<第1セクション【「番組開始は突然に」:台湾社会の機動性】>
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お陰様で「とっても台湾」は7月16日に放送1周年を迎えることができた。私自身の忙しかったこの夏の音楽イベントや舞台演劇の出演もようやくひと段落した。大変遅ればせながら、リスナーの皆さんの暖かいご支持と叱咤激励に、この場をお借りし、厚く感謝を申し上げたい。
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この番組を私が担当することになったのは、2021年の暮れに時報文化出版社から出版された拙著『約定之地:24位在台灣扎根的日本人』が、台湾国際放送の運営母体・中央放送局の頼秀如会長の目に留まったことがきっかけだった。翌2022年6月末に頼会長と面談し、2週間後からということで私の担当する番組を放送することがトントン拍子で決まった。それから、番組名を決め、最初のシナリオを書き、局内の事務手続きを進め、10日後には最初の収録を行うという、日本では考えられないような速度で第1回の放送になだれ込んだのを今も覚えている。このスピード感、機動性は、これこそ本日これからお話ししようとするテーマ、台湾社会の三大特色の一つである。
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私の著書『約定之地:24位在台灣扎根的日本人』は、24人の台湾で奮闘する日本人の小さな評伝であると同時に、取材した日本人たちの生き様を通じて、台湾社会に存在する「受容性」「多様性」「機動性」といった三つの大きな特色を炙り出すことも意図した一冊だった。先ほど自分がこの番組のパーソナリティをいきなり担当することとなった経緯を話したが、台湾社会ではこの「機動性」はあらゆる場面で出現する。それを象徴する言葉が「嘗試錯誤」、トライ・アンド・エラーだと思う。
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何かをやろうと思ったら、側(はた)から無謀に思われたとしても、まず試してみる。失敗したら方法や目標を変えてやり直せばいい。そういうことが許されている社会。だから、自分が社長になること、起業することを目指す台湾の人は実に多い。「起業家のパラダイス」という言い方もあるくらいだ。台湾の人は思いついたら、まず歩き出す。歩きながら次の手を考える。そのようなイメージ。入念に計画を立て、しっかりとシミュレーションをし、想定される問題の解決方法を予め準備してから、ようやく実行に移すことが多い日本人とは対照的だ。
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私自身の仕事に引きつけて言えば、映画やドラマの撮影現場も台湾では臨機応変を常に求められる。現場に入ってから、いきなり台詞が変更されるのは日常茶飯事のことだし、CMの撮影の朝に脚本を渡され、その場で台湾華語から日本語に翻訳して、そのまま撮影に突入したこともある。音楽イベントの日程や出演時間が直前で変更になることもしばしばだ。そんな時に動揺したり、腹を立てたりしても時間が過ぎていくだけで何の解決にならない。さっさと台詞を覚え、役作りに専念し、機転を効かせ、臨機応変にミッションをやり遂げるだけである。
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私が表現者としての人生を歩み始めたばかりで、まだこちらでの生活が安定しなかった時に、私は台北市内の居酒屋で店長を務めていた時期がある。この時にいつも頭を悩ませていたのが、スタッフのやりくりであった。アルバイトはもちろん、正社員であっても1年も経たずに、場合によっては3か月、最短で2週間で辞めてしまうことも多々あった。私のスタッフ管理の能力に問題が無かったとは言わない。ただ、同業の方々に話を聞いても、どこもだいたい同じような状況であることがわかった。スタッフ側から見れば、トライ・アンド・エラーの精神を大いに発揮し、自分に合わないと思ったり、少しでも給与が良いところを見つけたりすれば、何の迷いもなく職場を後にするのは当たり前のことなのだ。したがって、経営側からすれば、こうしたことを前提に人事計画、仕事のやりくりは考えていかなければならないのだ。
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以前出会った知人にこんな人がいた。 最初に会った時には、玉や水晶の装飾品を売っていた。半年後に再会した時には、定食屋を始め、食事時には満員となるような人気店となった。にも関わらず、その人は1年も経たずに店を畳んでしまった。理由を聞くと、ただ一言「疲れた」とのことだった。台湾では「石の上にも三年」ということわざは無いのだろうか?いや、そんなことはない。「十年磨一剣」という言葉もある。もちろん、その道を極めた職人肌の方もいる。しかし、台湾社会全体を見れば、多くの起業家たちが、今日もトライ・アンド・エラーを繰り返しながら、前に向かって進んでいる。
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蘇芮(ジュリー・スー)さんが歌で『跟著感覺走(心の赴くままに)』をOA。今日は私にとっての懐かしの台湾ポップスを中心にお届けしたい。
<第2セクション【「意外と複雑な混成文化社会」:台湾社会の多様性】>
