History page of Radio Taiwan International (Rti)
close
Rti台湾国際放送公式アプリをインストール
開く
:::

馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」) - 2024-06-23-私と台北映画祭 Now & Then

  • 23 June, 2024
  • 按讚加入馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」)粉絲團
馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」)

<第1セクション:2008〜2010年 台北映画祭「日本之夜」〜準外交官として〜>

  • 台湾では、端午節までは急に気温が下がることもあるので、さっと羽織ることができる冬物の一部を直ぐに取り出せるようにしておくのが常。だが端午節が過ぎ、一昨日夏至を迎えた今はもう夏の盛り。冬物はしばらくタンスの奥でお休みだ。一方、毎年、6月下旬から7月上旬にかけてのこの時期は、映画好きにとってはワクワクする季節となる。台北では毎年の恒例行事となった「台北電影節(台北映画祭/Taipei Film Festival)」が開催されるからだ。台北映画祭のHPによると、その沿革は次の通り。

  • 台北映画祭は1998年から始まった。したがって、今年で26回目となる。その前身は1988年から始まった「中時晚報電影獎(China Times Express Film Awards)」で、民間の夕刊紙が主催する映画賞だった。その後、1994年に「台北電影獎(Taipei Film Awards)」と改称され、インディーズ、非主流精神を有する多元的な映像作品を発掘することに主眼が置かれ、その年の商業映画と非商業映画に分類して、優秀な作品を顕彰していた。1998年からは台北市政府が主催団体に名を連ねるようになり、ジャンルを問わず最優秀グランプリとして「百萬首獎(百万元グランプリ )」を新設。台北映画賞と併設する形で、国際コンペも実施し、台湾で初めての一つの都市が主催する映画祭となった。台北映画祭は、2007年からは「台北市文化基金會」の常設機関となった。毎年夏に開催され、台湾国内向けの部門毎の映画賞と世界各国若手監督のコンペ、そしてテーマ毎に用意された世界各国の作品上映のほかにも、市民が参加できる関連イベントが用意されている。

  • 私がこの映画祭と最初に関わることとなったのは2008年のことだった。当時私は、台湾における日本の代表機関で、実質大使館の役割を果たしている交流協会(現在の日本台湾交流協会)台北事務所の文化室長の任にあった。台湾と日本は正式な国交が無いので、純粋な外交官では無いが、準外交官、看做し外交官として台湾の政府からは厚遇を受けた。日本と台湾の文化交流の橋渡しをすることが主な任務の一つだった。前年の2007年から台北映画祭の実施機関となった「台北市文化基金會」の「秘書長(事務局長)」から相談があり、この年は『二十才の微熱』、(橋口亮輔監督、1993年)『バーバー吉野』(荻上直子監督、2004年)、『剥き出しにっぽん』(石井裕也監督、2007年)など「ぴあフィルムフェスティバル」での過去の上映12作品をはじめ、『愛の予感』(小林政広監督)など、日本からの招待作品が多く、監督や俳優も含め日本から多くの映画人も参加するので、台湾の映画人との交流会を共催してもらえないかとのことだった。日本と台湾の映画を切り口とした文化交流の発展に資すると判断した私は、交流協会の東京本部と掛け合ってプロジェクト予算を確保し、『日本之夜(Japan Night)』という交流レセプションを「台北映画祭」のプログラムの一環として実施することとした。

  • そしてこの2008年の台北映画祭では、日本と台湾の歴史をモチーフに過去と未来が紡がれる音楽劇で魏德聖(ウェイ・ダーション)監督の『海角七號(邦題:海角七号〜君想う、国境の南〜)』や林書宇(トム・リン)監督の青春グラフィティー『九降風(邦題:九月に降る風)』、楊雅喆(ヤン・ヤーチョー)監督の子どもの成長物語『囧男孩(困った男の子)』が賞レースの有力作品として注目されていた。結果、グランプリは『海角七號(邦題:海角七号〜君想う、国境の南〜)』が獲得し、その直後に公開されたこの作品は、興行収入が5億3千万元(当時のレートで17億円ほど)を記録し、台湾映画としては空前の大ヒットとなった。主役に抜擢された台湾在住の日本人俳優の田中千絵さんは、一躍時の人となった。

