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馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」) - 2024-01-21-台湾に根を下ろした日本歌謡⑨:美空ひばりさんカバー曲

  • 21 January, 2024
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<第1セクション【美空ひばりさんの『花笠道中』】>

  • リスナーの皆さま、こんばんは。元日に日本の石川県で発生した「能登半島地震」から3週間が経った。台湾の政府からは6,000万円が緊急の支援金として日本に送られたほか、衛生福利部(日本の厚生省に相当)が窓口となって、この地震に対する専用義援金窓口が設けられ、開設から2週間で20億円もの義援金が寄せられたことは、日本でも大きくニュースになっている。私もわずかながらコンビニで手続きをして義援金を寄付したが、台湾の皆さんの迅速な行動、能登半島地震の被災者に対するお気遣い、ご関心に、一人の日本人として心より感謝したい。私の知人・友人にも被災した方々がいる。被害に遭われた皆様に、改めてお見舞いを申し上げるとともに、1日も早く復旧・復興が進み、穏やかな日常が戻ることを切に願っている。

  • さて、今週は「台湾に根を下ろした日本歌謡」シリーズの9回目。今年で逝去してから35年を迎える美空ひばりさんの特集をしたい。美空ひばりさんは台湾の中高年で日本の歌を愛してやまない方々の中でも、とりわけ人気の高い歌手であり、『花笠道中』『リンゴ追分』『港町十三番地』『裏町劇場』『柔』『川の流れに身を任せ』など実に多くの楽曲が、実に多くの歌手によって台湾語を中心にカバーされている。私のバンド八得力(バッテリー)でも「流し」でお客さんからリクエストを受ける際には、『花笠道中』の台湾語カバー曲『孤女的願望(孤独な少女の願い)』や『川の流れのように』の北京語のカバー曲『雙手的溫柔(両手のぬくもり)』がレパートリーに入っている。

  • 美空ひばりさんは1937年横浜生まれ。わずか9歳でデビューし、その天から与えられた抜群の歌唱力で「天才少女歌手」と世間からもてはやされた。歌・映画・舞台などの世界で幅広い活躍をしてスターダムをのし上がってゆき、自他共に認める歌謡界の女王ともいうべき存在となった。昭和の歌謡界を代表する国民的歌手であり、没後の1989年7月には国民栄誉賞も受賞している。

  • 美空ひばりさんは、戦前の1943年、6歳の時に父親の増吉さんの海軍出征壮行会の席上、父のために『九段の母』を歌ったところ、集まった人々が感動して涙したとのこと。その姿を目の当たりとした母親の喜美枝さんは、娘の歌唱力に可能性を見出して、歌による慰問活動を始めるようになった。ひばりさんは戦後間もない1946年、9歳の頃、NHKの「素人のど自慢大会」に出場して『りんごの唄』を歌ったものの、合格できなかったそうだ。審査員からは「うまいが子どもらしくない」「非教育的だ」「真っ赤なドレスもよくない」と不合格の理由が述べられたそうだ。その翌年、のど自慢の審査員でもあった古賀政男さんは美空ひばりさんがアカペラで歌った「悲しき竹笛」を聴き、子どもとは思えない安定した歌唱力、度胸、理解力に感服して「君はもうのど自慢の段階じゃない。もう立派にできあがっている」「歌手になるなら頑張りなさい」と激励したとのエピソードも残っている。

  • さて、1958年6月にリリースされたシングル『花笠道中』は、映画『花笠若衆』のテーマソングだった。翌年の1959年に台湾語で『孤女的願望(孤独な女の子の願い)』として、陳芬蘭(チェン・フェンラン)さんによってカバーされ、広くこのメロディーは台湾でも知られることとなる。ウィキペディアをはじめ複数の資料を読んでみると、陳芬蘭さんがこの曲を歌ったのは8歳の時といずれも記載しているが、陳芬蘭さんが1948年生まれであることから、この記述は誤りで11歳の時だったものと思われる。

  • 2021年9月1日に放送された台湾国際放送の番組『ウーロンブレーク』の中でも、この曲は「田舎を出て都会である台北市へ向かう、一人ぼっちの女の子が就職先を探すことを描く歌です。小さい頃、親から離れたため、幸せになるには自分自身で頑張るしかありません。仕事がどんなに大変であろうと、給料がどんなに少なかろうと、甘んじて受け入れようということです。」と紹介されている。当時の時代背景を反映して、この曲は台湾で大きな共感を呼び、デビューしたばかりの陳芬蘭さんは一躍台湾中に知れ渡るようになった。そして、美空ひばりさんと同じように天才少女歌手と呼ばれた陳芬蘭さんは、「台湾の美空ひばり」の称号も送られることとなった。陳芬蘭さんの歌で『花笠道中』の台湾語カバー曲『孤女的願望(孤独な女の子の願い)』をOA。

 

<第2セクション【『柔』『裏町酒場』『川の流れのように』も続々ヒット】>

  • 美空ひばりさんが1964年に発表した『柔』は翌年1965年の「日本レコード大賞」受賞曲で、1964年、1965年と2年連続でこの曲でNHK「紅白歌合戦」にもトリで出演している。1964年と言えば東京オリンピックが開催された年で、柔道が初めて正式競技として採用されたこともあり、翌年の1965年前半までの半年間で180万枚を売り上げる大ヒット曲となった。男装のひばりさんが颯爽と現れてこの曲を歌う姿は、今でも瞼の裏に焼きついている。そして、台湾では先ほどの「台湾の美空ひばり」こと、陳芬蘭さんが『男子漢(男の中の男)』というタイトルでこの曲『柔』を台湾語でカバーしている。

