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馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」)-2024-12-22-『聯合報』副刊「文學相對論」での紙面対談

  • 22 December, 2024
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馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」)

<第1セクション:ライター業「開店休業中」の自分にお鉢が回る>

  • リスナーの皆さん、こんばんは。昨日は二十四節気の一つで、一年で昼の時間が最も短くなる「冬至」であった。日本にいた頃は、私の家では、この日は丸ごとの柚子を数個ほど湯船に浮かべ、柚子風呂に浸かったものだが、台湾ではこの日は暖かいスープ(基本はお湯)に入った「湯圓」と呼ばれる団子を食べる風習がある。私は胡麻やピーナッツの餡が入った大ぶりのポピュラーな「湯圓」よりも、「酒釀」と呼ばれるもち米と米麹を発酵させた甘酒のような調味料を湯で伸ばした甘酸っぱいスープに、小ぶりの白玉団子が浮かんでいる「酒釀湯圓」がお気に入りだ。ほのかな香り付けに「桂花(キンモクセイ)」の塩漬けをトッピングすれば完璧だ。

  • さて、わたしは「斜槓人生(スラッシュ人生)」を標榜し、シンガーソングタイター、俳優、ライター、ラジオパーソナリティーの四つの活動を並行させていることは、これまでにも折に触れ紹介してきた。ただ、私の活動は毎週定例のこの番組『とっても台湾』でパーソナリティーを務めさせていただいている他は、音楽と演劇の頻度が高く、どうしてもライターとしての露出度は限られるというのが実情だ。以前のように連載コラムは持っていないし、前回の自著『約定之地』の出版からは既に3年が経過している。こうした折、台湾の三大紙の一つ『聯合報』から、台湾在住の作家・木下諄一さんとの紙面対談をやってみないかと、今年の8月に思いがけず打診された。

  • もう少し正確に述べると、『聯合報』の文芸・生活欄に当たる「副刊」の毎月1回の「文學相對論」のコーナーで、上・下2回にわたって12月2日と3日に、それぞれ全面の4,500字ずつを木下さんと私の二人の文章で埋めるという企画だった。仄聞したところでは、『聯合報』で既に自分のコラムを持っている木下さんに、台湾在住のどの日本人作家を当てたら良いかが編集部で議論され、最終的に世代の近い私に、白羽の矢が立ったということらしい。しかも12月の紙面対談は、このコーナーの今年のトリを飾るという名誉にも預かることになる。

  • ライターとしてはほとんど開店休業中の自分にとっては、台湾華語で2,250字のエッセイを別々のテーマで2本書くことは、しかも目の肥えた文芸欄の読者向けということもあり、些か荷が重いのではないかとも感じた。ただ、一瞬だけ逡巡したものの、直ぐに謹んでお受けする旨返信をしてしまった。私の中でその仕事を受ける、受けないの最大の基準は、話を聞いて「ワクワクするかどうか」である。新聞紙上で対談するなんてそう滅多にある機会ではないだろうし、気心の知れた木下さんが相手であり、それだったら大船に乗る、あるいは肩を借りる気持ちで挑戦してみよう。新聞社からの依頼の文章から伝わってきた担当の方々の熱意にも後押しされた。何より、この話にワクワクしてしまった自分がいた。

  • 次に必要な作業は木下さんと共通テーマの擦り合わせだ。上・下2回のテーマは、木下さんの次の一言であっさり決まった。「前半の最初の回は、ぼく(木下さん)の小説のタイトルの『記憶中的影子(記憶の中の影)』にして、台湾に初めて来た頃の思い出を語り、後半の2回目のテーマは馬場さんの著作のタイトル『約定之地(約束の地)』にして、自分と台湾という土地、台北という街との繋がりについて語る。これでどうでしょう?」どうもこうも、それで行きましょう、とこれも私が二つ返事をして、そのように決まった。

  • 前半のテーマ「記憶の中の影」では、私が2000年に初めて台北に足を踏み入れた時に、伝統市場で見て味わった「甜不辣(台湾式薩摩揚げ、おでん)」の話と2007〜2010年に台北に駐在していた時の屋台の朝ごはん屋さんとのエピソードを中心にまとめてみることにした。また、後半の「約定之地」では、自分が台湾で「斜槓人生(スラッシュ人生)」を歩むこととなった経緯と百年以上前に、自分の曽祖父も台湾で暮らし、この地で終焉を迎えたエピソードを中心に話を展開してみようと決めた。

  • ではここで、木下さんが台湾を訪れ頃に公開された台湾映画『搭錯車(乗り間違えた車)』のテーマソングで蘇芮(ジュリー・スー)さんが歌った『酒矸倘賣無』をOA。この歌は私も上海留学時代の1987年に初めて聴いて衝撃を受けた曲で、蘇芮さんのファンとなり、台湾ポップスを聴き始めるきっかけとなった1曲。

<第2セクション:紙面対談は文字によるホーム&アウェイの試合>

  • 2日間にわたる紙面対談は、木下さん曰く、ホーム&アウエイのゲームのようだ。1日目の前半戦は、木下さんの小説『記憶中的影子』がテーマで、私から見た場合は相手の土俵で戦うことになるアウェイでのゲーム、反対に2日目の後半戦は、24名の台湾に根を下ろした日本人の小評伝集ともいうべき私の著作『約定之地』をテーマに、自分の土俵で戦うホームのゲームということになる。木下さん、実に上手いことを言う。

  • アウェイゲームの1回戦は、『記憶中的影子』というお題で、木下さんは44年前に、当時は蒋介石の本名を冠した「中正国際機場」、現在の桃園国際空港に降り立ち、國光客運のバスで雨の台北市内に入るところから始まる。街を埋め尽くす大小の漢字の看板、あたかもレースにでも出場するような勢いのバイクの群れ。初めて台湾を訪れる外国人にとっての洗礼のような景色が、雨が伝うバスの車窓越しに描写されている。そして、私にこう問いかけてくるのだ。

