<第1セクション【『一個人的我依然會微笑』=『空と君のあいだに』】>
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本日は「台湾に根を下ろした日本歌謡」第7弾をお届け。先月下旬に一時帰国をし、父の米寿の祝いに加えて、6年ぶりに私の出身地でもある仙台を訪れ、先祖のお墓参りと叔父や伯母、いとこたちと再会を果たすため、家族4名で実家のある埼玉県狭山市を出発し、一路東北自動車道を北上した。米どころの福島県から宮城県を貫く東北自動車道の車窓からは、稲穂を刈り取られたばかりの褐色の稲田が延々と続き、日本の秋を実感する光景だった。車内のオーディオシステムからは、私にとってはちょっと懐かしいJ-Popが次男のチョイスで流れていた。ちょうど中島みゆきさんのヒット曲『空と君のあいだに』が流れていた時だった。後部座席の私の隣にいた妻が、そのメロディーをなぞるように華語でその曲を口ずさみ始めた。林佳儀(Nisa Lin)さんが、1995年に発表したファースト・アルバム『一個人的我依然會微笑(一人の私は今も微笑む)』に収められているアルバムタイトル曲『一個人的我依然會微笑』がそのカバー曲だ。
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林佳儀(Nisa Lin)さんは、台北生まれ。世新大学ラジオ・テレビ・映画学科卒業。台北の街でスカウトを受けた彼女は、1994年に日本のフジテレビのアジアのタレント発掘番組『アジアバグース!』に出演し、第4回グランドチャンピオン大会で見事に優勝。その勢いで翌年デビューを果たし、最初にリリースしたアルバムのタイトル曲がいきなり大ヒット。その曲が『空と君のあいだに』のカバー曲『一個人的我依然會微笑』だった。まさにシンデレラ・ガールという言葉は、彼女のためにあったと言っても過言ではない。林佳儀(Nisa Lin)さんの歌で『一個人的我依然會微笑(一人の私は今も微笑む)』をOA。
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林佳儀(Nisa Lin)さんがデビューするきっかけとなった『アジアバグース!』は、日本のフジテレビが中心となり、インドネシア、マレーシア、シンガポールのテレビ局によって共同制作された歌のコンテスト番組で、1992年から2000年までの9年間続いた。林佳儀(Nisa Lin)さんが優勝した1994年から台湾の地上波でも放送されるようになった。『空と君のあいだに』は日本のテレビドラマ『家なき子』の主題歌だったが、台湾でも華語版の『無家可歸的小孩』が放送され、カバー曲の『一個人的我依然會微笑(一人の私は今も微笑む)』がテーマソングだった。この時代は台湾の民主化が進み、「哈日族」という言葉が生まれ、J-Popやテレビドラマをはじめ、日本のサブカルチャーが雪崩を打ったように台湾に入ってきた時代でもあった。林佳儀(Nisa Lin)さんのシンデレラ・ストーリーは、こうした時代背景とも深く関わっている。
<第2セクション【『就是喜歡你』=『悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)』】>
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台湾や香港ではサザンオールスターズも含め、桑田佳祐さんの楽曲は数多くカバーされている。本日紹介する2曲目は、台湾原住民族アミ族のポップスロック系シンガーソングライターの張震嶽(Ayal Comod)さんが歌った『就是喜歡你(好きなのは君さ)』だ。この歌の原曲は、桑田佳祐さんが1987年にソロ歌手としてリリースした『悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)』だ。張震嶽さんも、先ほど紹介した林佳儀(Nisa Lin)さんと同様に、1993年にリリースされたデビューアルバムのアルバムタイトル曲がいきなりのヒットとなったシンデレラ・ボーイである。そして、そのヒット曲がこの『就是喜歡你(好きなのは君さ)』だった。当初はアイドル路線として売り出された。
