<第1セクション:生活用語に見られる日本語たち>
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リスナーの皆さん、こんばんは。台湾では昨日5月31日が今年の「端午節」だった。「粽子(ちまき)」を食べたり、正午に生卵を立ててみたり、「龍舟賽(ドラゴンボートレース)」を見たり、参加したり、皆さんそれぞれのスタイルでこの伝統的な節気を楽しんだことと思う。端午節を過ぎれば、台湾では冬服を完全に仕舞う。ここから長くて蒸し暑い本格的な夏が到来することになる。
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さて、先日ある「台式日本料理」店で「炸喜相逢定食」というのをいただいた。華語で「炸(ヅァー)」は「揚げ物」のこと、では「喜相逢(シーシァンフォン)」とはある食材のことだが、いったい何のことだろうか?実はこの「喜相逢」は華語ではなく、台湾語で読まなければならない。台湾語で読みさえすれば、その発音から日本人にも何の食材か推察できる。正解は「喜相逢 si-siá-mooh」、つまり魚の「ししゃも」のことであり、私がいただいたのは、「ししゃもフライ定食」ということになる。
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台湾ではもともと日本語だった(外来語由来の日本語も含む)言葉が、このように台湾語に転じて残っていたり、さらにそこから転じて華語に取り込まれていたりする例が少なからず見られる。私もこの3月から、月に2回のゆったりとしたペースだが、台湾師範大学の台湾語の社会人クラスに通い始めている。もう何周回遅れなのか分からないが、台湾在住19年目にしてようやく台湾語と本格的に向き合うこととなった。本日は自分自身の頭を整理する意味も含めて、台湾語になった日本語たち、私のいつもの表現でいうならば「台湾に根を下ろした日本語たち」について考えてみたい。
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先ほどの「喜相逢 si-siá-mooh」の例のとおり、日本語の音訳で台湾語になっている食材、食品はいくつもある。パッと思いつくだけでも、「thoo-má-tooh(トマト)」、「lìn-gòo(林檎)」、「sú-sih(寿司)」、「ua-sá-bih(山葵)」、「mi-só-sí-luh(味噌汁)」、「便當 piān-tong(弁当)」、「thia̋n-pú-lah(てんぷら、華語では『甜不辣』と表記)」、「黑輪 oo-lián(おでん)」、「sá-keh(清酒)」、「bì-lù(ビール)」といった言葉が挙げられる。
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これらの言葉は、日本統治時代から現代にかけて台湾の人々の日々の生活の中で使われ続けてきた言葉であり、その使用頻度が高かったことから台湾語として定着していったことは容易に想像できるだろう。そして、このほかにもいくつか注目したい点がある。「便當 piān-tong」「黑輪 oo-lián」などは日本語の音訳として台湾語での決まった漢字の当て字が存在するが、その他の例では、「thoo-má-tooh」、「lìn-gòo」のように、決まった漢字の当て字が存在せずに、日本語の音だけを借用し使い続け、定着してしまったものが多い。
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また、「thia̋n-pú-lah(てんぷら)」は、以前もお話しましたが、日本の関西、九州地方で魚肉の練り物である「てんぷら(さつま揚げ)」が、日本統治時代にまず生活用語の台湾語の中に「thia̋n-pú-lah」という音で入り、戦後になって中華民国が統治を始めてから、既に台湾語の語彙となっていた「thia̋n-pú-lah」に、華語で「甜不辣」という漢字を充てて定着したものと考えられる。「thia̋n-pú-lah」について言えば、起源をさらに遡れば、日本のオリジナルの語彙ではなく、400年以上前にポルトガルの宣教師が「カステラ」などとともに、日本に持ち込んだ「揚げ物」を意味するポルトガル語である。すなわち、ポルトガル語→日本語→台湾語→華語という流れで定着した語彙であると考えると、長旅を続けたこの言葉は何とも感慨深い。
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「thoo-má-tooh(トマト)」(メキシコ先住民語が起源、英語経由)や「bì-lù(ビール)」(江戸末期に蘭学とともに入ったオランダ語)も外来語由来の日本語だが、生活用語の中には、このように日本語の外来語が台湾語に定着したケースも多い。「kha-báng(かばん)」(オランダ語『kabas』、漢語『夾板=キャバン』の二説あり)、「oo-tóo-bái(オートバイ) 」(和製英語)、「thoo-lá-khuh(トラック)」、「引擎 iân-jín(エンジン)」、「loo-lái-bà(ドライバー)」などが(以上英語)挙げられる。私のバンドの「ba̍t-té-lih(八得力) 」も、電池を表す英語由来の外来語battery(さらに遡ればラテン語の「battuere(打つ、叩く)」が起源)であるが、このバンド名は「音楽を通じて聴いてくださる皆さんに生活のエネルギーをシェアしたい」との想いから名付けられた。
