<第1セクション:「鬼月」と「中元節」>
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リスナーの皆さん、こんばんは。台湾では旧暦の7月は地獄の門が開くという「鬼月」を迎える。今年は8月4日が旧暦の7月1日で、本日8月18日は旧暦の7月15日、ちょうど旧暦7月の中日の「中元節」に当たる。この「鬼月」について、台湾在住の作家・栖来ひかりさんが、ご著書の『台湾りずむ』の元ネタとなったWEBマガジン『ほんのひととき』で次のように解説されている。
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「日本各地でお盆行事が行われる8月だが、台湾では旧暦七月を「鬼月」といい、(中略)この世と地獄を隔てる「鬼門」がひらき、あの世から亡者たちが戻ってくる。現代日本でいう「お盆」が主にあの世から先祖を迎えるのに対し、台湾の鬼月で迎えるのは好兄弟(ハオションディ)と呼ばれる身よりのない亡者の魂だ。」「好兄弟」というのは、日本でいうところの「無縁仏」に近い。
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台湾では旧暦の7月15日の「中元節」に、一年のうちで最も盛大な「中元普渡」呼ばれる「拜拜(バイバイ、道教式のお祈り)」を行う。地獄から出てきて彷徨っている「好兄弟(無縁仏)」をもてなし、紙錢を燃やして冥福を祈る。この時期の台湾は、この「中元普渡」のために、お供え物となる「三牲」と呼ばれる「鶏・豚・魚」やお菓子や飲料などの商品が、コンビニやスーパー、量販店に所狭しと並ぶ。そして「中元節」当日は、アパートやマンションの前、会社のビルの前にお供え物がぎっしりと並べられ、線香が焚かれ、皆で「拜拜(バイバイ、道教式のお祈り)」する姿を街の至る所で目にすることができる。
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中元節の日は道教の最高神・玉皇大帝の三兄弟のひとり、地官大帝の誕生日に当たる。身寄りのない魂を不憫に思った地官大帝が「自分の誕生日は祝わずとも良いから、無縁仏の魂を祀るように」と言ったことから、この日が死者へのおもてなしの日となったとのことである。中元節の「拜拜」では、先に述べた食品類のお供え物とともに、水を張った洗面器とタオル、最近では歯ブラシなどを一緒に置くことがある。「好兄弟」と呼ばれる無縁仏に、顔を洗ってさっぱりとしてもらうためだ。こうした考え方が派生して出てくるのも、死者を思い労わる台湾の人々の優しさなのだろう。
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中元節の前後の「鬼月」には様々なタブーもある。栖来さんの『ほんのひととき』の記事から再び引用する。「地獄の門を見張り、悪さをする好兄弟を捕まえる将軍や武将といった神様(七爺八爺)は、この一か月のあいだ夏休みを取る。そんな訳で、亡者たちと共に暮らすこの鬼月は生者にとっても色々と気の張る時期で、多くの禁忌が伝えられる。例えば、不動産や車を買わない、結婚式を挙げない、海辺で遊ばない、夕暮れ以降の山にはいかない、夜に洗濯物を干さない、赤い下着をつけない、傘をさしたまま家に入らない、風鈴をさげないといった具合だ。海辺や山には好兄弟が集まりやすいこと、赤い色はあの世と通じること、洗濯物の湿り気や風鈴の音色が持つ陰気に好兄弟が引き寄せられるなど、理由も様々である。」
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台湾の「鬼月」の中日の「中元節」は、日本のお盆と時期は重なるが、日本のお盆が仏教の「盂蘭盆」を背景とし、先祖の霊を迎えする行事であるのに対し、台湾の「中元節」は「盂蘭盆」の要素も入ってはいるが、基本的には道教を背景とし、主として身寄りのない亡者の魂を迎える点が最も異なるところだろう。そして、ふだんは地獄の門を見張っている「七爺」「八爺」と言った閻魔大王にお仕えする神様が、この時期に1か月もの夏休みをとってしまうというのだから、生きている者にとっては何とも緊張を強いられる日々となる。
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日本ではお世話になった人に贈り物をする習慣が「お中元」という言葉に残っているが、台湾や東アジア・東南アジアの中華圏では、「天界・地獄・現世の世界がつながり、道教および仏教においては、故人の苦しみを浄化するための儀式を行う」日、すなわち「鬼月」の15日目が「中元節」であり、言葉の持つ響きやニュアンスがだいぶ異なる点には留意が必要だろう。「中元においては、紙製の船や灯篭を川に流すことがあるが、これは祖先の失われた霊に道しるべを与えるという意味がある」とWikipedeaでは説明されている。日本でも見られる灯籠流しの風習もここから来ている。
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台湾では「鬼」と呼ばれる「幽霊」や「妖怪」と言えば、「同根生」さん。このバンドの右に出る者はいない。最近ではパリオリンピックでも台湾の文化を伝える代表使節としてパフォーマンスを行った彼らだが、「同根生」さんのアルバム『邊緣轉生術(Holy Gazai)』から『八寶公主(Princess Bubble)』をOA。このアルバムで、柯智豪(ブレア・コー)さんが2023年の金曲奨最優秀台湾語アルバムプロデューサー賞を獲得している。
<第2セクション:「鶏籠中元祭」>
