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馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」) - 2024-07-07-台湾散策Vol.5:中和のミャンマー人街をゆく

  • 07 July, 2024
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馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」)
新北市中和区の華新街、通称「ミャンマー街」

<第1セクション:ミャンマー華僑の移住を促した政治的要因?>

  • 2週間ほど前に、新北市中和区の華新街を訪れた。通称「ミャンマー街」と呼ばれている地域。毎週のようにここに通い詰めているという「ミャンマー街の達人」でブロガーのハンドルネームamikawaさんに案内人をお願いし、作家の栖来ひかりさんも同行してくれて、週の初めの楽しい小旅行となった。

  • このミャンマー街は、MRTのオレンジライン「中和新蘆線」の終点「南勢角」から500mちょっと離れた場所にある。amikawaさん、栖来さんと南勢角の駅で合流してから、興南路を南西の方角に下り、ミャンマー街に向かう。徒歩で10分足らず。道の途中で半導体企業の「德州儀器(Texas Instruments)」の工場の前を通り過ぎた時、amikawaさんが「アメリカ系のここの工場は、英語教育も本国で受けていたこの地域の多くのミャンマー華僑の就職先になったんです」と教えてくれた。

  • しかし、ミャンマー華僑たちはいつ頃から、どのような理由で台湾に渡って来たのだろうか。そして、この華新街にどのようにしてミャンマー街を形成していったのだろうか?そもそもミャンマー華僑と呼ばれる華人たちは、なぜミャンマーで暮らしていたのだろうか?様々な疑問が沸々と湧いてくる。amikawaさんは以前書かれたコラムで、これらの疑問に実に明快に答えてくれているので、それを紹介する。

  • ミャンマー華僑の台湾への移住は時代によって異なるパターンがあるようだ。まず、1949年以降、中華民国政府によって第二次世界大戦のためにミャンマーに送られていた人々が、国民党政府の大陸からの撤退とともに、台湾に“帰国”し、台北士林の雨聲新村に居住したのが始まりだった。その後、国共内戦に敗れた国民党軍が、雲南からミャンマーやタイの北部に撤退、1950年代に異国に残され「泰緬孤軍」または「泰北孤軍」と呼ばれた人々の“帰国”が続いた。こうした中国大陸に戻れなくなった軍人たちは、中華民国が実行統治をする台湾にカッコ付きの“帰国”をするしかなくなり、桃園の龍岡新村や忠貞新村などの、いわゆる眷村と呼ばれる場所で外省人コミュニティーを形成していったそうだ。1961年に台湾に“帰国”した「泰緬孤軍」のグループは、風光明媚の地として知られる南投県の清境農場に定住することとなった。

  • 中和の華新街にミャンマー華僑が移住して来たのは、その後の1960年代以降のことだった。amikawaさんは、政治、教育、経済の三つの要因から、移住の状況を説明してくれている。まず政治的要因としては、1948年にイギリスから独立したミャンマー(当時のビルマ)は、元々ミャンマーに住んでいなかった移民は条例により身分証を取得する必要が生じた。さらに社会主義思想のネー・ウィン将軍率いる政権は、1963年に私有企業や個人商店を国有化し、その翌年の1964年新紙幣の発行と旧紙幣の廃止を敢行した。これらの政策は、ミャンマーで商売を営むことの多かった華人たちに大打撃を与えた。生活に窮し、自殺する者も後をたたなかったという。さらに追い打ちをかけるように、中国で始まった文化大革命による共産主義に対する恐怖から、1967年には大規模な「排華事件」が起こり、華人たちがミャンマー国内から締め出される動きが加速していった。

  • 柏楊の戦争小説『異域』を原作に、朱延平監督がメガホンを執り、1990年に公開された同名の映画『異域』という作品がある。これは先ほど述べた「泰緬孤軍」または「泰北孤軍」と呼ばれた、1949年〜1954年に第二次国共内戦に孤立無援の末に敗れ、中国の雲南から当時のビルマ、現在のミャンマーに撤退した中華民国国軍とその家族にまつわる物語である。この映画の主題歌は2曲あるのだが、まずは王傑(ワン・ジエ)が歌った『家,太遠了(A Home Too Far)』をOA。

<第2セクション:ミャンマー華僑の移住を促した教育的、経済的要因>

  • 次にamikawaさんが挙げてくれた要因は、教育的側面である。もともと多民族国家のミャンマーをまとめるために、ビルマ語の普及が戦後の政権発足当初からの大きな課題だった。1965年には中華系学校の公式運営が禁止され、続いて中国語の書物も発禁。この流れを受けて、多くの華人たちが中国語や中国文化の継承を目的として、台湾への移住を検討するようになったそうだ。このほかにもミャンマーで1982年に改正された国籍法では、中華系の国民は「準国民」扱いに格下げられ、公務員に就職できない、理工系や医学系の大学に進むことができない等の差別も進行。こうした状況下で、多くのミャンマー華僑たちは、台湾、香港、マカオ、オーストラリア、北米に移住を決断していった。この頃、台湾ではこうした華僑の受け入れに積極的だったことから、台湾への移住も進んで行った。その後も、中国語での高等教育を受けるための台湾への留学・移住は続いている。