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また「衣食住」の「衣」の部分に関しては、「se-bí-looh(背広)」、「ne-kut-tái(ネクタイ)」、「siat-tsuh(シャツ)」といった言葉も台湾語として定着している。これも日本統治時代から背広を着てネクタイを締め、「kha-báng(かばん)」を提げて出勤する生活スタイルが台湾でも広まっていったことを物語っているだろう。
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ではここで、当初はアイドル歌手路線で芸能界デビューを果たした金城武さんが、1992年にリリースしたファーストアルバム『分手的夜裡(別れの夜)』の中の1曲『夏天的代誌(hā-thinn ê tāi-tsì/夏の出来事)』をお聴きいただきたい。この曲は作詞が映画監督、脚本家やプロデューサーとしても有名な呉念真(ウー・ニエンチェン)さん、作曲が台湾の吉田拓郎とも言われる陳昇(チェン・ション)さんという大御所シンガーソングライターが名を連ねていることからも、いかに制作サイドが力を入れていたかがお分かりいただけるだろう。この曲の中には、お母さんから教わったという「おはよう」「スリッパ」「ありがとう」「ちり紙」「幼稚園」「味噌汁」「茶碗蒸し」「ご飯食べる」「愛してる」という日本語由来のフレーズがいくつも出てくる。
<第2セクション:台湾の社会基盤の様々な分野に見られる日本語たち>
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さて、次に「教育・学校」「医療・衛生」「警察・司法」「建築・交通」などの様々な領域で台湾語に残っている日本語由来の言葉を見ていきたい。
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まず、「教育・学校」の分野では、「教官(kàu-kuann)」という言葉がある。「教官」は、「教育」+「官職(職名)」という構造から生まれた明治時代以降に日本で作られた和製漢語で、軍隊や警察、教育機関などで、訓練や指導を行う立場の人物を指す。日本では「航空自衛隊の教官」「警察学校の教官」などのように使われている。台湾では日本統治時代に導入され、現在でも学校では軍事訓練・校内紀律を担当する職員(特に高校や大学での軍訓老師)を指している。このほか、「講義(káng-gī)」、「宿題(siok-tê)」、「學年(ha̍k-nî)」、「試驗(tshì-giām)」などの概念も日本統治時代に伝わった和製漢語である。
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次に「医療・衛生」の分野では、「注射(tsù-siā)」が挙げられる。中国では「打針(ダァヅェン)」という言い方が一般的で、台湾語にもこれに近い「拍針(phah-tsiam)」という言い方もあるが、それと同じくらいに、医療現場では「注射(tsù-siā)」もよく使われる。「看護(khan-hōo)」、「消毒(siau-to̍k)」、「衛生(uē-sing)」なども同様によく使われる言葉であるが、これらの言葉は生活用語とは違って音訳ではなく、翻訳語である和製漢語が先にあって、その漢字を台湾語で読み慣わしているという構造である。したがって、台湾の人々にとっては、もはや日本語由来の言葉という意識すらなく、最初から台湾語の語彙として認識しているケースがほとんどだろう。
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続いて「警察・司法」の分野をまとめて見ていきたい。「派出所(phài-tshut-sóo)」、「鑑識(kàm-sik)」、「刑事(hîng-sū)」、「檢察官(kiám-tshat-kuann)」、「法庭(huat-tîng)」、「判決(phuànn-kuat)」、「刑務所(hîng-bū-sóo)」など官職や施設、専門用語に日本語出身の言葉が散見される。
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「建築・交通」の分野でも、「architecture」の翻訳語としての「建築(kiàn-tio̍k)」、「design」や「plan」の翻訳語としての「設計(siat-kè)」(「設計」は『三国志』にも策略を練るという意味で登場するが「デザイン」の訳語としては和製漢語由来)、鉄道用語の「列車(lia̍t-tshia)」、「電車(tiān-tshia)」、「車掌(tshia-tsióng)」も、それぞれ「train」、「electric train」、「train conductor」の訳語の和製漢語である。
