<第1セクション【伍佰さんの『墓仔埔也敢去』】>
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今週は「台湾に根を下ろした日本歌謡」シリーズの10回目。今回は1960年代〜1980年代にかけて人気のあった「リズム歌謡」や「ムード歌謡」と呼ばれた楽曲の系譜が台湾でカバーされたケースを追っていきたい。最初にご紹介する曲は、台湾ロックの帝王・伍佰(ウー・バイ)さんが台湾語で歌ってヒットした『墓仔埔也敢去(お墓にだって行く)』。この曲は橋幸夫さんが1964年に歌った『恋をするなら』が原曲。作曲家の吉田正さんが、当時アメリカ西海岸で流行していたサーフィンのリズムやエレキギターのサウンドををいち早く採り入れ、「リズム歌謡」と呼ばれる分野の先駆けとなった1曲だ。
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いわゆる「股旅物」の『潮来笠』でデビューした橋幸夫さん。股旅とは、侠客や博徒、芸人や芸者が各地を旅すること。股旅物はこうした侠客や博徒を主人公とした演目で、このデビュー曲がいきなり120万枚のセールスを記録して一気にスターの座に上り詰めた。橋さんはこの曲で1960年のレコード大賞新人賞を獲得し、紅白歌合戦にも初出演を果たした。(ちなみに『潮来笠』はマレーシアでは荘学中さんが『夢在你懐中(夢は君の懐に)』というタイトルでカバーし、国民的歌謡となっている。)
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そして、2年後の1962年には、人気女優の吉永小百合さんとのデュエットで『いつでも夢を』をリリースすると、これも大ヒット。橋さんは「股旅歌謡」から「青春歌謡」へと路線を大きく転換するとともに、この曲で第4回レコード大賞を受賞した。全くの余談になるが、1995年にNHKの「のど自慢」北京大会で私はこの曲を歌っている。その時の司会がジュディー・オングさん、ゲストの一人が松崎しげるさんだった。これがきっかけで、北京の人民大会堂で1万人の観客を前にしてこの曲を披露することともなった。
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さて、『いつでも夢を』からさらに2年後の1964にリリースされたのが、先ほど「リズム歌謡」というジャンルの先駆けとして紹介した『恋をするなら』だ。当時の楽曲は作詞が先行で、後から曲を付けることがほとんであったが、作曲家の吉田正さんや橋さんの証言によれば、先にリズムとメロディーの概要があり、そこに佐伯孝夫さんが詞を付け、さらに吉田正さんがメロディーを整えて完成させた1曲だ。橋さんは恩師の作詞家・佐伯孝夫さんと作曲家・吉田正さんのコンビに支えられながら、「股旅歌謡」から「青春歌謡」、そして「リズム歌謡」と、次々と路線を変化させ、いずれも大ヒットに結び付けている。この曲も翌々年にはミリオンセラーに達し、橋さんは押しも押されぬ国民的スターとなった。
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この曲は途中のブリッジのところで現れるフレーズ「A・I・E・O」が特に記憶に残る。台湾では1966年に鄺玉玲(クアン・ユィリン)さんによって『一吻定情(口づけで恋に)』として北京語版が最初にカバーされたのをきっかけに、鄧麗君(テレサ・テン)さんも1968年に同じ歌詞でカバーしている。
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台湾語で最初にカバーしたのは、台湾演歌の大御所葉啓田(イエ・チーティエン)さん。タイトルは何と『墓仔埔也敢去(お墓にだって行く)』。その後も台湾語ロックの帝王・伍百(ウー・バイ)さん、「金曲歌后」蔡依林(ジョリーン・ツァイ)さん、国際的ロックバンドの五月天(メイデイ)さんといった大スターたちが続々とカバーしたことで、1960年台の曲にもかかわらず、台湾では若者でも口ずさめる1曲となっている。特に「A・I・E・O」のフレーズは、コンサートでは観客席からも大合唱となる。陳玉勲(チェン・ユィシュン)監督の映画『熱帯魚』でも、この曲は挿入歌として使用されている。
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ここで、伍百(ウー・バイ)さんのライブバージョンで『墓仔埔也敢去(お墓だって行く)』をOA。
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通常台湾ではお墓のことを歌うのはタブー視されるのだが、タイトルの『墓仔埔也敢去(お墓にだって行く)』は、熱狂的な恋に落ちたものは何も恐れない。夜中にお墓に行くことさえ怖くないという意味である。また、台湾語版の作詞家の郭大誠(グオ・ダァチェン)さんが、日本語の歌詞に忠実に訳すよりも、台湾人の気持ちを代弁し、台湾人の生活スタイルを反映させて、台湾テイストを醸し出すようにしたことで、この曲が台湾歌謡の代表曲の一つになったと評されている。台湾では誰もが口ずさめるカバー曲を「口水歌(よだれ歌)」と呼んでいるが、『墓仔埔也敢去(お墓にだって行く)』は皆がハイになって歌える「口水歌」だ。
<第2セクション【蔡小虎さんの『愛人醉落去』】>
