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馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」) - 2024-11-03-台湾に根を下ろした日本歌謡Vol.14:冬景色はどこに?南国台湾のカバー曲事情

  • 03 November, 2024
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馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」)

<第1セクション:『津軽海峡・冬景色』の台湾語カバー曲『咱的一生咱的愛』>

  • 今年も4日後の11月7日に「立冬」を迎える。本日は台湾に根を下ろした日本歌謡シリーズのの第14回。日本の原曲が「冬の歌」を特集したい。最初にご紹介する曲は石川さゆりさんが歌い、1977年に大ヒットした『津軽海峡・冬景色』。この年のレコード大賞で石川さんが「最優秀歌唱賞」を受賞したことは、当時中学3年生だった私の記憶にもはっきりと刻まれている。

  • というのも、この1977年には、松崎しげるさんの『愛のメモリー』も大ヒットしたのだが、その歌唱力や声量が余りにも鮮烈で衝撃を受けたからだったからだ。『愛のメモリー』は、前年の1976年に『愛の微笑み』のタイトルで、スペインのマジョルカ音楽祭で準グランプリの2位を獲得していた。その翌年の1977年になって、俳優の三浦友和さんの出演したチョコレートのCMソングとして一気に大ブレークしたのだった。私が日本の歌謡曲を真面目に聴き始めるようになったのも、この『愛のメモリー』からだった。

  • 実は北京でのど自慢に私が出演した時に、ゲストだった松崎さんご本人とお会いしたことがある。歌っている姿を生で見た時は、ブラウン管を通して見た時と同じく、ものすごい声量だった。ちなみに、この1977年のレコード大賞受賞曲は、沢田研二さんの『勝手にしやがれ』だった。今思い起こしても、レベルの高い賞争いが展開された一年だったと思う。

  • 話を戻そう。『津軽海峡・冬景色』は石川さゆりさんの15枚目のシングル曲になる。それまではアイドル路線で売り出していた石川さゆりさんだったが、この曲を境に演歌歌手に大きく舵を切り、ミリオンセラーの大ヒットを記録した記念碑的1曲である。先ほど述べたように、この曲で1977年のレコード大賞の歌唱賞を受賞するとともに、紅白歌合戦も初出場を果たした。1989年にNHKで放送された番組「昭和の歌・心に残る歌200」でも『津軽海峡・冬景色』は10位にランクインしている。日本では老若男女問わず親しまれている昭和歌謡の名曲の一つである。

  • この曲の歌詞には、「私は一人連絡船に乗り」というフレーズが出てくるが、大学を北海道で過ごした私は、夏休みや冬休みを利用して埼玉県の実家に帰省する際には、必ず青函連絡船を利用していたので、阿久悠さんの書いたこの歌詞の世界には大変馴染みがある。しかしながら、1988年に青函トンネルが開通してからは、もう連絡船の姿は見られなくなった。また歌詞の冒頭に「上野発の夜行列車」というフレーズが出てくるが、上野と青森を結ぶ夜行列車も、これに先立つ1982年の東北新幹線開業以降は徐々に営業が縮小し、2014年3月15日の「あけぼの」定期運転終了をもって全面廃止となった。したがって、この歌詞の世界を完全に追体験することも難しくなってしまった。この歌に描かれていたのは、まさしく今はもう失われた昭和の風景だった。

  • 台湾でこの曲がカバーされたのは、意外にも遅く1995年になってからだった。『津軽海峡・冬景色』のシングル発売からは18年が経過していた。日本で大ヒットした楽曲は、台湾や香港で間髪入れずにカバーされてきた印象があるのだが、1970年代は、音楽に関して言えば戒厳令の影響が一番色濃かったのかもしれない。このことはチャンスがあれば、いつか関係者にも聞いてみたいと思う。

  • 『津軽海峡・冬景色』を台湾語でカバーしたのは、新北市の海沿いの街、萬里出身で「台語天后(台湾語歌謡クィーン)」の愛称で親しまれている黃乙玲(ホアン・イーリン)さん。「金曲奨」の最優秀台湾語女性歌手賞(その前身の「最優秀方言歌手賞」も含む)を4度受賞している台湾語流行歌のエースだ。ここで『津軽海峡・冬景色』の台湾語のカバー曲で黃乙玲(ホアン・イーリン)さんの歌で『咱的一生咱的愛』をOA。北国の雪景色は、南国に着いた途端、季節感は失くなって、「私たちの人生、私たちの愛」という普遍的な歌詞となっている。そう言えば、千昌夫さんの歌った『北国の春』には白樺やこぶし、落葉松(からまつ)、山吹といった木々が登場するが、台湾で北京語にカバーされたバージョンでは、『榕樹下』のタイトルで南国を代表する樹木のガジュマルに置き換えられている。カバー曲を聴く際にはこうした変化も楽しみたい。

<第2セクション:『雪の華』の北京語のカバー曲『對不起,我愛你』>

  • 次に紹介する曲は、2003年に中島美嘉さんが歌って日本で大ヒットした『雪の華』だ。中島さんの10枚目の記念すべきシングル曲である。「冬の恋人たちの幸せな瞬間」をモチーフにしているというこの楽曲は、この年のレコード大賞の作詞賞を受賞し、この曲で中島さんは紅白歌合戦初出場も果たしている。2022年現在のデータだが、YouTube上でも8,200万回再生されていることから、世界的なヒット曲と言っても良いと思う。

