<第1セクション:今年も中秋節には月を愛でよう>
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明日で1か月にわたった台湾の「鬼月」も終わり、「好兄弟」と呼ばれる無縁仏たちもあの世に戻り、地獄の門「龕門」も閉じられる。旧暦の8月に入れば、白露、秋分という節気の間に、台湾三大節句の一つ「中秋節」が訪れる。「鬼月」でやや鬱屈した気持ちを一気に整えるという意味でも、台湾社会にとっては大事な行事だ。今年は9月17日が旧暦の8月15日、いわゆる十五夜に当たり、中秋節となる。
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中秋節の起源や現代での台湾での一般的なこの節句の過ごし方については、昨年9月24日に放送した回で解説しているので、そちらをご参照いただきたいと思う。ただ初めてのリスナーの方に簡単におさらいをすると、「中秋節」に盛大に月を愛でるようになったのは、おおよそ唐代の頃からであり、古代中国の「嫦娥奔月(じょうがほんげつ。嫦娥、月にはしる)」の故事に影響を受けたというのが有力な通説である。嫦娥は仙女の西王母から「仙丹」という不老不死の薬を盗んで飲んだことをきっかけに、月に登り、弓の名手の夫・后羿(こうげい)と離れ離れになったという神話で、日本のかぐや姫のモデルともなったことも以前述べた。
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また、中秋節に月餅を食べるようになったのは、唐王朝の建国の功労者である「裴寂(はいせき)」が月餅を軍人に食糧として振る舞ったところ、隋に反旗を翻した義勇軍の取り込みと食糧不足の解決に成功したという故事に基づいていることも紹介した。現代では、それぞれの地方の特色を持った「廣式」「蘇式」「京式」「港式」「台式」など様々な種類の月餅に加え、餡の素材や食べやすさ、デザインにこだわった創作月餅も年々増えている。月餅ではない、パイナップルケーキなどの他の菓子を贈り物にすることもある。端午節では会社や友人どうしの間でちまきを贈ったり、贈られたりするのと同様に、この時期は月餅(あるいはその他の菓子)が関係者の間を飛び交うことになる。
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月餅は台湾のみならず、中国や東南アジアなどの華人社会では共通する中秋節の必須アイテムだが、台湾独特の風習としては、「柚子(ヨウズ)」と呼ばれる文旦(ザボン)をこの時期に食べることと、一家団欒となるこの時期をターゲットに、「焼き肉のタレ」を製造する食品メーカーが仕掛け、定着した家族や会社の同僚、友人たちとのバーベキューを楽しむことであることもお伝えした。焼肉をこの時期に食べるようになったのは、ちょうどお菓子会社の戦略で、2月14日のバレンタインデーにチョコレートを贈る風習が日本で定着した構図と大変よく似ている。台湾の食品会社、天晴れである。
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中秋節に月を愛でるのは、この日の月は他の時期に比べより丸く、明るいからである。昔は庭園の亭(あずまや)や山に登って月を愛でることが多かったのだろうが、台北では人気観光スポット「台北101」の89階展望台や一部のレストランやバーなどの営業時間が「月を愛でられるように」と延長となったそうだ。少しでも月に近付いて月を鑑賞したい方には、打ってつけの場所だろう。また、台北101近くの象山の頂上から眺める月も乙だろう。
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では、ここで徐佳瑩 LaLaさんの歌で『一樣的月光』をOA。私の世代にとっては、1980年代に一世を風靡した蘇芮(ジュリー・スー)さんの同じタイトルの曲が思い浮かぶのだが、LaLaさんの曲では、「同じ月の光なのに、私の未来をはっきり照らし出すことはない」と、一つの恋が終わりに向かいつつある切ない女心を歌い上げている。
<第2セクション:地方色ある中秋節:金門の「博状元餅」と美濃の「水鴨公」>
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さて、前節では私が昨年も紹介した台湾の「中秋節」の起源や特徴について、駆け足でおさらいしてみたが、ここからは、台湾のさらにローカルな地域の、そこだけでしか見られない「中秋節」の祝い方を紹介していこうと思う。
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まずは、金門島の「金門博状元餅」について。まず、金門島といえば、中国の福建省の厦門の目と鼻の先で、一番近いところでは2.1キロメートルしか離れていない。国民党と共産党が中国の管轄を争った「国共内戦」の時期には紛争の最前線で、1949年に蒋介石率いる中華民国軍が中国大陸から撤退した際の古寧頭戦役や1959年の金門砲戦の際も、中華民国側が防衛に成功。以降、一貫して中華民国、すなわち台湾の統治下にある場所だ。その一方、地理的歴史的背景から、台湾と中国の交流の窓口となっている場所でもあり、したがって常に中国側が占領を虎視眈々と狙っている場所であるとも言える。
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それはさておき、金門島にはここにしか見られない風習がいくつかあるが、そのうちの一つが、中秋節の「金門博状元餅」だ。昨年9月26日付のTaipei Naviさんのスペシャル記事「【台湾三大節句】2023年の中秋節はこう楽しもう!」に、この「金門博状元餅」について簡潔に説明されていたので、その記事から引用する。「簡単に言えばサイコロ遊びのことで、月餅をかけて遊びます。その月餅につけらる名前は「科挙」の階級名(状元、榜眼、探花、進士、舉人、秀才)。というのも、金門の土地は貧弱で生産できるものもなかったため、昔から多くの人が科挙試験に挑戦し、生活の向上と改善に努めてきたからです。サイコロの目によって、どの階級に合格するか、つまりどの月餅がもらえるかという勝負がつきます。しかも、それがその年科挙に合格するのか(勉強運)を予知し、未来1年間の運勢も占っていたといいます。」
