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馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」) - 2024-12-29-年末に「国際文化交流」について考える

  • 29 December, 2024
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<第1セクション:「交流協会」から「日本台湾交流協会」へ>

  • 今年も残すところ、あと3日。年の瀬も迫ってきた。そんな現在、台湾を賑わせている話題がある。台湾の人気YouTuberの八炯(バージォン)さんのチャンネルで、少年期から中国で暮らし、中国のネットでも人気だった台湾人ヒップホップミュージシャン閩南狼さんが、中国の「台湾統一工作」を目的とした認知戦の手口をドキュメンタリー映像の形で暴露したのである。

  • 中国の認知戦が台湾に浸透しているとの議論はこれまでにも何度も接してきたが、ここまで具体的な証拠や中国側の組織名・人名を挙げて映像で示されたのは今回が初めてであり、内政や国防の観点からこれまで以上の大きな議論が巻き起こっている。この一連の動きを眺めながら、私はかつて20年間携わった国際文化交流について思いを馳せた。ロシア・ウクライナ戦争ももうすぐ丸3年、中東の火種も絶えない今だからこそ、年末最後の放送はこの国際文化交流についての考えを整理しておきたい。

  • 私は1990年10月〜2011年1月のほぼ20年間、日本の外務省所管の独立行政法人(就職した当時は特殊法人)の国際交流基金という組織に属していた。外務省の文化外交政策に基づき、日本と諸外国との文化交流の橋渡しを専門に行う機関である。国際交流基金は、半官半民の準公務員とみなされていた。私はこの組織での勤務期間に、中国の北京、オーストラリアのシドニー、そして台湾の台北にも駐在員として派遣された。台北については、より正確に言えば、出向の形で日本台湾交流協会台北事務所に文化室長として赴任していた。

  • 皆さんご存知のとおり、日本と中華民国台湾との間には国交は無い。しかしながら、1972年9月29日までは、台北には在中華民国日本国大使館が、東京には在日本国中華民国大使館がそれぞれ置かれ、国交は存在した。この日、日本が中華人民共和国との国交を樹立したことを受け、その裏側では日華断交という歴史的事件が発生したのであった。しかしながら、日本から見た場合、在留邦人の保護や実務レベルでの経済・文化の交流は変わらず続けていかなければならない。このため、外務省と当時の通商産業省(現在の経済産業省)が共同所管となる財団法人交流協会(現在の日本台湾交流協会)を立ち上げ、実質上の日本側の代表機関として大使館業務を担わせたのである。台湾側も側も亜東関係協会(現在の台湾日本関係協会)を立ち上げ、同じく日本に大使館機能を肩代わりする台北駐日経済文化代表処を置くこととなった。

  • なぜ、日華断交当初「交流協会」という、どことどこが交流するのかもわからない中途半端な組織名となったのか?実は当初は中華民国の「華」の字を取って「日華交流協会」にする案があった。しかしながら、中華人民共和国と中華民国という二つの中国の存在をを認めない中国側から強烈な反対に遭い、結果として国名を表す「日」も「華」も落ちて、「交流協会」という名称に落ち着いたというのが裏話である。「交流協会」が正式に「日本台湾交流協会」と名乗るようになったのは、時代が降って2017年1月1日になってからのことである。この時も中国政府は当然反対をしたのだが、機が熟したと判断した日本側は、かつてのような過度の配慮は中国側には行わず、そのまま押し切ったと聞く。

  • さて、このような経緯があった日本台湾交流協会だが、台北事務所が実質的な大使館ということもあり、そこに派遣された私も「見なし外交官」の扱いを受けた。日本台湾交流協会台北事務所のトップである代表は、このため台湾側の皆さんからは「大使」と呼ばれていたし、今もそのように呼ばれている。私も台湾で数々のメディアの取材を受けてきたが、記事やニュースでは決まって「前外交官(元外交官)」として紹介されている。厳密には外交官ではなく「見なし外交官」だが、いちいち否定するのも面倒なので、そのままにしている。

  • ではここで、私が交流協会の文化室長として台湾に赴任した2007年当時のヒット曲で、張惠妹A-Meiさんの『如果你也聽說(あなたも聞いていたなら)』をOA。私も大好きな切ないバラード。

<第2セクション:国際交流における「相互理解」と「agree to disagree」>

  • 国際文化交流の現場に身を置いていた時、過去の歴史に照らして、私自身が肝に銘じてきたことがある。それは「言語帝国主義」や「文化帝国主義」に決して陥ってはならないということである。「言語帝国主義」や「文化帝国主義」とは何か?簡単に言えば、自分の言語や文化を相手に押し付けることである。英語やスペイン語が、なぜ世界の最も多くの地域で話されている言語なのかを考えればすぐにわかるだろう。かつての帝国主義による植民地だった場所で、これらの言語が母語に取って代わって話されるようになり、文化や風習にも大きな変化をもたらしたのは周知の通りである。

