<映画の現場との出会いは突然に>
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台湾映画と私の関わりは、突然訪れた。2008年のことだった。当時、財団法人交流協会台北事務所文化室長の任にあった私は、この年から3年間「台北映画祭」に賛同する形で、同映画祭に招待された日本と台湾の監督や俳優の方々の交流会「日本之夜(Japan Night)」を企画・主催した。交流協会台北事務所という組織は、国交の無い日本と台湾において、民間財団の形を取りながらも実質的には大使館の役割を果たしており、私はその広報文化部門の責任者という立場だった。このイベントの初年度は、この映画祭でグランプリに当たる「百万首賞」を受賞した『海角七號(邦題:海角七号 君想う、国境の南』(魏徳聖監督)が、5億3千万元(現在のレートでは約26億5千万円)もの記録的大ヒットを飛ばした年だった。
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そしてこの年、その陰で一本の日台合作映画の撮影が進行していた。台湾の花蓮県を舞台に芥川龍之介の小説を改編し、川口浩史監督が初めてメガホンを執り、翌2009年に公開された『トロッコ』である。この作品は、侯孝賢監督のチームが全面的に撮影に協力した。侯監督曰く、「昔、自分も日本の映画人に助けてもらったから、今度はお返しをする番」ということだった。主演は河瀬直美監督作品の『萌の朱雀』や『殯の森』でも主演を務め、後にNHKの朝の連続テレビ小説『カーネーション』の主演で大ブレークした尾野真千子さん、撮影監督は侯監督の作品を支え続け、金馬奨国際映画祭の主席を2022年から務めている李屏賓さんであった。台北国際映画祭の会場で、この映画の共同プロデューサーの片原朋子さんを紹介され、片原さんから「馬場さん、この映画の冒頭に東京のマンションという設定のシーンがあるんですけど、数十名の台湾の撮影クルーを東京に連れて行く予算が無いの。台北で東京のマンションのような場所は無いかしら?」と早速相談を受けた。
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私はしばらく考えて「ウチのマンションはフローリング仕立てだし、美術で少し作り込めば、東京のマンションに見えるかもしれない。」と答えた。早速、片原プロデューサー、川口浩史監督が直々にロケハンに来られ、私の自宅マンションを使うことで即決、私から大家さんにも了解を取った上で無償で二日間貸し出すことが決まった。当時は台湾では外交官待遇の身分であったため、それなりに広いところ住んでいたことから、スタッフや俳優の控え室も用意することができた。花蓮県鳳林郷の昔の日本家屋で撮影されたロケ現場には私も差し入れを持って行き、侯孝賢監督が主催してくれた打ち上げにも呼んでいただいた。『トロッコ』の冒頭5分間のシーンは、このように実は当時の我が家で撮影されたものであった。
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しかし、二日間の撮影が終わった我が家の状況は、もし映画の撮影現場に立ち会ったことがある方なら想像に難く無いであろう。そこは「立つ鳥跡を濁さず」という言葉とは対極の惨憺たる有様だった。誤解のないように付け加えるが、スタッフはきちっと掃除はしてくれた。とは言え、まる2日間、数十人のスタッフと役者が土足で出入りを繰り返し、大道具や小道具、機材が搬入搬出された痕跡は、そう簡単には消せるものではない。それでも、自分の名前が「感謝」の文字とともに映画のエンドロールに載った時の達成感、満足感には代え難い。こうして、私は図らずも台湾で映画の撮影というものに片足を突っ込み、映画の世界を初めて内側から覗くこととなった。
<台湾映画に音楽家としてテーマソングを提供>
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次に台湾映画と関わることとなったのは2012年に公開された『逆光飛翔(邦題:光にふれる)』(張栄吉監督)という作品だった。今度は音楽家として自分が作曲した楽曲をエンディングテーマソングとして提供するチャンスをいただいたのだった。その前に、2010年9月に、交流協会台北事務所文化室長の任期を全うして日本に帰国した私は、派遣元で20年間務めた外務省の外郭団体の独立行政法人国際交流基金を翌年1月1日付けで辞職していた。官に近い立場から日本と外国の文化交流の橋渡しをする生活にいったん区切りを打ち、できるだけ早く台湾に拠点を再び移し、若い頃からの夢であったシンガーソングライターとして活動すべく画策をしていた。その矢先に311東日本大震災が発生した。
