<第1セクション:3月下旬から台湾はトビウオのシーズン>
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リスナーの皆さん、こんばんは。台湾は日本列島より随分と南に位置しているが、特に東海岸沖では日本でもお馴染みの魚が捕れる。クロマグロやキハダマグロ、カジキ、カツオ、カンパチ、サバ、マアジなどの回遊魚のほか、秋には日本海沿いではノドグロと呼ばれている高級魚のアカムツも水揚げされる。そして、3月下旬から7月上旬までの4か月ほどは、トビウオのシーズンを迎える。
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台湾でトビウオと聞くと、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは、台東の南東の沖合に浮かぶ離島の蘭嶼ではないだろうか。台湾では澎湖島に続いて2番目に大きな離島の蘭嶼だが、そこに居住しているのは、「原住民族」のタオ族。そして、トビウオはタオ族にとっては貴重な食料であるとともに、彼らの伝統文化の源泉でもある。毎年春に黒潮に乗って蘭嶼近海に飛魚が群れ集まる頃、タオ族はトビウオ漁を行う。トビウオ漁には、木造漁船である「Cinedkeran(チヌリクラン)」と呼ばれるカヌーに似た、舳先が天に突き出した木造船が使われる。ここでタオ族が漁の時に歌う『到小蘭嶼捕飛魚之歌(「台灣原住民音樂紀實」より)』のワンフレーズを聴いてみよう。
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タオ族とトビウオは切っても切れない関係にある。タオ族の間にはこんな神話が残っている。「もともとトビウオは他の魚介類と一緒に調理されていたのじゃが、どうしたことか食べた人は怪我を負い、トビウオも病気になってしまった。すると、ある老人の夢に黒い翼のトビウオが現れて、そのトビウオはこんなことを言った。『トビウオを料理する際には、他の食材とは別の鍋を使わなくてはならない…(後略)』。そして、夢の終わりに黒い翼のトビウオは老人に翌日Yabnoy(ヤブノイ)で会おうと告げた。老人がお告げの通りそこへ行ってみると、果たして例のトビウオが待っていた。トビウオは自分の家族を老人に紹介すると、トビウオ漁や収穫後のトビウオの扱いや調理法に至るまでタブーや儀式を事細かく伝えた。」そして、タオ族の人々は今でもこの神話の教えを忠実に守っている。
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蘭嶼では、トビウオ漁の時期には「飛魚祭」と総称される一連の祭典が行われる。大きな祭典としては、1)旧暦の1月には今年も多くのトビウオが蘭嶼沖にやって来るようにと豊漁を祈って「Rayon」と呼ばれる「招魚祭」。2)旧暦の3月〜5月には収穫をお祝いする「Teiteika」と呼ばれる「收藏祭」。3)旧暦8月15日の中秋節に、こちらも「Teiteika」と呼ばれる「終食祭」。この祭典を終えると、その年はもう飛魚を食べてはならない。さらに細かく見ていくと、実はこのほかにも「漁船結成祭」、「飛魚漁祭」、「船組招魚祭」、「大船初漁祭」、「船組解散祭」、「個人漁家祭」、「個人漁招魚祭」、「小船初魚祭」、「個人漁獵終止祭」、「盡食飛魚祭」、「飛魚乾收藏祭」など、船の大きさや船団や家族ごとに実に細かく、トビウオ関連の祭典が規定されているのだ。
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トビウオを食べる際のタブーについても触れておこう。これも先ほどの神話に基づいている。まず、他の集落で釣ったトビウオはもらうことも食べることはできない。釣ったトビウオは同じ集落内でのみで交換することができる。また、トビウオを食べる前には、川や海岸の水で洗ってはならない。食べるときは一尾丸ごと食べなければならず、切り分けてはならない。特に尾びれと胸びれは切り取ってはならない。さもなければ、トビウオの豊漁は約束されなくなる。焦げたり地面に落ちたりしたトビウオは食べてはならない。トビウオ漁の期間は、巻貝、ショウガ、豆類、柑橘類を食べることは禁止……等々。タオ族の人々が、どれだけ伝説に敬虔で、その生活がトビウオ漁と切っても切れない関係にあるかがお分かりいただけるだろう。ここで、蘭嶼島のさまざまな場所の自然の音を採取したアルバム『蘭嶼的一天-潮』から「紅頭村海唱 」を暫しお聴きいただこう。また、歌手名は不明ながら、かつての文化建設委員会のプロジェクトでタオ族語でレコーディングされた『美麗的蘭嶼(美しい蘭嶼)』をOA。
