<第1セクション:国際貿易都市から観光文化都市へ変貌を遂げる『雨都』基隆>
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リスナーの皆さん、こんばんは。寒かった今年の冬もようやく終わりを告げ、本日が3月初めての放送となる。これから日本でも桜前線が徐々に北上していく季節だが、台湾でも阿里山や陽明山などの桜の名所から続々と開花の便りが届く時節でもある。待ち侘びた季節がようやくやって来た。
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昨年末のことだが、台南在住の歴史研究者・黒羽夏彦さんから、黒羽さんが日本語訳を担当され、日本のみすゞ書房から出版された魏明毅著『静かな基隆港ーー埠頭労働者たちの昼と夜』をご恵贈いただいた。この本を著した魏明毅さんは心理カウンセラーであるとともに、人類学の研究者でもある。彼女の修士論文を元に単行本化され、華語で書かれた原著『靜寂工人--碼頭的日與夜』は、2016年に台湾の文学賞で最も権威のある「金鼎奨」を受賞した。本日はこの『静かな基隆港ーー埠頭労働者たちの昼と夜』の内容や読後の感想を紹介していきたい。
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その前に本書の舞台となった基隆がどういう街なのか、ざっとおさらいをしておきたい。台湾交通部観光署の説明には次のようにある。「基隆は台湾北部に位置し、三方を山に囲まれ、北側のわずかな平地のみが海に面し、水深が深くなっている湾が基隆港である。市街区に食い込んだ港湾は、広々と海水を湛え、貿易港、軍港、漁港の役割を一手に担い、北台湾の玄関口となっている。」清朝が台湾を統治し、「鶏籠」と呼ばれていた時代から、台湾を代表する天然の良港だった。日本統治時代にこの地の名は「基隆」と改められ、1902年頃までに大型船が停泊できるよう港湾整備が進み、神戸、門司、長崎、横浜などと定期航路が結ばれた。また、1908年には台湾縦貫鉄道が基隆港から高雄まで敷かれ、文字通り「北台湾の玄関口」となった。
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また、基隆は一年のうち平均189日が雨天であると言われ、「雨港之都」の異名もあるほどだ。これは中国大陸に面した地形が、東北の季節風の影響を受けやすく、この風が比較的暖かい太平洋の海水に触れて、湿気を含んだ風が基隆を取り囲む山にぶつかって雨をもたらすと言われる。年間平均気温も、この雨のため台湾の他の地域より低く22度前後となっている。
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30年ほど前まではコンテナ船が多く出入りする貿易港のイメージが強かった基隆だが、昨今では豪華客船や遊覧船の姿が目立つようになった。交通部観光署の「台灣十二大地方慶節(台湾十二地方祭典)」の一つに数えられ、「南に虎尾、北に基隆」ありと言われる旧暦7月の中元節のお祭りにも毎年多くの観光客を集めている。基隆という街自体が、貿易都市から港湾観光文化都市へと変貌を遂げようとする強い意志が感じられる。2016年に私が主人公の父親役で出演した台湾港湾公司基隆分公司が制作したショートフィルム「Nice to meet you」も、豪華客船が舞台の沖縄と基隆を結ぶ観光振興がテーマの作品だった。福建の漳州を開いたとされる開漳聖王を祀る奠濟宮(てんさいぐう)の門前に広がる「廟口夜市」や北部台湾最大級の魚市場などの観光資源も健在だ。
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雨が多く湿っぽいのは確かだが、表舞台だけを見れば、基隆は北部台湾の船舶の玄関口の華やかな国際港湾都市という漠然としたイメージを自分は長らく持っていた。ところが、魏明毅さん著、黒羽夏彦さん訳の『静かな基隆港ーー埠頭労働者たちの昼と夜』は、港湾労働者へのインタビューを通じて国際貿易港としての基隆の栄華と没落の歴史、そこに生きる港湾労働者の生の暮らしをドキュメンタリータッチで描き、自分が今まで見過ごしてきた台湾社会の影の部分を浮き彫りにしてくれる衝撃的な作品だった。