  • また1970〜80年代には、「亞洲小四龍(アジアの四つの小さな龍:韓国、台湾、香港、シンガポール)」の一つに数えられ、経済成長が著しかった台湾。先に移住した親戚の伝手で仕事を求めてやってくるミャンマー華僑も、この時期には多くなった。さらに台湾を足がかりにして、より景気の良かった日本へ出稼ぎに行ったミャンマー華僑も多かった。私がよく行く日本風の定食屋のオーナー夫妻も、こうした流れに乗った人たちで、極めて流暢な日本語で会話をしてくれる。

  • amikawaさんの語った「ある種ミャンマー街の形成も国共内戦の延長線上にある」という言葉が大変印象的だった。大きな時代状況や国家に翻弄され、こんなに多くの過酷な運命、悲哀を背負って台湾にやって来た方々だったとは…ミャンマー街の名物、「騎楼」「亭仔脚」と呼ばれる店の前に迫り出したひさしの下のテーブルで、仲間と談笑をしながらゆっくりとミルクティーを啜るおじさんたちの平和な姿。そのギャップには、驚きと安堵の入り混じった複雑な感情が湧いてくる。

  • ここで先ほどご紹介した映画『異域』からもう一つの主題歌で、羅大佑(ルオ・ダァヨウ)が作詞作曲した『亞細亞的孤兒(アジアの孤児)』をOA。映画のオリジナルサウンドトラックでは、王傑(ワン・ジエ)が歌っているが、今回は作詞作曲者の羅大佑(ルオ・ダァヨウ)のバージョンでお届け。

<第3セクション:ミャンマー街の食文化はアジアのるつぼの縮小図>

  • ミャンマー街には40軒ほどの飲食店・雑貨店などがひしめいている。通りを入った横丁には食材を売る市場も広がっている。ミャンマー、タイ、雲南、広東飲茶、インド、ムスリムを背景とする多種多様な食堂を眺めているだけでも、いったい何を食べたら良いのかと目移りする。amikawaさんは、ミャンマー街に見られるこのような多文化現象について次のように教えてくれた。

  • ミャンマー本国に居住する華僑を出身地は、「福建」「広東」「雲南」の3つに大別される。福建や広東出身者は、もともと海を超えてミャンマーに渡った華僑で、主にヤンゴンなどミャンマーの南部に居住。雲南出身者は元や明の時代に陸路でミャンマーの北部に移住した人々。このほか、雲南と接する東北部のシャン州には、傣族などの少数民族も居住。回民と呼ばれる華人のイスラム教徒も、雲南からミャンマーやタイ北部に移動をくりかえすグループがいた。

  • 「その大きな3つのグループが、そのままミャンマー街の住人の構成反映されているのです。ミャンマー以外の様々な国や地域からの移民もここに集まった結果、この街の食文化にも多様性が生じたとの誤解も時々あるようですが、ミャンマー国内の都市で見られる多文化の縮図が、この街にそのまま持ち込まれているだけなのです。」とamikawaさんは明快に結論付けてくれた。

  • 上座部仏教の僧侶たちが托鉢のために街を歩いている。黄色や深紅の袈裟を纏い、素足で行く姿は、一瞬ここが台湾であることを忘れさせてくれた。ランチはamikawaさんお勧めのミャンマー伝統料理の店で「モヒンガー」、中国語では「魚湯麺」と呼ばれる看板メニューをチョイス。複雑なスパイスの素朴な味わいの麺料理だが、決して辛くはない。途中からレモン汁を入れて味変。なかなか美味しい。次回は雲南料理やムスリム料理も試してみたい。

  • 食後はインド式の甘いナンをデザートにミルクティーを味わう。メニューには「印度奶茶(インド風ミルクティー)」と書いてあるが、スパイスの効いたチャイとは違い、濃い茶葉の香りと練乳の割合が絶妙の美味しい一杯だった。週に1回はこの街を訪れるというamikawaさんの気持ちが少しわかった。忖度のない、そのままのミャンマーの味がここにはある。本日は先ほど以来ご紹介している映画『異域』の続編で、1992年に公開された『異域Ⅱ孤軍』の主題歌で羅大佑(ルオ・ダァヨウ)作詞・作曲・歌の『大地的孩子(大地の子)』(3:48)をOAしてお別れ。

  • amikawaさんのコラム『Have Another Day』:https://amikawa125travel.blogspot.com/2018/06/TaipeiMyanmarstreet.html

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