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2019年の夏のことだった。大学の先輩が夫妻で台湾を訪れたことがあり、ちょうど中元節の時期だったので、「鶏籠中元祭」を見学することとした。「鶏籠」は「基隆」の旧名、台湾語ではどちらも「ケェラン」という音になる。基隆では旧暦7月1日に冥界に続く門「龕(かん)門」が開き、基隆最大の陰廟である「老大公廟」にいる亡霊が現世に戻るので、ご馳走を用意して迎えることになる。また、旧暦7月14日に基隆の海で行われる「放水燈」と呼ばれる灯篭流しは実に盛大で、毎年多くの観光客を集めている。「雞籠中元祭」は1855年に始まり165年も途絶えることなく続いてきた。2008年には「国家文化資産」の「国定重要民俗」に指定されている。
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「雞籠中元祭」の起源をもう少し詳しくみてみよう。清朝以前のいわゆる台湾の開拓時代には、大陸より入植した出身地の異なる集団間で、水利や開墾地の争奪などで争いが絶えなかった。清朝の咸宝元年1851年8月には、漳州と泉州の人々との間で大規模な衝突が発生、多くの人々が死傷する騒ぎに発展した。対立を丸く治めるために、喧嘩ではなく民間武術によって互いに競い合うこととなり、やがて神明に武術を奉納するようになった。
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また中原の風習として行われていた旧暦7月の盂蘭盆の行事も同時に行い、オランダ人やスペイン人と戦った烈士、武闘で命を落としたり、海難や伝染病で亡くなった無縁仏も一緒に供養するようになった。こうして、咸豊5年(1855年)、基隆の十一氏族(張廖簡、呉、劉唐社、陳胡姚、謝、林、江、鄭、何藍韓、賴、許など)の宗親会(のちに十五氏族になる)からの申し出で、当番制で順番にで供養の法事を主催することとなったのが、今日の「鶏籠中元祭」の姿である。
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2019年の「鶏籠中元祭」では、旧暦7月14日夜には「花車」と呼ばれるランタンで装飾された山車の市街パレードと八斗子望海巷で行われた「灯籠流し」を見学した。港町である基隆はその土地柄、水中を浮遊する霊が多いため、その霊を鎮めるための基隆ならではの特色のある祭事である。水中の「好兄弟」にも陸で灯篭を一緒に楽しんでもらえるよう水路を明るく照らし、街中を「花車(山車)」が練り歩く。そして、火を放った灯籠を深夜の海に流し、水中を彷徨う霊を導くというものだ。
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ではここで、もう一つの救われなかった魂をテーマに創作をしているバンドで、先週も紹介したが裝咖人さんのアルバム『夜官巡場(捨てられた神明の夜廻り)』から『出庄(村を出る)』をOA。この曲は二二八事件の犠牲者・陳顯富さんが銃殺された後、家族の元に遺体すら戻って来なかったことが、創作の起点となっている。MVの中では阿富(陳顯富)さんの母親が、地獄に行って阿富さんの魂を探し求めるという内容になっている。移行期の正義を正面から扱った彼らの作品はある種の祈りであると私は感じる。
<第3セクション:宜蘭頭城と屏東恒春の奇祭「搶孤」>
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台湾の「中元節」には「搶孤」と呼ばれる奇祭も宜蘭頭城と屏東恒春で行われている。搶孤は「中元普渡」の拝礼の後に、祭礼のお供えの品を民衆に提供したところ争うように取り合ったことから「搶孤」と呼ばれるようになったのが始まり。
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「搶孤」はチームで競われるイベントで、高さ十数メートルほどの柱をチームで協力しながら登り、上に置かれたお供え物と旗を奪い合うというもの。しかし、たびたび転落等の事故や喧嘩が発生したため、清朝末期には危険であるとの理由で禁止され、また日本統治時代にも戦争によって大型イベントが御法度となり禁止されている。しかし、転落防護ネットや安全ロープなどの安全対策を施した上で、屏東県恒春では1981年から、宜蘭県頭城では1991年から再開。現在では、無縁仏の供養から運動競技へと発展を遂げ、観光とスポーツを融合した民俗公演イベントとして定着している。また、恒春では現在は外国人チームも参加可能となっているそうだ。
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この「搶孤」の競技として最も難しい点は、何と言っても上に登る際の柱にべったりと牛脂が塗りたくられており、ずるずる滑って登るに登れないことだ。実は私は「搶孤」を映像で見たことがあるだけだが、大変な難儀な競技であることは想像に難くないだろう。台湾三大奇祭の一つである「搶孤」を、いつか実際にこの目で見てみたい。
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本日は2010年の韓国映画『Hello Ghost』を昨年台湾でリメイクした作品『我的麻吉4個鬼(英題:Hello Ghost)』のテーマソングで韋禮安(WeiBird)さんが歌った『一直都在/All Along(ずっと一緒)』をお聞きいただきながらお別れ。この映画は自殺に失敗し病院で意識を取り戻した主人公が、4人の幽霊が見えるようになる。彼らを成仏させるために幽霊の願い事を叶えるのだが、病院で出会った看護師の女性と恋に落ちるというラブコメディー。
Rti 台湾国際放送
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