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台湾社会の二つ目の大きな特徴は多様性である。台湾は九州を一回り小さくした島だが、文化の混成具合は思ったより複雑だ。私のライフワークの一つでもある「混成文化論」に基づいて台湾文化を考察していくことがある。「混成文化論」は文化人類学者の青木保さんが提唱した「全ての隣接する文化どうしはお互いに干渉し、衝突し、融和を繰り返して混成する」という考え方だ。この考えに基づいて青木教授が日本の文化の混成について分析したところ、①古代神道に代表される日本固有の文化、②圧倒的な中国大陸からの文明、③近代以降に入った西欧文化の三つの要素に集約され、それが程よく混ざったのが現在の日本文化であるとのことだ。
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これに対し、台湾は①400年前に福建の閩南地方を中心に入って来た、媽祖信仰に代表される古代から中世の中国南方文化と、②戦後蒋介石と共に入って来た、台湾の「国語」が「北京語」であることに代表されるような、現代中国文化という時代的に非連続の大きな二種類の中華系文化が存在する。そこに③台湾に土着化した閩南文化、④同じく台湾に土着化した客家文化、⑤この土地に最初から暮らす原住民文化、⑥50年間の統治を通じて残された日本文化と戦後に移入されたアメリカ文化、⑦既に人口の2%を占めるようになった東南アジア諸国等出身の新移民の文化が複雑に混じり合った文化というのが私の持論だ。
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これと似たような考え方で、かつては4つの「族群(エスニック・グループ)」で台湾社会を語られることが多かった。すなわち、原住民、閩南系本省人、客家系本省人、外省人である。しかし、時代が進むにつれ、族群間の通婚が進み、近年では「土生土長(台湾生まれ台湾育ち)」という共通認識が醸成されつつあり、以前ほどエスニックグループの概念を使っての社会構造の分析は意味を持たなくなって来た。もちろん、族群間の対立が完全に消えたわけではない。ただ、台湾の水を飲み、台湾の米を食べ、台湾で暮らしている、それだけで良いではないかという緩やかなコンセンサスが、この30年間で確実に根付いたことが、台湾社会の最も大きな変化であろう。
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台湾はLGBTQや原住民、私たち外国人等、少数者・社会的弱者に対しても、関心を寄せてくれる。国際的にもかなり成熟した多言語・多文化社会だ。今年の8月以降、台北メトロの車内放送は、台湾華語、英語、日本語、韓国語、台湾語、客家語の6言語となった。改めて台湾の多様性に気付かされる瞬間だ。
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ここで葉倩文(サリー・イェー)さんの歌った『瀟灑走一回(カッコよく行こうぜ)』をOA。
<第3セクション【「最も美しい光景は人」:台湾社会の受容性】>
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台湾社会の三つ目の特色は、その受容性、寛容性にある。先ほど話した多様性を認める際に最も大切なことは、他者や多文化を受け入れようとする姿勢である。台湾の人たちが外来のものを受け入れることに長けているのは、その歴史と関係していると言われる。この土地の支配者は、オランダやスペイン、明末の鄭成功とその子孫、清朝、日本と目まぐるしく変わった。異論もあるだろうが、戦後も立場や見方によっては、中華民国という国家の枠組みの支配を受けているとも言える。戦前の国語が日本語であったのに対し、戦後の国語が北京語に切り替わったのは、その象徴的な出来事だったと言える。
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しかし、それが基盤となって、台湾は受容性の高い社会として成熟していった。「台湾の最も美しい風景は人」であるということは、多くの外国人が述べて来たことだ。「雞婆」という言葉に代表されるように、少しお節介なところもあるけれど、周りの人に関心を持ち、人情味の豊かなこの社会にほだされてしまう外国人は多い。もちろん、私もその一人である。
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私は自分の著書を通じて、台湾に根を下ろした日本人、外国人というのは、結局のところ、台湾社会のこの三大特色である「機動性」「多様性」「受容性」を自らの人生に内在化した人たちなのだろうと思う。そして、外国人である私たちが台湾社会に還元できることがあるとすれば、外国人の視点を通して捉えた台湾の自然や人の美しさを、それぞれの得意とする分野で、私の場合は文字や音声や音楽や芝居を通じて、台湾の人々に再発見してもらうことなのではないかと思う。今日もこの土地で暮らせるご縁とご恩に感謝しつつ。
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最後に台湾原住民パイワン族ののデュオグループ「動力火車(パワー・ステーション)」さんの『彩虹』をお聴きいただきながらお別れ。
Rti 台湾国際放送
Rti 台湾国際放送 
