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馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」) - 2023-06-18-台湾の「端午節」

  • 18 June, 2023
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馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」)
紫米入りの「素粽」ベジタリアンチマキ(具材:ヤマブシダケ、栗、シイタケ、落花生、蓮の実、エリンギ、黒豆)

<第1セクション【「端午節」のドラゴンボートレース】>

  • 本日は台湾の「端午節」の話。端午節は旧暦の5月5日、今年は6月22日。台湾ではこの日から6月25日(日)が連休。故郷で家族や親戚たちとこの節気を祝おうとする人たちで、高速道路や鉄道は混雑が予想される。

  • 日本では、明治時代以降、新暦の5月5日を「端午の節句」として祝う風習が定着。主に男の子の節句として、かつては逞しく育つようにとの願いを込めて、鎧や兜、金太郎などの五月人形を飾ったり、滝登りの鯉が龍になったとの伝説から鯉のぼりを大空に掲げたりした。また、元々中国では「強い香りが邪気を払う」とされた薬草の菖蒲が、日本に伝わる過程で葉の形が武士の大事な武器である剣の形に似ていることや、「尚武(武道を重んじること)」と同じ読みであることからから端午の節句には「菖蒲湯」に浸かるようになった。このほか、ちまきや柏餅を食べたりもした。私が子どもの頃は、この時期の風物詩だった。私の幼少期は静岡県の浜松で育ったが、そこでは端午の節句には畳ほどもある大凧を揚げるお祭りもあった(今でも浜松祭り「凧揚げ合戦」として存続)。

  • 一方の台湾は、端午節には独特の行事がある。まずは「划龍舟競賽」と呼ばれるドラゴンボートレース。台北、鹿港、台南、高雄など海沿い・川沿いの台湾の各地で毎年行われている。このレースの由来となったのは、中国の古代の屈原の故事に遡ると言われている。屈原は戦国時代の楚の国の大臣だった。国を憂えて楚の国王に度々政策についての進言をしたものの、聞き入れられず、それどころか左遷されてしまう。絶望した屈原は大きな石を抱え、汨羅江(べきらこう)という川に身投げをしてしまう。この話を聞き付けた近所の村人たちが小船に乗り、銅鑼を鳴らしながら屈原を捜索したが見つからなかった。この故事から、屈原が入水した旧暦の5月5日に、忠臣だった屈原を偲んでボートレースが行われるようになった。というのが一般的な言説だ。

  • しかし、今ではドラゴンボートは競技として、すっかり台湾の年中行事に組み込まれている。私の周りには「龍舟迷」ともいうべき、ドラゴンボートレースの虜となってしまっている人たちが少なからずいる。端午節の2か月ほど前から毎年のように1チーム十数名からなるレースチームを組み、休みの日には念入りにトレーニングを重ね、本番に臨んでいる。その熱意は大変なもので、本気の勝負である。参加者だけではなく、周りの応援合戦も見応えがある。賞金総額も、例えば今年の高雄のレースは優勝チームが30万元(約135万円)、総額100万元(約450万元)というから、漕ぎ手に力が入るのも頷ける。

  • 台北のドラゴンボートレースは、その歴史を辿れば、日本統治が始まった1895年には既に似たようなレースがあったそうだ。政府主催のドラゴンボートレースが始まったのは1974年からで、当時は中華文化の復興運動という文脈で全国民向けに奨励したとのことで50年近くの歴史がある。当時は淡水河の中興橋近くで行われていたが、1995年に湾曲していた基隆河の流れを真っ直ぐにする工事が行われてからは、現在の大佳河浜公園で行われるようになった。また、古都台南のドラゴンボートレースは、台湾で最も古いと言われており、清朝の資料によれば300年前まで遡ることができる。年中行事として定着したのは日本時代の1926年、途中1962年からの10年間は中断したものの、1973年に復活。台南運河で行われるこのレースは、2003年からはこの時期の昼間の暑さを避けて夜間に行われるようになっている。