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この作品についてお話しする前に、こちらの歌をお聴きいただきたい。『寶島低音歌王』などの異名を持つ郭金發さんが歌ってヒットした『基隆山之戀(Ke-lâng-suann-tsi-luân)』を本日は秀蘭瑪雅さんと羅建章さんのデュエットバージョンでお届け。基隆港を見下す基隆山に咲いた恋心を歌うこの歌、この曲の原曲は、1934年に『いつでも夢を』や『有楽町で逢いましょう』などのヒット曲で知られる佐伯孝夫さんが作詞、佐々木俊一さんが作曲、徳山璉さんが歌った『赤い灯青い灯』。台湾ではこの曲は「寶島歌王」「國賓歌王」などの称号を持つ文夏さんが、文字通り『紅燈青燈(hông-ting tshenn-ting)』のタイトルでも歌っている。
<第2セクション:底辺労働者の生活に寄り添い、忘れ去られた歴史を刻む>
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さて、『静かな基隆港ーー埠頭労働者たちの昼と夜』の原著者の魏明毅さんは、長年心理カウンセラーとして活躍していた。しかし、いくら真摯にクライアントに向き合い続けても、クライアントは減るどころか、むしろ増え続けていくという状況に限界を感じた彼女は、クライアントを生み出す原因を作っている社会構造に目を向けるべきだと考えるようになり、社会人学生として大学院で人類学を学び直すこととした。そして、もともと心理カウンセラーであった魏さんは、「なぜ基隆は男性の自殺率が全国一高いのか」というテーマに目を向け、基隆の港湾労働者に聞き取り調査を始める。本書は魏さんがその時に執筆した修士論文を改編したものだ。
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台湾のオンラインブックストア「博客來」には、本書はこのように紹介されている。「これは、国境を跨るサプライチェーンの破壊、新自由主義の潮流、港湾労働者の波乱、茶屋の女性によるホステス文化、生活の崩壊と下層階級の窮状を描いた「悲哀のエスノグラフィー(行動観察調査)」である。この本の主人公には、国から見捨てられた港湾荷役作業員、赤字続きのコンテナトラック運転手、惨憺たる暮らしの露天商、年季の入った茶屋のホステス、言葉を失い無能の烙印を押された父親たちが登場する。彼らの深い淵のような人生の姿を見つめるには、この半世紀にわたるこの島の「発展」の軌跡を振り返らなければならない。」この数行の文を読んだだけでも、気が重たくなりそうだ。だが、光も闇も見つめてこそ、初めて歴史の全容は明らかになるのだ。続いて基隆の貿易ハブ港としての歴史を次のように紹介している。
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「1956年、アメリカのSea-Land社の貨物船Ideal X号がコンテナを積載して出航してから、コンテナ輸送の時代が始まった。1972年、基隆港務局は初のコンテナターミナルと積み下ろし施設を開設。1984年、基隆港は世界で7番目に大きなコンテナ港となった。その後、1999年に基隆港の港湾運営は民営化され、2016年、基隆は開港130周年を迎えた。これは世界の海上コンテナ輸送が始まってから60周年でもあった。上述の要約の主流の記録の下で、何か重要な社会史のディテールが見落とされて来たのではないか?実際の生活の痕跡を消し去られてしまった人々がいるのではないだろうか?これらはまさに『静かな基隆港』が明らかにし、答えようとしているものなのだ。」
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心理カウンセラーのバックグラウンドを持つ著書の魏明毅さんは、この「生活の痕跡を消し去られてしまった」人々に寄り添っている。そして、人類学の研究者として埠頭や彼らの出入りする待合室や茶屋、家庭に何度も足を運び、丁寧なフィールドワークによる聞き取りを行うことで、表向きの歴史に埋もれた港湾労働者たちの生の声を引き出すことに成功している。と同時に、新自由主義の浸透による既存のサプライチェーンの破壊、その対応が後手に回った挙句、埠頭生活者を結果的に切り捨てることとなった政策に対しては、鋭い批判も向けている。
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著者の魏明毅さんは、以前台湾の上記「博客來」の取材に答え、「私は読者を泣かせるためにではなく、読者に“息苦しさ”を感じてもらうためにこの本を執筆しました。」と発言をしている。 インタビュー記事はこう続いている。「魏明毅さんは『静かな基隆港』の原稿と向き合うたびに、ひどい息苦しさを感じたと語った。この本の序文を執筆した呉易澄医師も、読み終えた後、同じく息苦しさを感じたと彼女に語った。 『鬱屈した気持ちから逃れられなくなるでしょう。読んで泣くことはないかもしれませんが、なぜか何かが胸に支えて取れない。その息苦しさは、決して個人の不適応に起因するものではなく、システム、国、社会、政治経済が一連に結びついているものなのです。皆さんに同情や辛い気持ちを感じてもらいたいわけではありません。読んだ人が、自分は世界とはいったいどのような関係にあるのか、自分たちももしかすると彼ら(港湾労働者たち)と同じような状況になっているのではないか、と自ら顧みてほしいのです』」
