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馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」) - 2025-03-30-台湾で脈々と息づく媽祖信仰

  • 30 March, 2025
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馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」)
中央社提供「大甲媽祖遶境」と「白沙屯媽祖遶境」の写真からコラージュ

<第1セクション:台湾の媽祖信仰の歴史概略>

  • 媽祖(まそ)は、台湾で最も広く信仰されている海の女神であり、特に漁師や航海者の守護神として崇められている。媽祖信仰は中国福建省の沿岸地域から伝わり、台湾社会に深く根付いている。とりわけ、台湾の4月と言えば、台中市大甲の鎮瀾宮と苗栗県白沙屯の拱天宮に祀られている2箇所の媽祖の大々的な巡礼が行われ、台湾の各地から信者たちが巡行のルートに押し寄せ、信仰熱が最も高まる時期である。本日は台湾の媽祖信仰について、その歴史を詳しく見ていきたい。

  • 媽祖信仰の起源(宋代、 10~13世紀):媽祖の本名は「林黙娘(りんもくじょう)」で、960年頃に福建の湄洲島(現在の福建省莆田市)で生まれたとされている。伝説によれば、彼女は幼少期から霊的な力を持ち、瞑想や修行を重ねた。成長すると、漁師や航海者を嵐から救う奇跡を数多く起こし、海の守護神として崇拝されるようになった。宋代には媽祖信仰が福建一帯に広まり、公式に「天后(天の妃)」として封じられるなど、国家の保護を受けるようになった。

  • 台湾への伝来(17世紀、明末清初):媽祖信仰が台湾に伝わったのは、17世紀の明末清初の時期。特に、鄭成功(1624-1662)が台湾をオランダから奪還する際に媽祖を信仰していたことが大きな影響を及ぼした。鄭成功の軍隊が媽祖の加護を受けて戦勝したとされ、媽祖信仰が台湾で広まるきっかけとなった。また、この時期には福建からの移民が増え、彼らが媽祖信仰を台湾に持ち込んだことも、台湾での媽祖信仰の普及を後押しした。

  • 清朝統治時代の発展(1683年以降):1683年、鄭成功の子孫が清朝に滅ぼされ、台湾は清朝の支配下に入ると、媽祖信仰はさらに広った。清朝政府は媽祖を「天后」として正式に認め、福建や台湾の海上貿易を守る神として信仰を奨励した。この時期、台湾各地に「媽祖廟(媽祖を祀る寺院)」が建設された。その中でも有名なのが、台南の大天后宮(1664年建立)や鹿港の天后宮。これらの媽祖廟は、台湾の文化や宗教の中心としての役割を果たした。

  • 日本統治時代(1895-1945):1895年に台湾が日本の統治下に入ると、媽祖信仰は弾圧を受けることもあった。当時の大日本帝国政府は皇民化の名の下、神道を広める政策を進め、多くの寺廟を統廃合した。しかし、台湾の人々の媽祖信仰は根強く、政府からの圧力を受けながらも各地の媽祖廟は存続。また、この時期には媽祖信仰が民俗信仰だけでなく、台湾人のアイデンティティや団結の象徴ともなった。

  • 現代(1945年以降):1945年の日本の敗戦後、国民党政府が台湾を統治すると、媽祖信仰は再び盛んになる。特に、1950年代以降は媽祖巡行(媽祖を担いで各地を巡る祭り)が台湾各地で大規模に行われるようになった。現在、台湾には約1,000以上の媽祖廟があると言われている。最も大規模な媽祖巡礼は、台中の大甲鎮瀾宮から北港朝天宮の間を9日間にわたって往復400kmを移動する「大甲媽祖遶境(大甲媽祖巡行)」である。この巡行は、毎年旧暦3月(西暦4月頃)に行われ、台湾最大級の宗教行事であり、世界でも有数の巡礼イベントの一つで、数十万人、時には百万人以上の信者が台湾全土から参加する一大イベント。また、近年では台湾の政府も媽祖信仰を文化観光資源として活用し、媽祖巡行や廟の国内外からの観光振興に力を入れている。

