<第1セクション【シラヤの郷の「天下第一泉」関仔嶺温泉」】>
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先月、台北郊外の烏来(ウーライ)温泉について紹介したが、今週は台南の郊外にある「関仔嶺温泉」についてご紹介したい。関仔嶺温泉は、台南市白河区に位置する。台南の中心地からは70キロほど、車でおよそ1時間ほどの距離だが、嘉義市内からの方がむしろアクセスは便利で、およそ30キロ、車で40分ほどで到着する山あいの温泉地だ。日本統治時代には、台北の北投、草山(現在の陽明山)、屏東の四重渓と並んで、台湾の「四大名泉」として古くから知られている。
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関仔嶺温泉は、日本統治が始まった1898年(一説に1902年)に、日本兵によって発見されたとされる。しかし、ここに以前から住んでいた台湾原住民族の人たちが温泉の存在を知らなかったとは考えにくい。日本人が発見したとあるのは、文献上の記載に過ぎない。日本統治時代に旅館のある温泉施設を建築し、温泉郷として整備したのが、日本人が台湾の温泉に果たした重要な役割だったと私は認識している。
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1904年にこの地で最初に開業した温泉旅館「吉田屋」が(現在の「靜樂館」)、この地の最古の旅館と言われる。翌1905年には「龍田屋」(現在の「関子嶺大旅社」)が開業、他にも警察の療養所である「暢神庵」(現在の警光山荘)や、「聴水庵」という政府高官向けのゲストハウスも作られた。また「台湾人に入浴の風習を身に着け個人衛生観念を養成する」という台湾総督府の方針にもとづき、1913年には公衆浴場も設置され、台湾人にも開放された。この時期には関仔嶺は最高級の温泉とされ、台湾総督を始め高級官吏の接待の場としても使われた。また1913年には泥の中にラジウムが含まれることがわかり「天下第一泉」とも称された。
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以前もお話したが、台湾の温泉地は日本統治時代に警察や軍隊の保養所として発展したところが少なくない。多くの場合、警察の保養所は源泉の近くの一等地に陣取り、関仔嶺も例外ではない。そして、戦後の中華民国体制になっても「警光山荘」の名前で、警察の保養所として引き継がれている。
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さて、関仔嶺温泉の最大の特徴は、泥で灰色に濁った温泉であることだ。源泉の湯温は70℃~80℃。pH約8〜9で、泉質はアルカリ性炭酸水素塩泉に属する。泥温泉は日本では、大分の別府温泉や鹿児島の霧島神宮温泉、北海道のニセコ温泉元湯など全国で数か所のみ見られる希少な温泉だ。関仔嶺温泉では、泥の桶が湯船の外に別途置いてあって、顔や全身を泥パックできるようになっているところも多い。私もこの温泉地は4回ほど尋ねたことがあるが、泥パックの後の肌は本当にすべすべになる。
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関仔嶺温泉には台湾では有名なご当地ソングがある。『關仔嶺之戀』だ。1957年に発表された吳晉淮(ウー・ジンホァイ)さんの作曲、歌唱によるこの楽曲は、明るく軽快なメロディーとともに大ヒットし、今でも歌い継がれている名曲だ。1916年に当時の嘉義廳鹽水港支廳(現在の台南市柳営区)で生まれた吳晉淮(ウー・ジンホァイ)さんは、戦前に慶應義塾大学の医学部に進学したが、立教中学時代にクラシックギターを学んだことがきっかけで音楽好きが止まらず、医学部を辞して日本歌謡学院で声楽を修めた。日本歌謡の父、古賀政男さんにも師事している。日本とも縁の深い音楽家だ。呉さんのことはいずれ改めて紹介したい。
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吳晉淮(ウー・ジンホァイ)さんの歌で『關仔嶺之戀』をOA。吳晉淮(ウー・ジンホァイ)さんは、その後も多くの名曲を残し、郭金發(グオ・ジンファ)さん、江蕙(ジァン・ホイ)さん、黃乙玲(ホアン・イーリン)さんと言った台湾語歌謡のトップアーティストを育て、1991年に台北郊外の淡水の「馬偕醫院(マッカイ病院)」で息を引き取った。遺骨は代表作『關仔嶺之戀』と縁のある関仔嶺温泉のある台南県白河鎮(現在の台南市白河区)に埋葬されたそうである。
<第2セクション【言葉と文化の復興に取り組むシラヤ族の郷】>