<第2セクション:トビウオの安定的水揚げを誇る宜蘭県の粉鳥林漁港>
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ところで、トビウオといえばぜひ紹介したい人物がいる。先日、ふと思い立って宜蘭県蘇澳鎮の東澳という場所に行ってきた。ここは夏は海水浴やシーカヤックの愛好者たちで賑わうが、粉鳥林漁港に定置網漁の魚が水揚げされる以外には、特に観光スポットと呼べるものはなく、冬場は閑散としているところだ。その東澳に一人の日本人が昨年3月に台北から移住してきた。一昨年まで台北の居酒屋の店長として料理の腕を振るってきた伊藤勉さんだ。伊藤さんはこの地で一軒家を借り、トビウオを乾燥させて焼いた「焼きアゴ」を製造する小さな工場を作り、昨年末には自宅兼加工場の一角を自ら改築して「焼きアゴ」出汁100%のラーメンを提供するラーメン店まで併設させた。
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東澳まで足を伸ばしたついでに伊藤勉さんにインタビューをさせてもらった。そもそも伊藤さんはどうしてトビウオに惹かれ、日本でも九州や山陰地方等限られた地域でしか余り馴染みの無い「焼きアゴ」を自ら製造しようと思ったのだろうか。(伊藤さんインタビュー音声1)
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どうして、人里離れた東澳に物件を借りて「焼きアゴ」の工場を建てようと思ったのか。(伊藤さんインタビュー音声2)。定置網漁で安定してトビウオの漁獲が見込める粉鳥林漁港が目と鼻の先にあったことが決め手となった。伊藤さんは台北で料理人をしていた時にも、時々この漁港を訪れては、自分の眼鏡に適った獲れたての新鮮な魚を仕入れていたそうだ。そして、「焼きアゴ」の原料となるトビウオが安定して揚がるこの粉鳥林漁港に目を付けていたということのようだ。
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ところで、この物件はどのようにして借りたのか、という質問に対しては、伊藤さんは次のように答えてくれた。「東澳で不動産サイトをネット検索しても、予想通り1軒もヒットしませんでした。そこで「里長(地方選挙で正式に選ばれる町内会長)」さんに電話をしたんです。すると、親戚が空き家にしているところがあると言われ、すぐに物件を見に来て即決しました。」昨年3月に引っ越してきた時には、上水道も無かった。飲み水は山から湧水を引いてきていた。大雨の後は飲み水が濁った。それでも、地元で知り合った人のツテを使って水道局と掛け合い、数か月後には水道の問題は解決した。
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何年も主人の居なかった家は相当傷んでいた。雨漏りもするし、隙間風も入ってくる。こうした家屋を職人レベルの木工技術を駆使しながら、少しずつ修繕して快適な生活空間、加工場の業務空間を作り上げていった。引っ越して間も無くすると、台湾の東海岸ではトビウオ漁の最盛期を迎えた。毎日足繁く粉鳥林漁港に通いながら「焼きアゴ」の原料となるトビウオの確保に務め、新鮮なうちに次々と捌いて処理をしては、乾燥、焼きの工程へと作業を進めていく。処理し切れない原料のトビウオはいったん冷凍しておかなければならないが、冷凍庫は直ぐに満杯となってしまう。地元で知り合った飲食店のオーナーに頼み込んで、冷凍庫を借りていたこともあったそうだ。