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仙台出身の私は、しばらくの間、被災地の復興支援のお手伝いをする決断をする。友人の会社の秋田支部の責任者として秋田県観光課の業務の委託を受けながら、「復興支援メディア隊」というボランティア組織の一員として、釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼、石巻、仙台、相馬、郡山、いわきなどの被災地にたびたび入り、映像で復興に向かう人々の様子を記録に留めた。また、台湾の民視(フォルモサTV)、国立台湾芸術大学映画学科のドキュメンタリー映像撮影チームの現地コーディネーター兼通訳兼運転手として、撮影のお手伝いにも奔走した。そのような状況ではあったが、この年に撮影が進んでいた上述の『逆光飛翔(邦題:光にふれる)』に楽曲提供のオファーをいただいたのだった。なおこの作品には、友情出演の形ではあったが、最後の方のシーンで日本のCMディレクターの役でもチラッと出演している。
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この映画のエンディングテーマソング『很靠近海(海のそばで)』は、もともと日本語で自分が作詞・作曲した『君がいるから』という歌だった。この曲をたまたま張栄吉監督の結婚披露宴で歌ったところ、張監督がたいそう気に入ってくれ、自分の作品のエンディングテーマソングとして提供してほしいとの依頼があったのだった。その後、映画の筋書きに合わせる形で葛大為さんが中国語の作詞をし、金曲奨で2回最優秀華語女性ボーカリスト賞を受賞した蔡健雅(タニア・チュア)さんが歌ってくれたのだった。この映画は2012年の台北映画祭でプレミア上映され、主演女優賞(張榕容さん)と観客賞をダブル受賞した。その年の9月の公開時期に合わせ、私は台湾に拠点を移すべく舞い戻ったのだった。この作品はチケットセールスが5千万元(現在のレートでは約2億5千万円)を超えるスマッシュヒットとなり、金馬奨国際映画祭でも最優秀新人監督賞、主演の目の不自由なピアニスト黄裕翔さんが年間傑出映画人賞を獲得し、国際批評家賞にも選出された。
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当時、私は主演の黄裕翔さんのマネージャーをしていたことに加え、エンディングテーマソングの作曲者だったこともあり、監督やプロデューサー主演俳優らとともに、その年宜蘭で授賞式が開催された金馬奨国際映画祭のレッドカーペットを歩く光栄にも恵まれた。こうして私はさらに深く台湾映画の世界に足を踏み入れることとなった。ここで私が作曲し、映画『逆光飛翔』のエンディングテーマソングとなった『很靠近海(海のそばで)』を蔡健雅(タニア・チュア)さんの歌でお聴きいただきたい。
<オーディション会場に連行され(?)、いきなり俳優デビュー>
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2013年夏のことだった。こちらで俳優として長らく活躍している米七偶(林田未知生)さんから連絡が入った。2014年の旧正月映画『大稻埕(邦題:ピース! 時空を越える想い)』(葉天倫監督)のオーディションがあるから受けてみないかというお誘いだった。米七偶さんの言い分は次の通りである。「馬場さん、この映画は日本統治時代を背景とした作品で、大量の日本人の役者さんを現地調達しなければならない。20代、30代の若手の役者は台湾にいっぱいいるんだが、芝居の心得のある50過ぎの日本人のおじさんはほとんどいない。馬場さん、シンガーソングライターとしてステージに立っているし、カメラの前で芝居もできるでしょう?」
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自分は学生時代に請われてサークルのミュージカルの舞台に立ったことが一度あるのと、友情出演で前述の『逆光飛翔(邦題:光にふれる)』にほんの一瞬友情出演したことがあるだけである。「はたまた米七偶さん、何という無茶振りだろう」と正直思ったが、生来好奇心が旺盛な自分の心には、面白そうという気持ちも同時にムクムクと湧き上がって来た。米七偶さんは「現在台湾には50代の役者はほとんど自分しかいないような状況だが、馬場さんが俳優をやってくれれば、台湾に『日本人のおじさん』という市場が生まれる」と重ねて持論を展開した。
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結局、私は米七偶さんにオーディションの会場に連れて行かれ、右も左も分からないまま芝居の衣装を着させられ、ポーズを取り、台詞を回し、その場で台北北警察署署長・近藤満夫の役をいきなり仰せつかった。ちなみに近藤署長は、第8代台湾総督・田健治郎時代の実在の人物である。撮影の現場には、私を誘ってくれた米七偶さんの他にも、台湾で大活躍中のタレント・夢多(大谷主水)さん、コメディアンで俳優の葛西健二さん、東京の舞台出身でのちに私の演劇の師匠となるジョニー松田さんなどの面々も俳優として参加していた。休憩時間中に夢多さんからは「馬場さんの演技はナチュラルでいいですね」とお褒めいただいたが、今思えば、それはただ演技というものが余り分からず、素の自分を出すことしか出来なかったというだけである。しかしながら、こうして私は今度は台湾で俳優としての第一歩を踏み出すこととなったのである。