  • 台北映画祭「日本之夜」は、台湾と日本の映画人たちがフランクに語り合える場として好評を博し、私が交流協会台北事務所を離任する2010年まで3年間続いた。そして、2008年の台北映画祭で日台合作映画『トロッコ』の片原朋子プロデューサーと知り合ったことをきっかけに、川口浩史監督がメガホンを取り、侯孝賢監督のクルーが台湾での制作を支えたこの映画の撮影を当時の台北の我が家で行ったエピソードは、以前紹介した通りである。また、一昨年帰らぬ人となってしまったが、同じく2008年の台北映画祭に日本から参加された『愛の予感』の小林政広監督とは、台北の居酒屋で一献を傾けながら映画談義に花を咲かせたことが、今も昨日のことのように思い出される。ここで『海角七號(邦題:海角七号〜君想う、国境の南〜)』の主演男優でアミ族出身のシンガーソングライターの范逸臣(ファン・イーチェン)さんが歌ったこの作品の主題歌『國境之南(国境の南)』をOA。

<第2セクション:2012年『逆光飛翔(邦題:光にふれる)』〜作曲家として〜>

  • 2010年の台北映画祭『日本之夜』を最後に、私は交流協会台北事務所文化室長の任期を全うし、9月にいったん台北を離れるとともに、翌2011年1月1日付で20年間勤めていた外務省の外郭団体の国際交流基金を離職することとなった。その後も2か月に1回のペースで当時のバンドのライブのためだけに台北に舞い戻りつつ、拠点をまた台湾に移す機会を伺っていた。ところが、311東日本大震災が発生し、東北地方に生を受けた私は、1年半ほど「復興支援メディア隊」というボランティア組織に籍を置きながら、被災地の復興支援の手伝いをすることとなった。

  • 2012年6月下旬のことだった。私はこの年の台北映画祭に再び顔を出すこととなった。実は私が主題歌を提供した映画『逆光飛翔』(張榮吉/チャン・ロンジー監督)が台北映画祭のコンペに参加し、この映画祭でプレミア上映されることとなったのだ。この作品は『光にふれる』の邦題でこの年の東京国際映画祭で上映され、翌年の米国のアカデミー賞では、外国映画賞の台湾代表作品として参加し、日本でも公開された作品である。目の不自由なピアニスト黄裕翔(ホアン・ユィシアン)さんの実話を元に、裕翔さん本人が主役を演じ、興行収入が5,000万元(当時のレートでおよそ1億4千万円)のスマッシュヒットとなった。実は当時の私のバンドのキーボーディストが、この作品の主人公・黄裕翔さんだったというオチまでつく。裕翔さんは、私のプロデュースで東日本大震災直後の2011年6月には東京で、翌々年2013年には東京を皮切りに、仙台、気仙沼、相馬、会津、郡山の東北の被災地を巡回するコンサートを行ってくれたので、日本で彼の活動を耳にしたことがある方もいらっしゃるかもしれない。

  • 私が作曲で参加したこの映画の主題歌『很靠近海(海のそばで)』は、台湾の作詞家・葛大為さんが中国語の歌詞を付けてくれ、シンガポール出身で台湾の金曲奨最優秀華語女性ボーカリスト賞を四度も受賞している蔡健雅(タニア・チュア)さんが歌ってくださったのは、これまでこの番組で何度も紹介してきた通りである。台北映画祭で『逆光飛翔(邦題:光にふれる)』の上映会場だった台北中山堂で満席の観客の前で、「作曲家」として自分が紹介された時には、心の中で思わずガッツポーズをしたのだった。2年前の準外交官の立場から音楽家として再度この映画祭に参加できたことは本当に感慨深い。そして、この作品は主演の張榕容(チャン・ロンロン)さんが最優秀主演女優賞を獲得するとともに、観客賞も受賞した。この映画の主題歌で私が作曲した『很靠近海(海のそばで)』を蔡健雅(タニア・チュア)さんの歌でお聴きいただきたい。