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この略称「博餅」と呼ばれ、サイコロで月餅を賭ける遊びは、金門島だけではなく、中国側も含めた閩南地方に広く伝わる特有の民俗文化である。その由来は、鄭成功の時代にまで遡る。金門洪門港(后豐港)の鄭成功の軍営には洪旭という将軍がいた。鄭成功率いる軍が金陵(現在の南京)に攻め入った際に、留守を預かる厦門の兵士の気持ちや望郷の念を落ち着かせるため、この「博状元餅」のゲームが考案されたと言われている。兵士たちが中秋節にこのゲームに興じていたのをきっかけに、厦門、泉州、金門等の地域に伝わり、現在では中秋節の民間の娯楽イベントとして定着した。「博餅」のイベントは300年以上も続いた。国共内戦の金門戦役でいったん途絶えたものの、民俗文化の伝承と観光の発展のために復活した。2012年には「台灣觀光年曆(台湾観光カレンダー)」にも選ばれ、国際的観光イベントとなった。
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このほか、高雄の客家の里の美濃では中秋節に「水鴨公(雄のアヒル)」を食べる風習がある。こちらも2011年9月11日の『中国時報』の記事に次のように紹介されている。「 美濃の一帯は古くから稲作をする農家が多かった。農家では水田にアヒルを放ち、害虫や雑草を食べてもらうエコな農法が盛んだった。中秋節前にはアヒルは1斤(600グラム)にまで太る。農家ではメスのアヒルは卵を産んでもらうために残しておき、オスは締められて茹でた冷製(オードブル)のダック料理となる。これは長らく続く美濃の客家人の中秋節に出される特別な家庭料理となり、『吃水鴨公過中秋(ダックを食べて中秋節を過ごす)』と呼ばれる風物詩となった。」美濃の街では、中秋節の時期に鶏やアヒルの肉を売る屋台も登場するそうだ。
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では、ここでMAYDAY五月天 『私奔到月球(月まで駆け落ち)』 feat.陳綺貞(チアー・チェン)を OA。中秋節には地球上のどこにいようと、平和な気持ちで月を愛でたい気持ちに変わりはない。ましてや 『私奔到月球(月まで駆け落ち)』してしまうというこの歌の若き日の情熱には、遠い目をしながら微笑むしかない。
<第3セクション:地方色ある中秋節:礁渓の「盪鞦韆」と台中大里の「樹王公」>
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あと二つほど地方色のある中秋節のイベントを紹介しておく。宜蘭の温泉地・礁渓では、中秋節に「盪鞦韆」と呼ばれる大ブランコ競技が行われている。この行事は134年も続いているそうだ。以前は関羽を祀る協天廟で行われていたこの行事は、毎年黒山の人だかりとなるほどの人気で、村人の平安を祝い、村人たちの一体感を演出する中秋節のメインイベントだった。現在では会場を礁渓小学校に移し、決勝では最大高度が7.3メートにも及ぶ大ブランコを選手は3分間漕ぎ続け、選手の体力、バランス感覚、度胸を審査する競技となっている。優勝者の賞金額は3万元。
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また、台中市の大里区では、每年中秋節に「樹王公」と呼ばれる樹齢800年、高さ15メートル、幹回り7.1メートルにも及ぶ「茄冬(アカギ)」の老木の生誕を祝うお祭りである。台湾には廟の神明と子どもが、一種の義理の親子関係を結び、成長するまでのその神明の保護を受けるという「契子」という風習があるのだが、その「契子(廟の神明の義理の子)」認定を受けた子どもたちとその親たちが、御神木の「樹王公」に日頃の感謝を込めてお祝いするというものだ。この行事の起源は清朝の乾隆帝の時代まで遡るが、詳細はここでは割愛する。
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このほかにも台湾は各地に独特の風習が残っているが、民俗学の角度から検証すれば、きっとさまざまな発見があることだろう。いずれの伝統行事も、結局のところその土地に住んでいる人々や家族・親族の親睦と豊作や平安の祈願がベースとなっているように私は思う。いずれにせよ、今年の中秋節が無事お天気に恵まれ、皆さんがしっかりと月を愛でられるよう祈りたい。また今年の五穀豊穣と皆さんの平安をあわせて祈りたい。
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本日のお別れの曲は、張雨生Tom Changさんの『帶我去月球(私を月に連れてって)』。澎湖島出身で張惠妹A-Meiをはじめ、多くのアーティストのプロデューサーとしても活躍した張雨生さん。1997年に交通事故で帰らぬ人となったが、その高音で伸びやかな歌声は今でも多くの人々の記憶に残っているはずだ。この曲『帶我去月球(私を月に連れてって)』をモチーフとした映画も2017年に公開されている。当初は日本の著名アーティスト役でこの映画への出演依頼もあったのだが、私の年齢が高すぎてイメージに合わないとの理由で、結局、私より17歳年下の私の演劇の師匠・ジョニー松田さんがこの役を演じることとなったのはご愛嬌。
Rti 台湾国際放送
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