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張震嶽は漢名で本名はAyal Comodと言い、宜蘭県蘇澳鎮の台湾指折りの漁港で名高い南方澳の出身。両親はともに花蓮県の寿豊郷月眉村の出身のアミ族。幼少期から教会音楽に触れ、中学校時代にギターの弾き語りを始めるとロックに傾倒。国立蘇澳高級海事水産職業学校(水産高校)時代に、当時のタレント発掘イベント「木船民謠歌唱大賽(木船フォークソングコンテスト)」で優勝し、そのまま台湾再大手の一つロック・レコードと契約。スターダムをのし上がっていくこととなる。その後大学を受験するが失敗し、兵役に就き海軍の陸戦隊に所属することとなる。軍の「藝工隊」、正式名称を「國防部政治作戰總隊心理作戰大隊第五中隊」で阿蒙(吳蒙惠)と知り合い、退役後に阿蒙らとバンド「Free Night」を結成。1997年からは「張震嶽+Free Night」にバンド名を変更し、2004年の前後1年をかけて、北米のハリウッド、ロサンゼルス、サンフランシスコ、バンクーバー、フィラデルフィア、ワシントン、ニューヨーク、ボストン、シカゴ、ヒューストンでのツアーも実施している。
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個人的には、2008年に羅大佑(ルオ・ダァヨウ)さん、李宗盛(ジョナサン・リーさん)、周華健(エミール・チョウ)さんといった大物アーティストたちと結成した四人組のバンド「縦貫線樂團(Super Band)」でドラムを叩く姿が強く印象に残っている。また、2013年に台北から自然の豊かな田舎に戻り、アミ族の本名Ayal Comod(海雅・谷慕)の名前で制作した『我是海雅谷慕(僕はAyal Comod)』が、第25回金曲奨の最優秀中国語アルバム賞、最優秀アルバムプロデューサー賞、最優秀中国語男性歌手賞の3部門にノミネートされた。張震嶽(Ayal Comod)さんがアイドルだった時代のデビュー作で、桑田佳祐さんの『就是喜歡你(好きなのは君さ)』をOA。
<第3セクション【「藍雨」=「レイニー ブルー」】>
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さて、本日最後にご紹介するのは、1986年に発表された徳永英明さんのデビューシングル『レイニー ブルー』のカバー曲『藍雨』だ。この年に香港四天王の一人張學友(ジャッキー・チュン)さんが、まず林振強(リチャード・ラム)さんの作詞で広東語でカバーし中華圏でヒットした作品だ。同じくこの年、今度は台湾の作詞家・陳家麗による北京語バージョンをジャッキーさんがコンサートで歌うと、翌1987年には、ジャッキーさんの北京語のセカンドアルバム『在我心深處(僕の心の奥で)』にこの曲は収録された。また、1995年に台湾市場向けにリリースされたジャッキーさんの北京語アルバム『真愛新曲+精選(新曲と過去の楽曲のセレクション)』にも再収録されている。
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また、本家の徳永英明さんの方も1997年に新アレンジ『Rainy Blue 〜1997 Track〜』として再発売したほか、2011年には『春の雪』のカップリング曲の形で『25th Anniversary Track』としてセルフカバーされた。何度もお二人がカバーされていることからも、ジャッキー・チュンさん、徳永英明さんのこの曲に対する思いの深さが感じられる。
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原曲の『レイニー ブルー』を歌った徳永英明さんのエピソードを一つご紹介。福岡出身の徳永さんは中学生の特に井上陽水さんの『氷の世界』を聴いて衝撃を受ける。19歳の時に通っていた専門学校を中退し、東京に移って歌手を目指すが、その時に父親から25歳までにデビューできなければ、自分と同じ保険外交員になるよう申し渡されてしまう。デビュー曲『レイニー ブルー』がリリースされたのが、徳永さんが24歳10か月の時。ギリギリで父親との約束を果たした。そして、世間一般に広く知られ、歌い手としては難易度の高いこの楽曲は、日本でも台湾やその他の中華圏でも多くのアーティストにカバーされ続けてきた。スター発掘番組やコンテストでも多くの参加者が挑戦し続けた楽曲でもある。私のバンド八得力樂團の流しのライブの際にも、台湾の40代のお客さんから時々リクエストを受ける『藍雨』。
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1980年代はまだまだJ-Pops、とりわけニューミュージックに分類された楽曲が台湾にはなかなか入ってこなかった時代。その頃から台湾でも多くの人々に愛され、歌い継がれてきた『藍雨』。この曲を張學友(ジャッキー・チュン)さんのオリジナル曲と勘違いしていた人もいた由。そのような誤解があるほどしっくりと馴染んだジャッキーさんの北京語のバージョンで『藍雨』をお聴きいただきながらお別れ。
Rti 台湾国際放送
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