には、これを追認する形で台北市政府が「新移民」という呼称を使用することを決議し、次第に社会に定着することとなった。
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しかしながら、「新移民」が台湾社会に本当に受け入れられるようになるまでには、紆余曲折もあった。以下は『獨立評論』誌の2022年4月28日付、劉苑杉さんの「誰是新二代?新住民子女在台灣的處境與成長(誰が「新二代」か?「新住民」子女の台湾での境遇と成長)」と題する署名記事からの抄訳である。
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「2003年に『天下』雑誌が『台灣變貌(台湾の変貌)』というタイトルで巻頭記事を掲載した。これは『外籍新娘(外国籍の嫁)』とその子どもたちの置かれた現状の特集だった。この記事は大きな反響を呼んだ。この記事で使われた『新台灣之子(新たな台湾の子)』という言葉が読者の耳目を集め、それまで通用していた差別的なニュアンスを含む『外籍新娘子女(外国籍の嫁の子)』という言葉に取って代わることとなった。」ただ、この「新台灣之子」にも差別的ニュアンスは引き継がれて使われ、学校の教室や地域コミュニティーから「新移民への蔑視が直ちに無くなったわけではない。それを一変させたのは蔡英文総統だった。
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記事は次のように続く。「2016年に蔡英文総統が就任し、いち早く『新南向政策』を打ち出すと、台湾の東南アジアブームに火が付いた。南へ向かう追い風に乗るように、今度は『新台灣之子』から一転し、『佈局東南亞的小尖兵(東南アジアへ向けた小さな尖兵)』としてもてはやされるようになった……(それまで台湾の『重荷』として蔑視の対象だった東南アジアの言語文化が、一転して『財産』となったのだ。『新二代(新移民の二代目)』たちは、突如としてクロスカルチャーとマルチリンガルのアドバンテージのある人々と持ち上げられた。)ただいきなり持ち上げられても、それまでとの大きなギャップに付いていけない方も少なくなかった。」
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とは言え、彼らは引き続きアイデンティティーの葛藤を経験しつつも、それから既にほぼ九年が経過し、今では台湾の「新移民」は、台湾社会の多様性を担保し、さらに推進させていく上で極めて重要な存在となっている。十数年前には、台湾の社会構造や文化を語る際には、「原住民」「閩南系本省人」「客家系本省人」「外省人」の四つの「族群(エスニックグループ)」の概念を用いて語られることが多かった。現在は二世である「新二代」も含めると、人口の6〜7%を占めるようになった「新移民」も、台湾社会を語る上で常に念頭に置くべき存在となっている。
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ただその一方、戦後八十年の間に、かつてのエスニックグループ間での通婚も進み、以前のように台湾社会をエスニックグループだけで単純に語ることは困難になった。それに取って代わるように、「生在台灣長在台灣(台湾で生まれ育った)」「吃台灣米喝台灣水長大(台湾の米を食べ水を飲み育った)」という概念が、徐々に定着していくようにもなった。これは党派を問わず、選挙の際にもスローガンとして使われもしている。かつては自分のアイデンティティーで葛藤を強いられた「新二代」の青年たちも、今では「自分は台湾人であり、もう一人の親の出身国の人間でもある」と考える層が増えてきているように思う。
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ではここで「寳島歌王」と称される台湾歌謡の大御所・葉啟田さんが歌い、カラオケでも中高年の人気曲『愛拼才會贏(Ài piànn tsiah ē iânn,頑張ってこそ成功する)』をOA。
<第3セクション:台湾のあらゆるシーンで活躍する「新二代」>
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最後に私の推しの「新二代」のミュージシャンで、ベトナムのバックグラウンドを持つ「桃子A1J」さんについて紹介したい。桃子A1J(本名:陶怡君、A1Jは本名のイニシャル)さんは、幼少期をベトナム・ホーチミン市で過ごし、母がベトナム人、父が台湾人のミックス。台湾にやって来たのは小学6年生の時という。当初は華語を話せず、クラスメートとのコミュニケーションにも苦労したり、差別的な発言を受けたりした経験もあるそうだ。それでも「慣れないものに出会ったら、少しずつ知っていけばいい。」という緩やかな姿勢で、大学のキャンパスから人気が出て、音楽クリエイターの地位を築き上げた。
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台北とホーチミン市はどちらも「家」だと述べる桃子A1Jさんは、異国での生活について、かつて雑誌『ELLE』台湾版(2022年3月9日)のインタビュー記事でこう語っていた。「新しい環境に入ったら、まずはその街をじっくり観察する。まるで人と仲良くなるのと同じようなもの。相手の性格や習慣、話し方やイントネーションを知って、『自分はどの部分に馴染めそうかな?』と考える。そして、無理せず自然に溶け込むのが大切。世の中には、気が合わない人もいるし、馴染みにくい文化もある。でも、それをいちいち『なんでこうなの?』と否定するのではなく、それぞれの土地にはその土地の文化や歴史があることを受け入れる。もし慣れないものに出会ったら、すぐに拒絶するのではなく、ゆっくり理解していけばいい。それが私の生き方!」相手の文化に対する関心とリスペクトと寛容さ、時間をかけて理解することの大切さ、この言葉には国際交流の奥義が詰まっている。
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桃子A1Jさんは、徐若瑄(ビビアン・スー)さんが2022年にリリースしたシングル『VIVILAND』を共同で作曲しているほか、王水源さんとのユニット「水蜜桃偵探社」の『尋人』では、「人人有機車」母語創作コンテストで優勝している。台湾語とベトナム語を融合させたこの楽曲は高く評価された。2023年には台北の大稻埕で開かれた『島語音樂會』という野外コンサートで、私も桃子A1Jさんと同じステージに立って実際に彼女の音楽を生で耳にしたことがあるが、ヒップホップがベースにありながらも、様々な文化バックグラウンドが詰まった都会的で斬新な音だったことが特に印象的だった。
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本日のお別れの曲は、先ほど紹介した桃子A1Jさんと王水源とのユニット「水蜜桃偵探社」の歌で母語創作コンテスト優勝曲『尋人(尋ね人)』をOA。
Rti 台湾国際放送
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