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関仔嶺温泉は冒頭でも述べたとおり、台南市白河区に位置する。ここは台湾の平地に住む先住民族「平埔族」の一つ「シラヤ族」の人々が多く居住していた地域である。今、私は「居住していた」と過去形で話をしたが、他の多くの「平埔族」と同様に、漢人との混血が進む中で自分たちの言語や文化を徐々に失い、ユネスコの「消滅危機言語の一覧」によれば、19世紀末に消滅されたとされる。しかしながら、その末裔たちが民族のアイデンティティを取り戻そうと文化の復興に取り組んでいる。その中心に立ち続けているのが、シラヤ文化協会の設立者の萬正雄さんと現在協会の理事長を務める萬淑娟(シラヤ名:ウマ・タラヴァン)さんの父娘だ。父の萬正雄さんが幼い頃「蕃」と呼ばれ差別を受けた記憶から、自分のアイデンティティに目覚めたのがシラヤ文化復興に取り組む出発点だった。
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しかし、失われた言語をどのように取り戻したら良いのだろう。実は17世紀に台湾にやって来たオランダ人が、シラヤ語をローマ字で記録していた。その表記法をシラヤ人も土地や交易の契約書に使うようになった。現在「新港文書」と呼ばれている文献だ。しかし、集落の長老に聞いても、誰一人そこに書かれている意味がわからなかった。同じく17世紀にオランダ人宣教師が翻訳した『マタイによる福音書』も発見された。その福音書にはオランダ語とローマ字表記のシラヤ語が併記されていた。ここから思わぬ展開となる。
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娘の萬淑娟(シラヤ名:ウマ・タラヴァン)さんは、音楽の勉強にフィリピンに行った時に出会ったフィリピンの少数民族、ビザヤ族の男性とこの頃には結婚していた。このビザヤ族の夫がこの福音書に書かれていたシラヤ語の解読に大きな貢献することとなった。シラヤ語と同じオーストロネシア語族に属しているビザヤ語で、夫の萬益嘉(漢名)さんがその福音書を読むと、「シラヤ語はまるでビサヤ語の姉妹のようだ」と言い、ほとんどその内容が理解できたのである。黒潮文化圏のフィリピンと台湾が海を隔てて言語が繋がっていたのだ。
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音楽家だった萬益嘉さんはその後言語学者に転身し、三千語余りのシラヤ語を収集して著書『シラヤ語彙初探:新港語マタイ福音研究を主な例に』を完成させた。これをきっかけに、教科書、絵本、オーディオブックも制作・出版し、教師養成も行って、シラヤ語は2016年に地元の学校の教科にも組み入れられた。子どもたちにシラヤ語を継承していくために、父の萬正雄さんはシラヤ語での楽曲作りも進めている。このような言語復興の努力を基礎として調査研究も進み、少しずつ文化の復興も進んでいる。現在では旧暦の10月14日の夜から10月15日の未明にかけて、壺に宿るとされる祖先の霊「Alid 阿立祖」を祭り、生命の起源である宇宙に感謝をささげる夜祭も、台南各地のシラヤ族の末裔たちによって復活を遂げている。
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ここで、夜祭の時に歌われるという台南市白河区のお婆さんが歌った「六重溪西拉雅牽曲」の音源を聴いてみよう。
<第3セクション【関仔嶺温泉の周囲は見どころ満載】>
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関仔嶺温泉の周りには見どころがいっぱいある。シラヤ族の文化施設や年中行事ももちろんその一つだが、温泉街からは散策に便利な「紅葉公園」や温泉の守り神として「火王爺」と呼ばれる不動明王が祀られている廟へも徒歩圏内。また、池から天然ガスが吹き出し燃えている「水火同源」や名刹「碧雲寺」へのアクセスも便利だ。碧雲寺から眺める嘉南平原は絶景だ。もう少し足を伸ばせば、八田与一が指揮を執り、嘉南平原を穀倉地帯に変えた「烏山頭ダム」にも簡単にアクセスが可能で、7月には白河の蓮の花が満開となり、台湾マンゴーの郷の玉井でマンゴー尽くしも楽しめる。そうそう、関仔嶺温泉では甕で蒸し焼きにした名物の「甕仔雞(ang-a-ke)」もとっても美味しいのでぜひ召し上がってみて。
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そして、私もメンバーである八得力樂團も、最初に紹介した吳晉淮(ウー・ジンホァイ)さん『關仔嶺之戀』へのオマージュとして、もう一つの関仔嶺温泉のご当地ソング『戀戀關仔嶺(関仔嶺恋々)』を作って歌っている。日本の夏祭りで歌われる音頭を意識した曲調で、関仔嶺温泉の魅力溢れるアイテムを散りばめた1曲となっている。本日は『戀戀關仔嶺(関仔嶺恋々)』DEMO音源をOA。シラヤの郷、蓮の花、夜祭、水火同源、マンゴー、湯上がり、泥温泉など関仔嶺温泉にまつわるキーワードがいくつも登場したのをしっかりお聴きいただけただろうか?台湾の温泉に関心のある方にお勧めの関仔嶺温泉、台湾高速鉄道の嘉義駅からも車で40分。ぜひリスナーの皆さんにもこの「天下第一泉」を一度は訪れてほしい。
Rti 台湾国際放送
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