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昨年の7月末には台風も直撃した。海岸に近い自宅兼加工場には海からの凄まじい風雨が直接ドアや窓を叩きつける。さすがにこの時ばかりは恐怖を感じたと伊藤さんは後に語ってくれた。この台風の影響でまる1日半停電もした。しかしながら、幸い冷凍倉庫に入っていた原料のトビウオは何とか傷まずに済んだ。こうした苦労を何度も乗り越え、厨房や加工設備の導入も一歩ずつ進めながら、昨年末には試作を繰り返した上で、ラーメン店の仮オープンまで漕ぎ着けた。しかし、都市部ではなく、人里離れた東澳でどうしてラーメン店を開いたのだろう。(伊藤さんインタビュー音声3)なるほど、あくまでもラーメンは「焼きアゴ出汁」の魅力を台湾の皆さんに知っていただくための、ショーケースという位置付けだったのだ。その根底には、伊藤さんが最初に「焼きアゴ出汁」の入ったお雑煮を食べた時の、あの感動が流れていたのだ。
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伊藤さんのラーメン店「飛屋(とびや)」さんの「焼きアゴ出汁」ラーメンをいただいた。スープを一口含むと、淡麗で優しくあっさりとした口当たり、その後に奥深い旨みがどこまでも広がっていく。和の匠の技を感じさせてくれ、本当に美味しい!そして、このスープは細打ち麺との相性も抜群で、喉越し良くするすると入っていく。チャーシューや煮卵、刻んだ青ネギと紫タマネギのトッピングも味、食感、彩りのすべてが完璧で、作り手の情熱と心遣いを感じさせてくれる一碗だった。感動した。台湾では唯一の味であり、私の中ではお世辞抜きでNo.1のラーメンだった。現在は予約があった時のみの営業ということだが、私が訪れた時にも、前後で二組の予約が入っていた。台北から2時間半かけてでも、いただく価値は十分ある。本日の二曲めは、蘇打綠/ Sodagreenさんの歌でその名もズバリ『飛魚』をOA。
<第3セクション:台湾の多くの人に「焼きアゴ」の魅力を知ってもらいたい>
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トビウオを加工した「焼きアゴ」は、台北の飲食店にも業務用に卸し始めているそうだ。トビウオの形がそのままのもの、それを粉末に加工して瓶詰めやパック詰したもの、さらに1回ごとに使い切れるよう出汁パックにしたものを商品として開発している。今後の展望を伊藤さんに聞いてみた。(伊藤さんインタビュー音声4)今後は業務用と並行して小売の方にもシフトしていくようだ。台湾の家庭でも伊藤さんの「焼きアゴ出汁」で作られた料理が並ぶ日を想像しながら、ワクワクした。また、東澳のラーメン店を皮切りに、この味を台北などの都市でも味わえるよう店舗を展開することができたら、とも伊藤さんは語ってくれた。
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私も50歳を手前にして、長年勤めた組織を離れ、フリーランスの創作者、表現者としてまったく違う世界に飛び込んだ人間だ。伊藤さんが40代半にして新たな世界に味を置き挑戦し続けている姿、そして一つ一つ自分の思い描いた形へと近付けている姿を見て大いに励まされた。また、伊藤さんのチャレンジには、自分のできる範囲で応援をしていきたいと思った。あのラーメンを口にした瞬間、伊藤さんはきっと成功すると確信をした。今後の伊藤さんがどのように展開していくのかを心より楽しみにしている。
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台湾は3月の下旬から今年もトビウオのシーズンに入る。蘭嶼のタオ族の人々も、そろそろ豊漁を祈願する「Rayon=招魚祭」の準備に余念がないことだろう。そして、伊藤さんの拠点である東澳の粉鳥林漁港でも、定置網の中に徐々にトビウオの姿も混じってくるはずだ。今年のトビウオ漁の豊漁を願わずにはいられない。本日のお別れの曲は、 飛魚樂團さんセレクトの『達悟情歌』をOA。
Rti 台湾国際放送
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