  • 台湾でも歌唱力に自信のある30〜40代の女性シンガーが、プロもマチュアも含め、この曲に挑戦している姿を私は何度も見てきた。台湾でもかなり認知度の高いJ-POPの名曲であると思う。カバー曲も北京語、広東語、韓国語、英語等様々な言語で40ものバージョンが存在するそうだ。2004年に中国では韓雪さんが『飄雪(ひらひらと舞う雪)』で北京語でカバー、それと前後するように韓国ドラマの『ごめん、愛している』の主題歌として、パク・ヒョシンさんがドラマと同名のタイトルで歌ってからアジアでのこの楽曲のムーブメントに火が付いた。

  • 台湾では2006年にマレーシア出身の蔡淳佳(ジョイ・チュア)さんが、韓国語のタイトルをそのまま引き継ぐ形で、『對不起,我愛你(ごめん、愛している)』のタイトルでピアニストの陳冠宇(エリック・チェン)さんのアルバムの中で北京語でカバーした。蔡淳佳(ジョイ・チュア)さんと言えば、夏川りみさんの大ヒット曲『涙そうそう』を北京語でカバーした『陪我看日出(私と一緒に日の出を見て)』が最も知られている歌手である。しっかりした歌唱力に支えられ、バラードに秀でた歌手という印象を私は持っている。ここで中島美嘉さんの『雪の華』の北京語のカバー曲で蔡淳佳(ジョイ・チュア)さんが北京語で歌った『對不起,我愛你(ごめん、愛している)』をOA。こちらの曲も雪も冬景色もどこかに行ってしまったが、切ないラブソングであることには変わらない。

  • 『雪の華』は、多くの言語でカバーされているということを先ほど話したが、蔡淳佳(ジョイ・チュア)さんの北京語版の下敷きとなった、韓国語版をパク・ヒョシンさんが歌うこととなった経緯についてもう少し詳しく触れたい。韓国では、多くのアーティストがこの曲をカバーするために中島さんサイドに側に許可を求めた。中島さんご本人が直接聴いた結果、シンガーソングライターのパク・ヒョシンさんに決定したそうだ。テレビのドラマ『ごめん、愛してる』の主題歌として披露され、ドラマ、歌とも大ヒットを記録した。

  • また、2019年には、この歌をテーマにした同名の映画『雪の華』も公開された。東京とフィンランドを舞台に、病気で余命1年と宣告された美雪が、ひょんなことから悠輔という男性と出会い恋をする。そんな折、悠輔が働くカフェが経営危機に陥ってしまう。それを知った美雪は、100万円を援助する代わりに1ヵ月だけ恋人になってもらうよう悠輔に申し出る、というストーリー。

  • 日本では、この中島美嘉さんの『雪の華』のほかにも、夏川りみさんの『涙そうそう』、一青窈さんの『ハナミズキ』、中島みゆきさんの『糸』、最近では宇多田ヒカルさんの『First Love』と、最初にヒットソングがあって、その楽曲を主題歌に据えて展開し映画やドラマを制作するという、独特の音楽と映像のコラボレーションの仕方、一つの系統があることに最近気付いた。しかも女性歌手の歌う楽曲が選ばれることが多い。次に映像化されるのはどんな作品だろう。勝手に予想してみるのもなかなか楽しい。

<第3セクション:『津軽平野』台湾語のカバー曲『溫暖的山雪』>

  • これまで原曲では冬の景色だったにもかかわらず、台湾でカバーされた後に季節感が失われてしまった歌を2曲紹介してきたが、次にご紹介する曲は吉幾三さんの『津軽平野』。吉さんの故郷の青森県の津軽地方の家族と雪景色を歌ったこの曲は、心に染みる昭和歌謡の名作の一つだ。吉幾三さんの登場は鮮烈だった。1977年の再デビュー作の『俺はぜったい!プレスリー』や「ハァ テレビも無え ラジオも無え 車もそれほど走って無え」で始まる1984年の『俺ら東京さ行くだ』でお茶の間に知られるようになり、視聴者の間では、コミックソングを歌う青森の田舎出身のフォーク歌手のお兄さんというイメージだった。それが、1986年に『雪國』で創作演歌歌手に完全路線変更。創作能力にはもともと定評があったが、その後も『酒よ』や『酔歌』などのヒット曲を連発し、演歌歌手としての地位を不動のものとした。

  • 『津軽平野』は1984年に吉幾三さんが千昌夫さんに提供したヒット曲で、後に1996年に自身でもカバーした。この曲を台湾語にカバーしたのは、台湾語歌謡のサラブレッド洪榮宏さん。台湾のレジェンド級の作曲家で歌手の洪一峰さんを父に持ち、日本の演歌を歌わせたらピカイチの歌手だ。日本語のカバー曲のアルバムも数枚出している。『津軽平野』は、1985年にリリースされたアルバム『未了情(終わらぬ恋)』に『溫暖的山雪(温かな山の雪)』のタイトルでカバーが収録されている。平野から山へと歌詞の世界における背景の場所は移ったものの、台湾でカバーされても雪が消えずに残ったことに、なぜかちょっぴり嬉しい気持ちになった。

  • 本日は立冬、冬の訪れを前に、冬の景色を描いて日本で大ヒットし、台湾では時には歌詞からは季節感が失われつつも、台湾語や北京語で南国の土地にカバー曲として根付いた歌をご紹介してきた。本日のお別れの曲は、吉幾三さんの『津軽平野』の台湾語のカバー曲で、洪榮宏さんの歌った『溫暖的山雪(温かな山の雪)』。これから暦の上では「立冬」「小雪」を迎え、日本では日に日に寒さが増していく季節だと思う。くれぐれも風邪などひかないよう暖かくしてお過ごしいただきたい。

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