  • また1982年に美空ひばりさんが発表した『裏町酒場』も台湾ではよく歌われている。『奥飛騨慕情』で一躍有名になった盲目の歌手、竜哲也さんが作曲したことで話題になった曲だったが、日本ではのレコード売り上げは15万枚のスマッシュヒットだった。台湾では方瑞娥(ファン・ルイアー)さんが『路燈了解我心意(街の灯は私の心を知っている)』というタイトルで台湾語でカバーしている。

  • そして、美空ひばりさんの最大のヒット曲となったのが、1989年1月、彼女が亡くなる半年前にシングルカットされ、遺作となった名曲『川の流れのように』だ。台湾では『川流不息(川の流れは止まらない)』というタイトルで、鄧麗君(テレサ・テン)さんが日本語でカバーしたことから、日本語でそのまま歌われることも多い。この曲の製作に当たっては「自分の歌から遠い若い世代の人たちにメッセージを残したい」というひばりさんの意向により、作詞には当時、作詞家・放送作家として若者から絶大な人気を博していた秋元康さんが起用されたという裏話が残っている。

  • 『川の流れのように』は、美空ひばりさんがこの世を去ってから30年以上経った今もセールスが続いていて、2021年の時点で205万枚を売り上げ、ひばりさんの最大のヒット曲となっている。1989年の第31回レコード大賞では、この曲に「金賞」と「作曲賞」が授与されるとともに、故人となった美空ひばりさんにも「特別栄誉歌手賞」が授与された。また、NHKが1997年に実施した「20世紀の日本人を感動させた歌」の人気投票で、約2万曲の中から、『川の流れのように』が44万票近くを獲得して見事1位に選ばれたそうだ。台湾では江美琪(ジァン・メイチー)さんが『雙手的溫柔(両手のぬくもり)』のタイトルで北京語でカバーしているので、こちらをOA。

 

<第3セクション【新たな解釈で歌い継がれる『リンゴ追分』】>

  • そして『川の流れのように』は「自分の歌から遠い若い世代の人たちにメッセージを残したい」という美空ひばりさんの最後の願いの通り、その後も多くのアーティストによってカバーされ続けている。日本国内だけでも秋川雅史さん、五木ひろしさん、川中美幸さん、桑田佳祐さん、香西かおりさん、米米CLUBさん、さだまさしさん、沢田知可子さん、島津綾さん、天童よしみさん、トータス松本さん、美川憲一さん、水谷豊さん、都はるみさん、石原詢子さん、坂本冬美さんをはじめ、この曲をカバーした歌手は枚挙にいとまがない。また海外でも台湾だけではなく、フランス、スペイン、ルーマニア、チェコ、アメリカ、韓国、中国等、様々な国のアーティストによってカバーされている。世界三大テノールの一人ホセ・カレーラスさんも1996年の日本公演の際にこの曲を歌っている。

  • 本日最後にご紹介したいのは、1952年に発売された美空ひばりさんの初期の作品の『リンゴ追分』だ。この曲は元々はラジオドラマ『リンゴ園の少女』の挿入歌として製作され、主題歌の『リンゴ園の少女』がA面、挿入歌の『リンゴ追分』はB面という扱いで発売されたシングル曲だった。同年に『リンゴ園の少女』が当時15歳だった美空ひばりさんの主演によって映画化された際にも、この曲が主題歌として使用されました。当時としては戦後最大の売り上げとなる70万枚を売り上げ、最終的には130万枚の売り上げを記録した。

  • この曲も台湾では鄧麗君(テレサ・テン)さん、楊燕(ヤン・イェン)さん、鳳飛飛(フォン・フェイフェイ)さん、蔡琴(ツァイ・チン)さん、曹雅雯(ツァオ・ヤーウェン)さんなどの錚々たる歌手によってカバーされているが、若手の実力派歌手、王若琳(ジョアンナ・ウォン)さんも、2019年にリリースしたアルバム『愛的呼喚(Love is Calling Me)』の中にこの曲を収録している。このアルバムは1960年〜1980年代に発表されたテレサ・テンさん、美空ひばりさん、翁倩玉(ジュディ・オング)さんの名曲を素材に、西洋のサイケデリック音楽と融合させた幻想的な作品群を収めていて、北京語、日本語、広東語で歌われている。ジョアンナさんのこの試みは、美空ひばりさんの作品に新たな解釈を与え、新しい命を吹き込んでいて、個人的にはとても気に入っている。ちなみにジョアンナさんのこのアルバム『愛的呼喚(Love is Calling Me)』は、第31回金曲奨年間最優秀アルバム賞、最優秀中国語アルバム賞、最優秀中国語女性歌手賞の3部門にノミネートされ、最優秀中国語アルバム賞を受賞している。

  • 美空ひばりさんの歌は、私も子どもの頃からずっと聴き続けていた。代表曲の一つに古賀政男さんが作曲した『悲しい酒』という曲があるが、毎回この歌を歌うたびに、ひばりさんはボロボロと涙を流していた。その姿をブラウン管越しに観ていた少年の私は、「一人酒場で飲む酒は 別れ涙の味がする」という歌詞の意味は当時はよく理解できなかったものの、歌の世界にここまで深く入り込むことのできるその感性に感銘を受けたことを思い出した。そして、晩年は病気が進行して、普段の生活の中では立っていることさえもままならなかった状態だったにもかかわらず、最後までステージに立って歌い続け、ツアーのタイトルにも使われた「不死鳥」のような姿をファンの目に焼き付けたことは、今も忘れられない。自分の歌を通じて若い世代にメッセージを残したいというひばりさんの思いは、海を超えて世代を超えて、ここ台湾でも確実に受け継がれている。本日のお別れの曲は『リンゴ追分』の北京語のカバー曲で王若琳(ジョアンナ・ウォン)さんが歌った『蘋果花(リンゴの花)』。

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