  • かつての日本も例外ではなかった。私が所属していた国際交流基金も、その前身は、戦前から戦後のひと時まで(1934〜1972年)は国際文化振興会(通称:KBS)という国際間の文化交流、特に日本文化の海外紹介を目的として創設された組織だった。満州事変以後の日本のイメージアップを図るという意味合いもあったが、「日本語の普及」もその重要な任務の一つであった。したがって、国際文化振興会の存在は、日本統治下にあった当時の台湾とも無縁ではない。

  • 先ほど私は「日本語の普及」という言葉を使ったが、現在ではこの言い方は極力避けて「日本語教育の支援」という言い方に改めている。「普及」という言葉には、能動的主導的な意味合いがあり、ややもすると上から目線になりがちである。使い方を間違えると、「言語帝国主義」にも直結してしまう恐れがあるからだ。したがって、あくまでも外国の、現地からの要請に基づいて必要なリソース「支援」するという受動的なスタンス採るようになった。この姿勢を保ち続けることは、「言語帝国主義」的なニュアンスを打ち消し、不必要な誤解を避ける上でも大変重要なことなのである。

  • もう一つ、国際文化交流の世界では、「相互理解」という概念がよく使われる。つまり、相手のことを知り、自分のことを知ってもらうということだ。もう少し砕いて言えば、相手国の文化や社会を自分たちが理解することを通じて、相手国の人々の価値観や行動様式を知り、反対に自国の文化や社会を相手国の人々に理解してもらうことを通じて、自分たちの価値観や行動様式を知ってもらうということになる。そして、その先にあるものは何か。それは異なる価値観の相互尊重に繋がっていく。

  • 例えば、相手国や相手国の人々がどうしてそのような価値観を持つようになったのか、文化的社会的背景を理解できるようになったとする。ただ、その価値観を自分たちが受け入れることはできないという時にどうすれば良いのか?その際には「agree to disagree」が大変重要になってくる。「自分たちは賛同できないが、あなた方がそういう考え方であることは理解し、それを尊重する」という態度だ。価値観が対立しても相手を「尊重」するというところでお互いにとどまることができれば、紛争や戦争は回避できることも多い。

  • 1972年の田中角栄首相と周恩来総理の間で署名された「日中共同声明」を思い出した。その第三項に次の一文がある。「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。」要するに、日本政府は中国の主張を理解し、尊重すると言っているだけで、同意するとは言っていない。台湾の政府や人々にとっては、「日華断交」に繋がったこの共同宣言を受け入れることは難しいのは承知の上で敢えて述べるが、この「理解し、尊重する」の一言は、外交の知恵が集結された一句であることはこの機会に改めて共有しておきたいと思う。

  • では、ここで私が国際文化交流を推進する公的機関の国際交流基金を離れた2011年にリリースされた曲で、蕭煌奇さんが歌った『末班車(The Last Train)』をOA。

<第3セクション:「国際交流は人に始まり人に終わる究極の安全保障」>

  • 最後にご紹介するのは、国際文化交流の分野で活躍した先輩方が残した二つの言葉である。一つは、戦前は国際ジャーナリストとして活躍し、戦後は長らく国際文化会館の館長を務められた松本重治さんの「文化交流は人に始まり、人に終わる」という言葉である。この言葉は国際文化交流の本質を簡潔に鋭く突いている。国籍や民族や文化が異なる者同士でも、人と人が直接対話することによって、多くの場合、相互理解は進んでいくはずなのだ。文化交流の世界では、あらゆる人は対等の立場である。どちらの文化が「優位」であるということはない。あるのは「違い」があるだけだ。お互いの「違い」を認め合うことが、文化交流の本質であり、その主役はいつの時代も「人」なのである。

  • もう一つ私が大切にしてきた言葉がある。民俗学者の梅棹忠夫さんが遺した「国際交流は究極の安全保障」という考え方だ。梅棹さんは国際交流基金の諮問委員を長らく務めてくださった方で、数多くのアドバイスを私たちにしてくださった。国際関係を語る上で二つのパワーが存在する。一つがハードパワー、すなわち「武力」である。武力によって紛争を抑止し、また解決するという考え方であり、これは安全保障の一般的現実的な方法アプローチである。

  • その一方、ソフトパワーも存在する。それが「文化力」である。その国の文化の魅力を伝えることで、相手国の人々からの理解と尊重を引き出し、それが長期的には紛争の抑止力に繋がるという考えである。理想論ではあるかもしれないが、先ほど述べた「文化交流は人に始まり、人に終わる」という考えとも相まって、仮に国際交流が進んだ結果、相手国に親しい友人ができて、両国関係が悪化した時にその人に自分は銃口を向けることができるのか、という究極の質問を考えれば、この理想論も単なる絵空ごとではないことは実感いただけるだろう。

  • では、本日のお別れの曲は、現在上映中のドキュメンタリー映画『台湾超人』の主題歌で 李竺芯(シリ・リー)さんが歌った『伍冬拾冬』。この映画には「超人」と言ってもスーパーマンが登場するわけではない。困難に立ち向かい自分の限界を乗り越えた8人の台湾の実在の人物の勇敢な姿を綴ったドキュメンタリー。リスナーの皆さま、この一年間『とっても台湾』、そして台湾国際放送の番組をお聴きいただき、ありがとうございました。どうぞ健やかな良いお年をお迎えください。

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