  • 「馬場さん、あなたはどうなのでしょうか?あなたの台湾の物語はどのように始まったのでしょうか?」(原文:華語、拙訳)そして、中国文学を専攻し、上海留学や北京駐在も経験した私が、日本政府から外交官として台湾に派遣され、両岸の違いに思うところがあったのではないかと問いかけを続ける。実は私の台湾の物語も、桃園空港から國光客運のバスで市内に入るところから始まる。当時の台湾への玄関が桃園空港で、空港から市内へのほぼ唯一の公共交通機関が國光客運であった訳だから、当然同じようなルートを辿ることとなる。しかし、そこには木下さんとは20年のタイムラグがあった。私は紙面で次のように返答した。

  • 「木下さん、ぼくが初めて台湾の土を踏んだのは、あなたより20年遅い2000年のことだった。だから、ぼくは戒厳令の街の雰囲気も、中華商城の雑踏も、台湾鉄道の自強号で乗客に無料のお茶が振舞われていたことも知らない。あなたの書いた小説『記憶中的影子』や新聞に掲載されたエッセイの描写から、その時代を間接的断片的に追体験することができるだけだ。」

  • 木下さんが台湾を初めて訪れた1980年代は、まだ戒厳令が敷かれた時代だった。しかし、政治の話をしたり、タブーに触れたりさえしなければ、市民生活は至って平穏だったという。それからアジアの「四つの小龍」と呼ばれた高度経済成長の時期や1990年代の民主化の激動の時代の台湾を木下さんは目の当たりにする。私がこの地に足を踏み入れたのは、その後の2000年のことだから、どう逆立ちしたところで、台湾に対する知識や経験は木下さんには遥かに及ばない。

  • 木下さんは前半戦の自分のホームゲームの回をこう締めくくっていた。「馬場さん、あなたが台湾に来たのはもう少し経ってからでしたね。選挙の投票結果が本当の民意を反映し、民主主義社会が年々成熟していく中で、中華商城は取り壊され、西門町は没落し、その代わりにSOGOが開幕して東区がこの世の春を迎えた頃ですね。いや、あなたが来たのはもう少し遅く、台北の最大の繁華街が信義計画区に移った頃だったかも知れませんね。」

  • そう、その通り。私が最初に観光で台湾を訪れたのは、SOGOに加えて24時間営業の「誠品書店」敦南店が東区のランドマークの一つだった2000年だし、駐在員として長期滞在を始めたのが、台北101が新たなランドマークとなって信義区が最も賑やかな商業エリアとなった2007年のことだった。それでも最初に訪れてから24年、台湾に住み始めてから17年の月日が流れた。生き字引の木下さんには敵わないが、それでも自分なりの台湾観を語ることはできるようになり、ラジオの番組も受け持たせてもらえるようになった。何とも有難いことである。

  • では、ここで私が台湾を初めて訪れた2000年に台湾で大ヒットした、シンガポール出身の歌姫・孫燕姿(ステファニー・スン)さんの『天黑黑(空が暗くなる)』をOA。この曲は本当に心に沁みた。

<第3セクション:12月27日には文學サロン「星期五的月光曲」が開催>

  • 後半の私のホームゲームとなる「約定之地」の回については、時間の関係で割愛するが、記事のリンクをウェブサイトの最後に貼り付けておくので、興味のある方はご覧いただければと思う。

  • この紙面対談の後半に、私は木下さんに対して次のように綴った。「『覚悟』と言えば、木下さん、自分が今もいろんなことに挑戦できるのは、あなたのおかげだ。同じ1960年台生まれで二つだけ先輩のあなたが、還暦を迎えてから歩き慣れた世界から一歩踏み出し、果敢に新たな挑戦をしている。電子機器に全く疎く、昔ながらの携帯電話を使い、LINEの使い方すら知らなかったあなたが、一から独学で映像を一人で撮影し、編集し、プラットフォームにアップロードし、アルゴリズムを分析し、現在では2つのチャンネルを合わせて9.5万人の登録者数を誇るYouTuberとなった。あなたは私の手本であり、この場を借りてあなたに私の心からの感謝の念を伝えたい。」

  • 今回の紙面対談にはまだ続きがある。来る12月27日(金)19時30分より、「星期五的月光曲(金曜日の月光曲)」というタイトルの文学サロンが開催される。聯合報副刊、台積電(TSMC)文教基金會、孫運璿(そん・うんせん)科技・人文紀念館共催で毎月1回実施されるイベントだ。孫運璿(Sun Yun-Xuan)は蒋経国総統時代に行政院長(首相)を務めた人物。

  • 113回目を迎え、今年最後の大トリとなる今回は、『聯合報』副刊で紙面対談した木下諄一さんと私、馬場克樹がゲストとして出演し、文学出版の老舗・允晨文化の董事長で、台湾国際放送の華語番組のパーソナリティーでもある廖志峰さんが司会を務める。通常は作家が自分の作品の朗読をした後で、フリートークをするイベントということだが、私の場合は自作の歌を数曲披露しつつ、創作の背景について語ることで主催者からの了解を取り付けている。入場無料、事前登録も不要なので、文学や創作に関心のある方は、今年最後の私のイベントに是非足を運んでいただけたらと思う。

  • 本日のお別れの曲は、これも私のオリジナル曲でこの番組のテーマソング『Promised Land』。台湾は私たちの「約束の地」という思いを込めてお届けしたい。

  • この番組の担当は馬場克樹、お聴きの放送は台湾国際放送です。では、皆様来週まで御機嫌よう。祝福您有美好的一天!

<ご参考>

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