  • ここで、南投県草屯出身の2人組のユニット草屯囝仔/Caotun Boyzの歌で『媽祖 Mazu 』をOA。

<第2セクション:台湾最大の宗教イベント、大甲鎮瀾宮の媽祖巡行>

  • 「大甲媽祖遶境(大甲媽祖巡行)」の起点となる大甲鎮瀾宮は、台湾中部・台中市大甲区に位置し、1730年に創建された媽祖信仰の拠点の一つ。この廟の媽祖像は、雲林県北港の朝天宮(台湾の媽祖信仰の発祥地の一つ)から分霊されたと伝えられている。このためであろう、巡行は大甲鎮瀾宮(台中)から北港朝天宮(雲林県)を往復するルートが採られる。そして、今年の巡行は4月4日〜13日の9日間となっている。間も無くスタートだ。

  • 媽祖巡行の流れは概ね次の通り。巡行の前夜、大甲鎮瀾宮で盛大に「啟駕大典(出発儀式)」が開かれる。祈祷や神聖な儀式が行われ、媽祖の神像が「神轎(神輿)」に乗せられる。太鼓や爆竹の音とともに媽祖が大甲鎮瀾宮を出発する瞬間が最初のクライマックス。次に「遶境進香(巡行開始)」。信者たちは媽祖の神輿を担ぎ、400kmの巡礼の旅に出発。途中、沿道のさまざまな町や村を訪れ、地元の人々から熱烈に歓迎を受ける。同行する巡礼者に対し、沿道の信者から「香客大餐(巡礼者の食事)」と呼ばれる無料の食事や飲み物が提供されることもある。参加者は道中で「三跪九叩(さんききゅうこう):三回ひざまずき九回頭を下げる礼」を行い、媽祖への敬意を表す。媽祖の巡行とともに、信者は夜通し歩き続けることも多く、非常に体力消耗することになる。

  • 巡行の目的地である北港朝天宮に到着すると、媽祖に線香を捧げ、平安を祈る儀式が行われる。大甲鎮瀾宮の媽祖は北港朝天宮からの分霊とされるので、これが一年に一回の里帰りとなる。この時が再びのクライマックス。ここで正式な参拝を済ませた後、媽祖の神輿は再び大甲鎮瀾宮に向かって戻っていく。「回鑾」と呼ばれる帰路も往路と同じように、多くの信者が媽祖の神輿とともに歩く。出発から9日後に、大甲鎮瀾宮に帰還すると、媽祖像が元の位置に戻され、巡行は無事終了。だいたいこのような流れである。

  • なお、媽祖の巡行中には、さまざまな伝統的な風習や儀式が行われる。巡行ルートの各地の沿道では、「迎媽祖」と呼ばれる媽祖の出迎え儀式が行われ、住民たちは供え物を準備し、爆竹を鳴らし、太鼓を叩き歓迎する。多くの商店や家庭でも、媽祖に敬意を表し、祭壇を設置する光景も見られる。獅子舞や龍舞、伝統武術などのパフォーマンスも加わり、祭りの雰囲気を盛り上げる。また厄除けや幸運を願って「鑽轎腳」と呼ばれる、信者たちが媽祖の神輿の下をくぐる儀式も各地で見られる光景だ。これを行うと、媽祖の加護を受け、無病息災になると信じられている。

  • 信者たちは巡行に参加することで、媽祖の加護を受け、心身の浄化を体験できると信じている。また、地域社会が一体となって媽祖を迎え、巡行をサポートすることから、地元コミュニティの絆が強まる「かすがい」の役割も果たしている。さらに、大甲媽祖巡行の規模や宗教的・文化的価値を評価した台湾の政府は、2009年にこの巡行を無形文化財に指定し、現在は文化遺産や観光資源として積極的に媽祖巡行をPRしている。巡行に参加するのに特別な資格は必要ない。したがって、地元の人々に混じって、多くの外国人観光客の姿も見られる。

