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馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」) - 2024-02-25-陽明山の桜

  • 25 February, 2024
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馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」)
陽明公園の桜の下で(2015年3月4日)

<第1セクション【陽明山フラワーフェスティバルが開幕】>

  • リスナーの皆さま、こんばんは。今年も2月7日〜3月17日の予定で、台北郊外の陽明山で「陽明山花季(陽明山フラワーフェスティバル)」が開催されている。昨年は3月下旬に台湾中部の嘉義県に位置する阿里山の桜祭りを私はラジオ局の同僚たちと取材したのだが、陽明山も台湾の代表的な桜の景勝地に数えられていて、ここの桜もなかなか見応えがある。台北に住んでいる私にとっては、アクセス便利なこともあって、陽明山には何度も桜の花見に訪れている。陽明山フラワーフェスティバルのメイン会場「陽明公園」では、2月の初めに八重桜(日本の八重桜とは別品種)が、2月中旬くらいから昭和桜が見頃を迎える。ソメイヨシノの見頃はフラワーフェスティバルの終盤の3月に入ってからとなる。

  • 陽明山は阿里山に比べて北に位置するため緯度は高いものの、海抜2,000メートルを越える阿里山に比べると、海抜は400〜800メートルと比較的低い。このため、旧正月前の1月の中旬を過ぎると、阿里山より一足早く、こちらでは「山櫻花」と呼ばれる、やや濃いピンク色の台湾寒緋桜(タイワンカンヒザクラ)がまず花をつける。日本人にとっては、「桜色」と言えば、ソメイヨシノや日本の山桜に代表される淡いピンク色をイメージすることが一般的だろうが、多くの台湾の人たちにとっては、台湾原産のこの寒緋桜の濃いピンク色を思い浮かべるようだ。

  • 以前、八得力樂團(バッテリー)で桜をテーマに台北市内のライブハウスで公演を行ったことがあった。その宣伝の際に、バンドマスターの阿家(A-Ga)がチラシのデザインを手掛けてくれた。その背景を阿家は「桜色」に処理をしたというのだが、日本人の私から見ると、赤が強過ぎてどうしても桜色には見えない。阿家と話し合って、背景の色は結局、ほんの少しだけ赤みを帯びた薄紅色の私がイメージする桜色に落ち着いた。日本人と台湾人ではイメージする桜の色が違うようだ。

  • 「桜色」という色名は平安時代から一般化して使われているが、文献に初めて現れたのは『古今和歌集』で、紀有朋 (きのありとも)が詠んだ「桜色に衣は深く染めて着む 花の散りなむ後の形見に(桜色に衣を深く染めて着よう、花が散った後の形見として)」という歌だった。ただ、当時は桜といえば「山桜」のことで、「桜色」も近代以降メジャーとなったソメイヨシノではなく、元々は山桜の花の色に由来しているという。

  • 陽明山にいったん戻ろう。陽明山は一つの嶺を指すのではなく、活火山の大屯山、七星山、沙帽山、小観音山等、いくつかの峰々を有するこの一帯の総称である。最高峰は七星山で、この山頂は台北で一番標高が高い場所でもあり、海抜は1,120メートルである。もう15年前になるが、台湾の最高峰の玉山(日本時代の新高山、標高3,952メートル)に登山する前の訓練と称して、2回ほどこの七星山には登頂したことがある。山頂までの最後の200メートルほどはかなりキツかった記憶があるが、快晴の日に山頂から見渡した台北の街は、登頂の疲れを一気に忘れさせてくれるほど最高に輝いていた。台北という街を初めて愛しいと感じた瞬間かもしれない。

  • 陽明山は日本統治時代には、草がぼうぼうと生い茂るだけの山だったことから「草山」と呼ばれていた。しかし、ここには活火山の大屯山が近くにあることから、良質の硫黄泉の温泉も湧いていた。日本統治時代に「台湾四大名泉」とされた温泉地(台北市内の北投、草山、台南の関仔嶺、屏東の四重渓)に、ここ「草山温泉」、現在の「陽明山温泉」も名を連ねている。陽明山温泉の話はまた後ほど。戦後は中国共産党と対抗する意味合いも込めて、「陽明学」を唱えた儒教の中興の祖、王陽明を記念して「草山」から「陽明山」と改名された。

  • ここで周杰倫(ジェイ・チョウ)さんの歌で『陽明山 Yang-Ming Mountain』 (ft. Henry Link)をお聴きいただきたい。この歌は1980年代に大学のキャンパスの当時合コンで流行したゲーム「抽鑰匙活動(バイクのキーの抽選くじ)」をオマージュしたとのこと。日本人には馴染みがないかもしれないが、台湾は昔も今もバイク社会。男の子が自分のバイクの後部座席に乗せる女の子をバイクのキーを抽選くじにして決めるゲームだった。お目当ての子に自分のキーを引き当てて欲しい。青春時代のドキドキ感を還暦の私もふと思い出した。

 

<第2セクション【陽明山の桜はどこから来たのか?】>

  • さて、この陽明山でなぜ桜がたくさん植えられるようになったのだろうか。台湾の農業部林業試験所の発行する『林業論壇』に、3人のスタッフ(吳家禎 、陳芬蕙 、徐中芃)の連名で「山中何處不見櫻―藏種於民(山には至る所に桜があるーー自家採種)」と題する報告にその経緯が見える。

  • 「日本統治時代の初期、1896年〜1899年、陽明山一帯では抗日ゲリラ戦が続いていた。随行していた日本の記者が思いがけず竹子湖で美しい桜の景色を見た。ここの桜はきっと昔の人が植えたものだろうと思った。これをきっかけに、この地の気候条件が桜の生育に適していることがわかり、1902年に日本から運ばれた桜の花50株が移植された。これが陽明山での桜の導入、栽培の始まりである。その後も1911年までに1000株の桜の花が移植され、山中に広まった。」