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撮影から一年後、ジョニー松田さんは311の義援金で支援してくれた台湾の皆さんに「笑い」を届けることでお礼がしたい、そのために台湾で自分が主宰する劇団を立ち上げたいと言って、上述の葛西健二さんと私に声をかけてくださり、コメディーを主軸とする劇団「戯劇大飯店(Drama’s Hotel)」の旗揚げメンバーの一人として、私も演劇の舞台に立つこととなった。そして、3年間で3回の公演を重ねた舞台と毎週1回のジョニーさんからの演技指導を通じて、もがき苦しみながらも、私は俳優として少しずつ成長していくことができた。ジョニーさんは私より17歳年下であるが、私にとって永遠の師匠であり、今の自分が役者としてここにあるのも、ジョニーさんのおかげである。感謝に堪えない。
<棚ぼた出演は続くよ、どこまでも>
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台湾映画の出演作の中で、自分にとって印象的なエピソードを残してくれた作品を二つだけ最後に紹介しておきたい。まずは2019年に公開されたブラック・コメディー映画『江湖無難事(邦題:ギャングでもオスカー狙いますが何か?)』(高炳権監督)。当初この作品には、台湾在住の映画監督で俳優の北村豊晴さんの推薦もあり、極道のナンバー2の役ということで出演交渉が進んでいたのだが、私の年齢が高すぎてイメージに合わないという理由でいったんは話が流れた。ところが、予定が合わなかったのか、ギャラが折り合わなかったのかは定かではないが、親分役として別途出演交渉を進めていた日本の俳優との話し合いが不調に終わり、突然自分にこちらの方の役のお鉢が回ってきた。「棚からぼたもち」とはまさにこのこと。
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それだけではない。この映画の音楽監督は、何度も金馬奨の音楽賞にノミネートされている柯智豪さんだった。だが、あるシーンで使う日本語の挿入歌の曲作りに難航してしまい、高監督から直々に日本語での作詞と作曲依頼の話が今度は舞い込んだ。ギターの弾き語りで30分後にデモを送ると、イメージ通りということで即採用、続けて柯さんが編曲をしてくれたバックグラウンド音楽にボーカルも自分が担当してレコーディングを行った。そして、高炳権監督が作詞した中国語を元に私が日本語で訳詞を付け、作曲をしたその挿入歌『等一顆奶(乳房を待ち侘びて)』は、映画で私の演じる大河内親分が銃弾を受けて倒れるシーンで流されたのだった。映画のワンシーンに俳優としての自分と音楽家としての自分の作品が同時に登場することは、なかなかお目にかかることはないだろう。
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次に紹介するのは、2020年に公開された『消失的情人節(邦題:1秒先の彼女)』(陳玉勲監督)である。この作品はこの年の金馬奨国際映画祭で作品賞、監督賞、脚本賞、編集賞、特殊視覚効果賞の五部門で最優秀賞に輝き、翌年の台北映画祭でも作品賞、監督賞、編集賞、視覚効果賞の四冠に輝いている。また、山下敦弘監督・宮藤官九郎脚本のコンビで日本でも『1秒先の彼』としてリメイクされ、2023年に公開されている陳玉勲監督の代表作である。
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この映画の中に、家族の元から突然蒸発した主人公の父親の親友という設定で謎の和尚が登場するのだが、これがこの時の私の役だった。台詞も無く、バスから降りた父親をバイクの後部に乗せて走り去るだけのシーンではあったが、金馬奨五冠の作品に出演できただけでも光栄なことである。この和尚のことを陳監督は自身のSNSで「天使」のような存在と表現していた。和尚が天使というのも不思議な話だが、映画をご覧になっていただければ、この説明にもご納得いただけると思う。実はこの役も「棚ぼた」だった。8人の台湾人の役者さんがこの役のオーディションに臨んだそうだが、陳監督が「イメージが違う」と首を縦に振らなかった。そして、9番目の俳優として私が推薦され、ようやく決まったということを後日譚としてスタッフから聞かされた。
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台湾には「十年磨一剣(十年で一つの剣を磨く。その道一筋で修練を積むことのたとえ)」ということわざがある。十年経って振り返れば、11本の映画、10本のドラマ、7本の舞台作品、CMにも8本出演した。音楽活動や執筆活動、ラジオのパーソナリティーとの掛け持ちのため、出演作はそこまで多くはないかもしれない。しかし、十年続けたことで、ようやく駆け出しではなく、俳優としても中堅の域に達しつつあるのかなと自分では思っている。昨年還暦を迎えたが、これからも台湾映画のさまざまな作品に花を添えられるよう、引き続き精進していきたい。本日のお別れの曲は、映画『消失的情人節(邦題:1秒先の彼女)』の主題歌で、主演女優の李霈瑜さんが歌った『Lost and Found』。
Rti 台湾国際放送
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