  • ではここで唐芯さんが歌った『媽祖之歌』をOA。

<第3セクション:白沙屯拱天宮の巡行、そして台湾に根を下ろした媽祖信仰>

  • ここで、大甲鎮瀾宮の次に人気のある白沙屯拱天宮の媽祖についても簡単に触れておきたい。台湾西部・苗栗県通霄鎮の白沙屯拱天宮は百年の歴史をもつ媽祖廟で、ここの媽祖巡行の最大の特徴は、媽祖が「自由に進む」巡行であること。ほかの媽祖巡行では予めルートが決まっているが、白沙屯の巡行は「媽祖の意思」によってその場で進行方向が決まり、参加者は媽祖の「神轎(神輿)」を追いかけながら旅を続ける。媽祖の神輿は、担ぎ手たちが支えながら進むのだが、急に方向を変えたり、走り出したり、時には突然止まったりする。これは、媽祖が信者の願いを聞き、必要な場所へ導いているためと信じられている。したがって、通常の巡行では事前に宿泊地が決まっているが、白沙屯媽祖巡行では宿泊場所すらも直前まで分からないことが多く、まさに「媽祖任せ」の旅となる。

  • この廟の媽祖像は「粉紅媽祖(ピンクの媽祖)」とも呼ばれ、ピンクの神輿に乗せられることが特徴的。巡行の日数は、通常7〜9日間、移動距離は400kmに及ぶ。スタート地点は苗栗県通霄鎮の白沙屯拱天宮、ゴールは雲林県北港鎮の朝天宮で台中の大甲鎮瀾宮の巡行と同じ。ただ、大甲鎮瀾宮の媽祖と違って往復はせず、媽祖の神輿は北港で儀式を終えた後、トラックで白沙屯に戻される。ただ、信者たちは徒歩で帰ることもある。神出鬼没のこの巡行、突然、媽祖の神輿が猛ダッシュし、参加者が必死に追いかける光景が名物。逆に長時間じっと動かないこともある。道なき道を突き進み、畑や民家の間を通ることもある。この「どこに行くか分からない」スリルが、多くの信者や観光客を魅了する。

  • 実は昨年12月に、私と沖縄の三線奏者のAmiさんとのユニットBAMIで、桃園市大渓の「大溪豆干節」のステージに出演したことがあった。そのリハーサルの最中に、何とこの白沙屯の媽祖の神輿が突然会場に現れ、そのままステージまで上がって来た。全く予期しないハプニングに面食らったが、これも大切なご縁と思い、BAMIの二人で喜納昌吉さんの『花』を歌って、とっさに奉納させていただいたことがある。このエピソードは以前この番組でも紹介させていただいたが、この媽祖様が出現した時のハラハラドキ感は、私も身をもって体験している。それ以降、私もすっかりこのピンクの媽祖様のファンとなってしまった。

  • 媽祖信仰は海外の華僑社会にも浸透している。東南アジア(マレーシア、シンガポール、インドネシア)やアメリカなど、台湾系・福建系移民が多い地域では媽祖廟が建てられている。日本でも東京の新宿や横浜に媽祖廟があり、ちょうど1年前には、嘉義県の新港奉天宮の媽祖が姉妹寺廟である長崎市の興福寺に分霊されたとのニュースもあった。

  • 台湾の媽祖信仰は中国の福建から伝わったものだが、台湾の海洋文化や社会に深く根付き、この土地で独自の進化を遂げた。航海者や商人の守護神として清朝時代には国家的な保護を受け、日本統治時代や戦後の変遷を経て、現代では台湾最大の民間信仰の一つとして広く信奉されている。本家だったはずの中国では、共産党による独裁体制、とりわけ文化大革命の時期に媽祖信仰をはじめあらゆる宗教は徹底的に破壊され、廃れてしまった。一方台湾では、媽祖は単なる宗教的存在にとどまらず、台湾文化やアイデンティティの象徴として、ますますその輝きを増しながらこれからも受け継がれていくことだろう。

  • 本日のお別れの曲は、林姍さんが歌った白沙屯媽祖の巡行をテーマにした『粉紅超跑(ピンクの疾風)』をOA。

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