  • また、1923年日本の裕仁皇太子の台湾行啓の際に陽明山竹の交通と施設が整備された。1928年には、裕仁天皇の即位を記念して「御大典紀念事業」計画が始動、その中の大屯山造林10か年計画では、合計4万株余りの桜が移植され、鑑賞目的の紅葉や桜が合わせて21.5甲(1甲=およそ9,700平方メートル、したがって20万8,500平方メートル) もの面積に植えられた。これにより、陽明山は台湾の桜の花見の流行発祥地の一つとなり、「大屯春色」はかつての「台湾八景十二勝」の一つにも数えられることとなった。」

  • この報告書の後半では、現在の桜の植樹に対する取り組みも報告されている。簡単にまとめると、以前は陽明山の桜は日本品種のソメイヨシノや大島桜などの移植が主流だった。ところが、最近は「自主採種」の概念が民間で広まりつつあり、生育環境が異なる日本品種を植えて病気の心配をし手間を掛けて育てるよりも、もともとこの土地や気候条件に適している台湾在来種の山桜や霧社桜の優秀株を集めて生育する方向に学術界もシフトしつつあるということが述べられていた。

  • 日本統治時代は日本人のノスタルジーを満足させるため、最近では日本と台湾の友好の象徴として、日本からの桜の移植が進められてきたが、台湾原産種の見直しという流れは、台湾アイデンティティーの深化ともシンクロしているという見方をすると、大変興味深い。日本の桜を植えてもどのみち日本で見る桜の美しさには叶わない。であるなら、日本の桜は日本に行って見れば良い。台湾は台湾の桜の美しさを追求すれば良い。こうした考え、メッセージが伝わってくるようだ。

  • ここで、浪花兄弟(The Drifters)の『你是我的OK繃/You're My Bandaid』をOA。「OK繃」というのは、台湾で傷口を覆う絆創膏のこと。なぜこの曲をと思われるかもしれないが、この曲は実は日本のFunky Monkey Babysの『桜』カバー曲。「浪花兄弟」は、俳優としての活躍が目覚ましい邱凱偉(ダレン・チウ)さんと楊常青(ヤニック・ヤン)さんによる二人組の音楽ユニット。このユニットの結成には、先ほど曲をご紹介した周杰倫(ジェイ・チョウ)さんが実は深く絡んでいる。ジェイさんが自ら演出、主演をした2009年のTVドラマ『熊猫人(Pandaman)』の撮影現場で楊常青(ヤニック・ヤン)さんを見て、邱凱偉(ダレン・チウ)さんと音楽ユニットを組んだら面白いのではないかとのインスピレーションを得たのが、そもそもの始まりだったそうだ。ジェイさんは浪花兄弟のデビューアルバムのプロデュースもしている。そして、ヤニックさんはジェイさんの高校時代の恩師の音楽の先生の息子さんだと言うから、人の縁は面白い。

 

<第3セクション【陽明山は温泉も魅力】>

  • 先ほども話したが、「台湾四大温泉」にも数えられていた陽明山は、温泉もなかなか魅力的だ。台湾の最大にして最も歴史のある温泉郷の北投は、実は陽明山の山麓に位置している。このため、陽明山温泉と北投温泉の泉源も重なり、いずれも硫黄泉で泉質も近い。私のおすすめの場所は、いずれも公共施設だが、一つ目が桜が一番多く咲いている「陽明公園」を少し下ったところに「前公園」という公園があって、その中に「前公園公共温泉浴室」がある。泉質はこちらで「白磺泉」と呼ばれる白濁した硫黄泉である。建物で男女が分かれていて裸で入れる。昔の日本の銭湯といった風情である。桜の花を愛でた後で立ち寄るのにもちょうど良い。もし、小腹が空いていれば、公園脇の食堂で「芋頭米粉湯(タロ芋入りビーフン・スープ)」を食すのも良いだろう。

  • もう一つは、陽明公園をさらに小型バスで登って「冷水坑」まで行くと、「冷水坑公共温泉浴室」がある。ここは10年ほど前に雑誌の取材で行ったきりだが、建物も小綺麗でここも男女別で昭和の銭湯といった感じが漂う。外には足湯もある。ここのお湯は鉄分が混じり赤褐色掛かった「炭酸水素塩泉」だ。いずれの公共浴場も無料だが、入浴時間が1日数回と決まっていて、間は1時間半ほどの休息・清掃の時間が入るので、予め時間を確認してから行ったほうがよい。どちらも入浴しているのは60、70歳を超えたシニアの方がほとんど。来場者がルール通りに入浴をしているかを厳しく監視する「お湯奉行」のお爺さんまでいた。口はうるさいけれども、とても気の利く気の良いお爺さんだった。今年も陽明山の桜を見に行こうかな。

  • 本日のお別れの曲は、八得力樂團(バッテリー)の演奏で『桜いろの夢』をOA。この曲はこれまでにも何回か紹介したことがあるが、台湾のピアニスト黄裕翔さんが書いたピアノ曲をベースに私がメロディーを整理し、311東日本大震災の直後に東北地方で咲いていた桜の花を見て歌詞を付けて完成させた曲。あの震災から間も無く13年。そして先日の能登半島地震からもうすぐ2か月。犠牲となった方々を追悼し、被災した方々へのお見舞いと現地の1日も早い再建と復興を祈念しながら、この曲をお届けしたい。

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