<第3セクション:2024年『聽海湧(邦題:海の音色)』〜俳優として〜>

  • 今年の台北映画祭には、今度は俳優として参加することとなった。私が出演した全5話のドラマ『聽海湧(邦題:海の音色)』(孫介珩/スン・ジエヘン監督)が、台北映画祭のプログラムとして、6月27日(木)の夜7時から、台北中山堂でアジア・プレミア上映されることとなった。私もキャストの末席に名前を連ねさせてもらったこともあり、当日は上映後のアフタートークに出席する予定。この作品はドラマとして「公視(公共テレビ)」で8月17日(土)から放送されることとなっているのだが、第1話と第2話を映画祭の中で上映するという、一風変わった公開の仕方となっている。これは昨今のネットドラマ隆盛の時代において、映像コンテンツの出口として映画がそのままネットドラマに時間差で流れるようになったことに加え、映画に近い手法やクオリティで制作されるドラマが増えていくようになって、映画とドラマの境界線が無くなりつつある現象を反映しているものと個人的には分析している。映画祭としても人気の出そうな優秀な映像コンテンツが欲しいし、ドラマの配給元としても映画祭で作品の一部をプレミア公開することで話題作りをし、後日の放送に弾みをつけたいという思惑があり、ウィンウィンの関係が成り立っているのだと思う。

  • この『聽海湧(邦題:海の音色)』は、戦前の北ボルネオにあった日本軍の戦争捕虜収容所が舞台。戦後は同じ場所が連合軍の臨時軍事法廷となり、B、C級戦犯がここで裁かれることとなった。主人公は日本軍の軍属となって、南洋の北ボルネオに送られた台湾南部が同郷の3人の若者たち。彼らは戦前、上官の命令により、それぞれ異なる状況で捕虜に危害を加え、時に死に至らしめてしまっていた。台湾の統治が敗戦国の日本から戦勝国の中華民国に移行した時、果たして台湾出身の彼らは日本軍の一員として裁かれるべきなのか、戦勝国の国民として放免されるべきなのか。史実を積み上げて編まれた物語は実に重厚で、戦慄的であり、観る者の心を強く揺さぶるはずだ。私はこの作品では、戦後直ぐに日本から現地に派遣された弁護士団の団長・高橋庄治郎を演じている。北ボルネオの日本軍戦争捕虜収容所改め、オーストラリア軍の臨時軍事法廷で私とバチバチと対決する検察側トップのウィリアムを演じたのは、周厚安(アンドリュー・チョウ)さん。香港出身のレジェンド歌手・周華健(エミール・チョウ)さんを父に持ち、アメリカの演劇大学で演劇を学んだ実力派の俳優さんだ。相手に不足は無かった。大変な緊張感のある現場だったが、演じる幸せを存分に感じられた現場でもあった。孫監督をはじめ、スタッフの皆さん、俳優仲間にも改めて感謝したい。

  • 今回ほど脚本の全体、物語や台詞の詳細に至るまで熟知して臨めた現場は無かった。というのも、華語で6万字あった脚本を日本の出演者のために、最初から最後まで翻訳したのが私だったからだ。俳優と脚本の翻訳と、本当にこの作品ほど裏も表もどっぷり関わった作品はこれまで無かったし、それだけに作品に対する個人的な思い入れも強い。台北映画祭のプレミア上映が満席となり、テレビ放映も高い視聴率をとれるよう、多くの皆さんに観ていただけることを願ってやまない。本日は2014年の台北映画祭で最優秀助演男優賞と観客賞を受賞し、日本時代の1931年に台湾から甲子園の全国中等学校野球大会に出場し準優勝を果たした嘉義農林学校を舞台とした馬志翔監督の『KANO(邦題:KANO 1931海の向こうの甲子園)』の主題歌で范逸臣、中孝介、羅美玲、舒米恩、Rakeの皆さんが歌った『勇者的浪漫~風になって~』をOAしてお別れ。

Program Host

関連のメッセージ