<第1セクション【谷村新司さんの『昴』と『風姿花伝』】>
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今年も年の瀬。日本では師走と言って、先生も走り回るほど忙しい月だが、会計年度が12月末で締まる台湾も、少し慌ただしい季節とはなる。今年も台湾をはじめとする中華圏でカバーされ、歌い継がれてきた日本の歌謡曲、J-Popsを何回か紹介してきたが、今夜はその第8回。今年は私の青春時代に寄り添ってくれた日本のアーティストの訃報が相次いだ。YMOの高橋幸宏さん、坂本龍一さん、シーナアンドロケッツの鮎川誠さん、谷村新司さん、もんたよしのりさん、BUCK-TICKの櫻井敦司さん、X -JAPANのHEATHさん、大橋純子さん、そしてKANさん……今日は台湾でも特に人気だった谷村新司さん、もんたよしのりさん、KANさんの作品を紹介することで、偉大な足跡を残されたミュージシャンたちに心からの哀悼を捧げたい。
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まずは谷村新司さん。私が谷村さんの作品を初めて聴いたのは、中学校3年の時、彼のバンドのアリスの『冬の稲妻』(1977年)だった。軽快でパンチのあるツイン・フォークギターが刻むリズム、谷村新司さんと相棒の堀内孝雄さんのツイン・ボーカルのハーモニー、「あなたは稲妻のように私の心を引き裂いた」で始まる印象的な歌詞、文字通り稲妻に打たれたような衝撃を受けた。私の世代ではアリスの歌を聴いてからフォークギターを持つようになった中高生も多かった。しかしながら、当時のフォーク、ニューミュージック系の日本の音楽は、戒厳令下の台湾にはほとんど入って来なかった。谷村新司さんの楽曲が台湾をはじめ、中華圏で聴かれるようになったのは、バンドと並行してソロ活動もするようになった谷村さんが1980年に発表した『昴』だった。この曲は日本の大手ウィスキーのCMソングに採用されたこともあり、日本では当時60万枚のレコードをセールスする大ヒット曲となった。
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その後、バンドのアリスとしてたびたび中国公演をしたことがきっかけで、テレサ・テンさんが『星』のタイトルで、日本語や広東語でカバーし香港のコンサートで歌ったこともあり、中国や東南アジアでも大ヒットした。華人が多く住む東南アジアと東アジアで最も知られている日本の楽曲は、千昌夫さんが原曲の『北国の春』とこの『昴』だと言われている。台湾でも鳳飛飛(フォン・フェイフェイ)さんが、1981年にリリースしたアルバム『好好愛我(よくよく私を愛して)』に『另一種鄉愁(もう一つの郷愁)』のタイトルで北京語のカバーを収録している。この曲は余天(ユィ・ティエン)さんや楊烈(ヤン・リエ)さん、最近では許富凱(ヘンリー・シュィ)さんもカバーしているほか、韓国出身で台湾で活躍した姜育恆(ジァン・ユィヘン)さんも、『我地心沒有回程(我が心に後戻りは無し)』のタイトルで、洪榮宏(ホン・ロンホン)さんも『為何那會斷了情(なぜにその恋は途切れたのか)』のタイトルで、それぞれ別バージョンでカバーしている。
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しかしながら、台湾に限って言えば、谷村さんの歌でより有名なのは『昴』よりも『風姿花伝』の方かもしれない。これは今の台湾の30代〜40代の世代の多くが観ていたという横山光輝さん原作の三部作のアニメーション映画『三国志』(1992〜1994年)の主題歌が、この『風姿花伝』だったからだ。今年10月8日付の台湾の聯合報のウェブメディア『轉角國際(国際コーナー)』には「永別了青春,最後的風姿花傳...(さらば青春、最後の風姿花伝)」の見出しで谷村さんの訃報を掲載している。私も2年前に台湾の艋舺青山宮のイベントで、主催者からのリクエストでこの曲を歌ったことがある。今日は、谷村新司さんご本人の歌で台湾ではお馴染みのアニメーション映画『三国志』の主題歌『風姿花伝』をOA。
<第2セクション【もんたよしのりさんの『ダンシング・オールナイト』】>
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続いては、もんたよしのりさん。1980年に谷村新司さんの『昴』が日本のヒットチャート2位まで上り詰めた。しかし、どうしても1位の座を射止めることはできなかった。『昴』の前に立ちはだかったのが、当時10週連続で1位に君臨していたもんたよしのりさんが率いた「もんた&ブラザーズ」の『ダンシング・オールナイト』だった。ハスキーな高音でシャウトするその姿に、当時は私の目もテレビに釘付けとなったことを思い出す。1970年にソロ歌手としてデビューしたもんたさんだったが、最初の10年は鳴かず飛ばずだった。それでも諦めずに、不退転の決意でバンド「もんた&ブラザーズ」を結成し10年後の1980年に再デビュー。最初にリリースしたこの『ダンシング・オールナイト』が大ヒット。その年の日本レコード大賞金賞、日本歌謡大賞放送音楽特別賞、日本有線大賞を受賞し、紅白歌合戦にも初出場した。