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以上のことから伺えることは、日本統治時代に進められた台湾への技術移転や台湾でのインフラ、制度の整備が、これらの言葉に色濃く反映されている点だ。日本では明治時代に、多くの新しい概念が外来語から漢訳されたが、こうした言葉は台湾でもそのまま使われた。戦後も形式的な語彙はそのまま官公庁や法廷などで現在も使われている場合が多く、書面語として定着。専門的な用語は、戦後も日本語を話す技術者や専門職が活躍していたこともあり、長く使われてきた。また、戦後に「国語」となった華語(北京語)よりも、台湾語の表現として自然に感じられるためか、そのまま台湾語の口語として定着した語彙も多い。
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ではここで、オリジナルは白冰冰(パイ・ピンピン)さんが歌った『阿娜答(あなた)』を、本日は台湾語のデュエット曲を数々残した高向鵬(カオ・シァンポン)さんと方怡萍(ファン・イーピン)さんのコンビのバージョンでOA。この曲にも日本語由来の言葉がたくさん登場するので、いくつ聴き取れるか、ぜひ耳を澄ましてお聴きいただきたい。本日は1番が台湾語、2番が日本語で歌われている台湾語、日本語のミックス・バージョンでお届けしたい。
<第3セクション:本来のニュアンスと少しズレる台湾語となった日本語たち>
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最後に日本語由来のはずだが、台湾語に定着した後で本来の日本語のニュアンスと若干ズレた使い方をされていると感じる言葉について、いくつか紹介していきたい。まずは「oo-jí-sáng」と「oo-bá-sán」。台湾語では特定の漢字の当て字はないが、華語ではそれぞれ「歐吉桑」「歐巴桑」と表記される。日本では、30代半ばから40代になると「俺もそろそろオジさんだ」「私はもうオバさんなのかしら」という発言がチラホラ聞かれるようになるが、台湾の基準では、まだまだ「oo-jí-sáng」や「oo-bá-sán」からはほど遠い。50代でもまだまだで、60を過ぎればようやく胸を張って(張る必要もないが)「oo-jí-sáng」「oo-bá-sán」を名乗ることができるという感じだ。日本語のニュアンスでいうと、初老の「おじいさん」「おばあさん」に近い。
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また、運転手を表す「運將 ùn-tsiàng」という言葉も台湾ではよく耳にするだろう。日本語の「運ちゃん」は、もともとは運転手に親しみを込めて呼ぶ言い方だった。少なくとも私が少年時代の昭和の半ばくらいまではそんな感じだった。ところが、いつの間にか、テレビ業界などではこの言葉を差別用語として「放送禁止用語」にしてしまった。したがって、日本では既に使われなくなってしまったし、マイナスイメージが付き纏う言葉になってしまった。しかし、台湾では相変わらず親しみを込めて、「ちゃん」に当たる漢字も「将軍」の「将」を当てるくらいだからリスペクトも込めてこの言葉を使い続けている。
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このほか、台湾の人が良く使う「奇檬子 khi-móo-tsih(気持ち)」が良い、悪いという時の「奇檬子 khi-móo-tsih」は、日本語では「気分」というのが的確な気がするし、「阿莎力 a̍t-sá-lih(あっさり)」も性格がさっぱりしている、テキパキしているという感じで、微妙にニュアンスがズレるので注意が必要だ。私が面白いと思う言葉に「阿沙不魯 a-sa-puh-luh」というのがある。これは「朝風呂」から派生した言葉と思われ、福島県の民謡『会津磐梯山』に登場する人物で、朝寝、朝酒、朝湯が好きで財産を潰したと言われる天下の道楽者の小原庄助のエピソードを念頭に置いたものと思われる。人の品格を評し、「低俗」「ろくでなし」くらいの意味になる。
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本日は台湾語になった日本語、「台湾に根を下ろした日本語たち」を駆け足で紹介してきたが、言葉の向こうに日本と台湾の歴史的な繋がりを何度も垣間見ることができたことと思う。現代でも台湾語ではなく、台湾華語にも「元気」、「人気」、「出没」、「小確幸」などの言葉は常に入り続けているし、「歐伊西(おいしい)」、「卡哇伊(かわいい)」などの言葉もすっかり市民権を得ている。逆に台湾発で日本語に入ってきた言葉もあると思うが、機会があれば今度はそちらの方にも注意を向けてみたい。
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本日は、先ほどもご紹介した高向鵬(カオ・シァンポン)さんと方怡萍(ファン・イーピン)さんのデュエット曲で『緣未了(iân buē-liáu/縁は残っている)』をお聴きいただきながらお別れ。この曲の「忘れない」という日本語のフレーズはとても印象的で、この二人の最大のヒットソング。
Rti 台湾国際放送
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