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続いてご紹介する曲は、細川たかしさんの『夢酔い人』の台湾語カバー曲『愛人醉落去(愛する人が酔っ払っちゃった)』。この曲も多くの歌手がカバーしているが、最も印象的なのは、1992年の「金曲奨」新人賞受賞者で、最優秀台湾語男性歌手賞に6度ノミネートされている蔡小虎(ツァイ・シャオフー)さんのバージョンだろう。1996年にリリースされたアルバム『愛人醉落去』にアルバムタイトル曲として収められている。曲のサビの部分で「愛人喲伊喲伊喲伊」のフレーズに合わせ振りをつけたところ、これがお茶の間で大変受けた。
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オリジナルの『夢酔い人』について紹介すると、この曲は1994年にリリースされたシングル曲で吉田旺さんの作詞、中村泰士さんの作曲。吉田さんといえば、ちあきなおみさんがレコード大賞を獲った名曲『喝采』が思い出される。中村さんはポップス演歌作曲の騎手であり、細川さんの大ヒット曲『北酒場』の作曲者でもあるが、台湾ではこの曲の台湾語カバー曲『愛的小路』が広く知られている。先ほど台湾語バージョンでは「愛人喲伊喲伊喲伊」のフレーズがお茶の間で受けた話をしたが、細川さんのオリジナルでも「夢・酔々酔い」と歌われ、この「ヨイヨイヨイ」の音がそのまま台湾でも引き継がれた。『夢酔い人』は日本では3万枚のセールスであまりパッとはしなかったが、台湾ではスマッシュヒットし、蔡小虎(ツァイ・シャオフー)さんの代表曲の一つとなっている。
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台湾語でカバーした蔡小虎(ツァイ・シャオフー)さんだが、1958年に高雄の空港がある小港で生まれた。4人きょうだいの3番目でデビュー前に家族が伝統市場で豚肉の小売商をしていたことから「豬肉王子」の愛称で呼ばれる。1991年5月に「台視(台湾テレビ)」の歌番組『五燈奨』の「閩南語歌唱コンテスト」のコーナーで5回チャンピオンを防衛したことをきっかけに、レコードデビューを果たした。角刈りの頭がトレードマークで、細身の身体から繰り出される骨太な声が非常に印象的だ。この曲でオリジナルを歌った細川たかしさんともテレビで共演を果たしている。昨年は蔡さんは体調を崩してコンサートも中止になるなど、ファンの皆さんにも随分と心配をかけてしまったようたが、またお茶の間に元気な姿を見せて歌っていただきたい。
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蔡小虎(ツァイ・シャオフー)さんの歌で『愛人醉落去(愛する人が酔っ払っちゃった)』をOA。
<第3セクション【台湾「原住民」アミ族豊年祭定番の『阿美恰恰』】>
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1970年代に日本のムード歌謡の世界をリードした「敏いとうとハッピー&ブルー」というグループがあった。『私祈ってます』『星降る街角』『よせばいいのに』などのヒット曲を飛ばし、これらの楽曲は私よりやや上の世代の間では、カラオケの定番ともなっている。
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この曲が台湾「原住民族」アミ族の間では、『阿美恰恰(アミ・チャチャ)』として広く普及し、豊年祭の踊りの曲としてすっかり定着している。豊年祭は台湾の「原住民族」の多く住む台湾の東海岸の花蓮、台東を中心に7月ごろ行われる伝統行事だが、アミ族の各集落が集まって行われる合同祭の代表曲に『阿美恰恰(アミ・チャチャ)』が選ばれたことをきっかけに一気に広まったという。この曲はお祭りのほか、結婚式でもよく歌われるそうだ。また、アミ語の歌詞で歌われるため、この曲の原曲が日本語であることを知らない若い世代の人たちも多いと聞く。昭和の懐メロがカバーされているのは、北京語や台湾語だけではない。
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ただこのカバー曲は正規に発行された音源が無いのと、私がアミ語ができないので、弾き語りでご紹介することもできない。かえすがえすも残念だが、興味のある方は是非『阿美恰恰(アミ・チャチャ)』で検索してみてほしい。音源に必ず行き着くことができるはずだ。
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そして、台湾でカバーされた日本歌謡の中には、『墓仔埔也敢去(お墓だって行く)』に出てくる「A・I・E・O」や『愛人醉落去(愛する人が酔っ払っちゃった)』の「ヨイヨイヨイ」のように繰り返されるフレーズがフックとなり、人々の記憶に残って口ずさまれたり、振り付けをして踊られることも多い。こうした曲を台湾ではよく「洗脳歌」と呼んだりもするが、本日は、私のバンド八得力樂團(バッテリー)の団長・阿家(A-Ga )が作詞・作曲した「洗脳歌」の『青春迪斯可(青春ディスコ)』でお別れしたい。
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この曲のモチーフとなっているのは、ある高校時代の同窓会でのライブステージを阿家が務めたのだが、その会場で数十年ぶりに顔を合わせた同級生たちが、実はあの頃君が好きだった、でも結局言い出せなかったという話がいくつも出てきたそうで、ちょっぴりウブだったあの時代を振り返りながら青春の甘くて切ない片思いを台湾語で歌ったもの。途中少しだけ日本語のラップも出てくる。昨年、八得力が準グランプリを獲得した「第六屆街頭藝術節(第6回ストリート・パフォーマー芸術祭)」での演奏バージョンでお届け。
Rti 台湾国際放送
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