  • 台湾を代表するシンガーソングライターの一人である陳明章さんのオリジナル曲で、端午節を祝う歌『慶端陽』をOA。

 

<第2セクション【「端午節」のちまき】>

  • 端午節といえばもう一つ大事なことは粽(ちまき)を食べることだ。ちまきを食べる風習は日本にもある。日本のちまきは関西が細長い笹に包まれた甘い団子状のものが主流だが、関東や東北では竹の皮でおこわを包んだものを食べるようだ。これは後ほど紹介する台湾の「北部粽」に似ている。また鹿児島では「灰汁まき」という餅米を竹の皮で包み、灰汁で炊き上げたものを砂糖や黄粉を付けて食べる。これは台湾の「鹼粽」と呼ばれるちまきにそっくりだ。

  • ただ、日本ではちまきよりも「柏餅」食べる習慣の方が一般化しているかもしれない。余談だが、日本で柏餅を食べるようになったのは江戸時代と言われる。柏の葉は新芽が出るまで古い葉が落ちないという特性があるため、新芽を子ども、古い葉を親に見立て、家系が途絶えない、すなわち子孫繁栄を意味するようになったのが、端午の節句に柏餅を食べるようになった理由である。

  • 台湾では「北部粽」と「南部粽」のどちらが美味しいかで論争となることもしばしば。台湾北部で食べられている「北部粽」は、炒めた餅米に味付けした豚肉の角煮や椎茸、干しエビ、ピーナッツなどの具材を包み、さらに竹の葉で包んだものを蒸していただく。これに対して「南部粽」は、餅米を軽く炒めて味付けした具材を包むところまでは、ほぼ同じプロセスだが、竹の葉に包んでからは、北部のように蒸すのではなく、直接水で煮る。このため、「南部粽」の方が水分を吸ってもっちりとした食感となる一方、煮ている間にお湯の中に味が溶け出すのか、あっさりとした薄味となる印象を私は持っている。「南煮北蒸」と二種類のちまきの調理法の違いを表す言葉もある。

  • この端午節のちまきに関して、実は毎年頭を悩ませられることがもう一つある。それは台湾の多くの友人たちが、私に自分が美味しいと太鼓判を押すちまきをお裾分けしてくれることである。自分の好きな店のものだったり、その友人のお母さんやおばあさんの手作りのものだったり、それはそれは有難いことである。ただ我が家の冷蔵庫はそれほど大きくはない。10個、20個単位でいただくと、流石に冷凍保存が必要となるが、冷凍庫のスペースがそもそも限られる。その結果、この時期は毎日、いや毎食ちまきをいただくことになる。

  • 端午節にちまきを食べるのも、実は先ほどの屈原に由来している。川に飛び込んだ屈原を捜索した村人が、魚たちに屈原の身体を食べられないようにと、魚の餌となる米を葉っぱで包んだものを川に投げ入れたのが始まりと言われる。

  • 郭金發さんの歌で、『燒肉粽』をOA。

 

<第3セクション【「端午節」の卵立て】>

  • さらに台湾の皆さんは、端午節の正午に生卵を立てるのに躍起となる。これは端午節の正午が陰陽の「陽の気」が一年で最も強くなると言われ、生卵でさえこの陽の気の力、引力が強くなるので立つのだそう。ただ、これはどうやら俗説で、生卵を立てようと思えば、いつでも立てられるというのが実際のところのようだ。とは言え、生卵を立てるのが成功すれば、その一年の運気が上がると言われているので、端午節の正午には、家族や友人たちとワイワイ言いながら卵立てに夢中となるのだ。実はこの卵立て、私は一度だけしかやったことがない。その時は躍起になりすぎて卵を割ってしまったのだ。それ以来、もし御神籤で「大凶」を引いてしまったら嫌だから、いっそのこと最初から御神籤を引かないという心理に陥っているのかもしれない。野暮なことは言わず、この卵立て、今年はチャレンジしてみようかな。

  • 今週も今月の歌『念念四重渓(懐かしの四重渓)』をバッテリーの演奏でお聴きいただきながらお別れ。

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