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そう、この本を読み終えた後の私の最初の感想は、この「息苦しさ(『悶』)」に他ならない。コンテナ時代の到来で、かつては家庭を顧みずに夜な夜な仲間と宴を開き、茶屋で遊び、札束を切るほど羽振りが良かった港湾労働者たちが、次に訪れた新自由主義の荒波に呑まれ、1984年世界第7位の交易額を誇っていた港がみるみるうちに没落するのとともに、底辺階層へと押しやられていく様は、決して「自業自得」といった言葉で簡単に片付けられるものではない。大きな時代背景の中では個人はなすすべもなく流されていくのが、むしろ大多数の状況であろう。だからこそ、著者の魏明毅さんは読者にこの“息苦しさ”を共有してほしいとの思いでこの本を著し、「自分たちももしかすると彼らと同じような状況になっているのではないか、と自ら顧みてほしい」と願ったのだ。
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本日の二曲めは、張秀卿さんが歌った『基隆雨(Ke-lâng-hōo)』をOA。
<第3セクション:「ガウ・ラン」の功罪>
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『静かな基隆港ーー埠頭労働者たちの昼と夜』に何度も出てくるキーワードがある。訳者の黒羽さんが台湾語をそのまま用いて説明した「ガウ・ラン」という言葉である。「できるヤツ」といった意味だが、飲み会や茶屋遊びでの金払いが良く、仲間の面倒見も良く、かつての基準で「男らしい」と見なされた人を指す。羽振りが良かった時代はそれが通用したが、時代状況が変わるとそれが仇になった。弱音を吐くこと許されない「ガウ・ラン」を自認する男たちは、自分が陥った経済的社会的困難な状況、心理的苦悩を打ち明けられる本当の友人は見当たらない。飲み会や茶屋遊びに明け暮れるお金もなく、仕方がなく長い間顧みてこなかった家庭に戻るが、長年放って置かれた家族の対応は冷ややかで会話もない。夫としても子どもたちの父親としての居場所もすでに無くなっていた。基隆の自殺率が突出しているのは、雨が多く悶々とした気候も一役買っているのだろうが、最大の原因はここにあったのだと本書を通じて理解した。
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そして、もう一つ私にとって印象的だったのが、これらの港湾労働者たちの多くが、基隆の地元出身ではなかったという事実だ。もちろん、この地で家族を設けた後の子どもたちは基隆生まれだが、もともとは当時景気の良かった基隆に中南部の故郷を離れ、出稼ぎに来て住み着いた人たちがほとんどだった。彼らの多くが、埠頭とその周辺、街中の茶屋を除けば、地元の人々との交流はほぼ隔絶していた。そして、大きな時代状況の中で、この世の天国と地獄の両方を見ることとなったのである。さらに、こうした彼らが生きた証というのは、魏明毅さんが彼らの聞き取り調査をし、本書が世に出るまでは、歴史のメインストリームに完全に取り残され、ほぼ顧みられることもなかった。魏さんの功績は、台湾で最も栄誉のある文学賞「金鼎奨」で報いられることとなった。
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黒羽夏彦さんの翻訳も素晴らしかった。品格がありながらも読みやすい言葉選びも、台湾社会や文化に精通した学者らしい丁寧な注釈も、読者にとっては原著の内容を理解する上で大いに助かった。自分が知らなかった台湾史や台湾社会の一面を知る機会を得たことは大変有り難かった。この場をお借りし、改めてご恵贈いただいたことに感謝したい。
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台湾では「柚子」と呼ばれるザボンが芳しい白い花を付ける頃。本日のお別れの曲は、阿家-林助家さんの『柚子花(iū-á-hue)』をお届けし、故郷を離れ、『静かな基隆港』という著作の中で基隆港の歴史の1ページとなった皆さんに捧げたい。
Rti 台湾国際放送
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