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その翌年の1981年に崔苔菁(ルイーズ・ツイ) がリリースしたアルバム『但是又何奈(でもまたどうしたらいいの)』のアルバムタイトル曲『但是又何奈』が、『ダンシング・オールナイト』の台湾での北京語版カバー曲だ。このタイトルともなり、サビでも繰り返される「但是又何奈」というフレーズ北京語の音をお聴きいただきたい。「ダンシング・オールナイト」に聴こえないだろうか?以前日本のテレビ番組に洋楽のフレーズが日本語に聞こえる作品を集めた「空耳アワー」というコーナーがあったが、まさに空耳が生み出した北京語バージョンと言えよう。『ダンシング・オールナイト』の北京語のカバー曲で、崔苔菁(ルイーズ・ツイ)さんの歌った『但是又何奈(でもまたどうしたらいいの)』をOA。
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崔苔菁(ルイーズ・ツイ)さんは台北生まれ。歌手としてだけではなく、バラエティー番組『夜來香』の司会者としても長らく活躍をし、台湾のエミー賞と言われる金鐘奨(ゴールデン・ベル・アワード)の最優秀バラエティー番組司会者賞にも何度もノミネートされている。セクシー路線の目を見張る大胆な衣装や振り付けで踊って歌う姿から、「台湾のマドンナ」とも称されていた大スターである。この曲にも別バージョンがある。台湾とアメリカのミックスで1980年代に中華圏の音楽界を席巻した費翔(クリス・フィリップ)さんの『今晚想念你(今夜君を思う)』だ。費翔(クリス・フィリップ)さんは、現在の新北市新店区の出身。1987年に台湾の芸能人として初めて中国のテレビに出演し、コンサートを開いた人物となった。費翔(クリス・フィリップ)さんのバージョンのこの曲も、当時上海に留学していた私はよくカセットテープで聴いていた。
<第3セクション【KANさん『愛は勝つ』】>
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本日最後にご紹介するのは、KANさんの『愛は勝つ』。KANさんは1962年9月生まれ。1963年早生まれの私とは同級生。私にとってKANさんの早すぎる死は本当に堪えた。跳ね上がってダンスするようにピアノを弾きながら、パワフルに歌うその姿は、今も目に焼き付いている。覚えやすいメロディー、クラシック音楽を彷彿するピアノの旋律にロックのリズムが噛み合い、転調を繰り返す。古典と現代が融合した音楽の心地良さに加え、「最後に愛は勝つ」というサビのフレーズに励まされた人はどれだけ多かったことだろう。
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『愛は勝つ』は、1990年にリリースされたKANさんの5番目のアルバム『野球選手が夢だった。』に収録されていた曲だ。当初はテレビのクイズ番組のエンディングテーマ曲に採用されたものの、この時は注目されることはほとんどなかった。翌1991年に山田邦子さんがメインホストのバラエティー番組のエンディングテーマ曲に採用されたことで大ヒット。200万枚のセールスを記録。この年の日本レコード大賞(ポップス・ロック部門)大賞を受賞、紅白歌合戦にも出場を果たした。文字通りKANさんの代表中の代表作であると同時に、1990年代のJ-Popをも代表する1曲となった。
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この曲をカバーしたのが「香港四大天王」の一人であり、「歌神」とも称されている張學友(ジャッキー・チュン)さんだ。ジャッキーさんの歌はこの番組でもたびたび取り上げているが、『擁抱陽光(陽光を抱きしめて)』のタイトルで北京語にカバーされている。1993年のジャッキーさんの大ヒットアルバム『吻別(キスしてさよなら)』に収められている。コンサートでは広東語のバージョンも歌っているようだ。本日紹介したアーティストの方々の肉体はすでに燃え尽きてしまったが、彼らの作品は日本でも台湾でも歌い継がれ、聴き継がれ、そのメロディーはこれからも多くのリスナーの心に宿り続けることだろう。そして、「最後に美しいメロディーは勝つ」。本日のお別れの曲は、KANさんの『愛は勝つ』の北京語カバー曲で張學友(ジャッキー・チュン)さんが歌った『擁抱陽光(陽光を抱きしめて)』。
Rti 台湾国際放送
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