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馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」)台湾「原住民」音楽家名鑑①:桑普伊、舒米恩、以莉・高露 - 2023-03-26

  • 26 March, 2023
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<第1セクション【プユマの歌王「桑布伊Sangpuy」との出会い】>

  • 私が最初に「台湾原住民」のミュージシャンと知り合ったのは、現在の日本台湾交流協会台北事務所に赴任したばかりの2007年の6月のこと。台北の「女巫店(Wich House)」で行われたプユマ族の桑布伊(Sangpuy)さんのライブを見に行ったことがきっかけ。桑布伊さんは台東の著名な温泉地知本の卡大地布(Katratripulr)集落出身で、当時は漢名(漢人風の名前)の盧皆興と名乗っていた。
  • 桑布伊さんのプユマ族の民謡を中心に構成された弾き語りのステージは、素朴で力強く、魂の奥底から発せられたその歌声に終始圧倒され、震撼させられた。ステージ終了後に桑布伊さんから「来月、7月15日に自分の集落で『豊年祭』があるから観に来ないか」と誘われ、現地に赴くことに。
  • 豊年祭の準備が忙しい中、桑布伊さんは宿の確保や豊年祭への行事の見学、集落全体の宴会への参加の手配までしてくれた。豊年祭の会場となった卡大地布(Katratripulr)集落の中心の広場では、神聖な祭事とそれに伴う歌や踊りの他にも、相撲大会やマラソン大会まで用意され、見るもの全てが新鮮だった。集落のリーダーの「頭目」と日本語で交流をしたのも大変印象的だった。
  • 実はこの頃、「台湾原住民」のほとんどの集落は、都市部に若者が流出し、過疎化が急激に進んでいる状況。また、若い世代は自分たちの第一言語であるはずの「族語(民族の言葉)」を自由に話せる人も限られていた。この豊年祭が数少ない自分たちの文化を継承する機会であり、ふだんは都市で暮らしている若者もこの行事に参加するために、休みを取って故郷に。
  • 桑布伊さんもこの頃は漢名(漢人風の名前)の盧皆興として生活。台湾の「原住民」は戦後長らく漢名を強制されて来たが、長い「族名復振」運動の末に、1995年に台湾政府が「姓名条例」を制定し、伝統的な民族名を漢字で名乗ることに道が開かれた。2000年にはローマ字表記も認められ、2010年前後からは、著名人の多くが雪崩を打ったように漢名を捨て、民族名を名乗るように。2008年から母語のプユマ語で創作するようになっていた桑布伊さんが、漢名から民族名の桑布伊として活動するようになった時期もこの頃。
  • その後、彼は2013年にプユマ語のアルバム『路dalan』で台湾「金曲奨」の最優秀原住民語アルバム賞を獲得すると、2017年に発表したアルバム『椏幹Yaangad』(=生命)では年間最優秀アルバム賞、最優秀原住民語歌手賞、最優秀歌唱曲録音賞の三冠に輝き、2021年に『得力量pulu’em』では、年間最優秀アルバム賞、最優秀原住民語歌手賞を獲得、すっかり金曲奨の常連に。
  • 桑布伊さんのアルバム『得力量pulu’em』から「擁抱 maava」をOA。

 

<第2セクション【故郷都蘭でアミス音楽祭を主催する「舒米恩Suming」】>

  • 次に紹介するのは台東の都蘭出身のアミ族のシンガーソングライター舒米恩。舒米恩さんとの出会いも、ちょうど桑布伊さんと同じ頃、2007年6月くらい。出会った場所も同じライブハウスの「女巫店(Wich House)」。舒米恩さんのスタージは、MCで冗談を交えお客さんを何度も笑わせて、とにかく軽快で明るい。2007年に出会った当時は、彼も漢名で姜聖民と名乗っていた。
  • 舒米恩さんはルカイ族の陳世川Gelresaiとのデュオバンド艾可菊斯Echo G.S.や5人組のバンド圖騰Totemでの活動も。2011年にソロアルバム『Suming』で金曲奨の最優秀原住民語アルバム賞を受賞すると、その後もアルバムを発表するごとに金曲奨にノミネート。また、鄭有傑さんと勒嘎·舒米さんが共同監督を務めた2016年の映画『太陽的孩子』には、エンディング主題曲『不要放棄 Aka pisawad』を提供し、この曲が金曲奨の年間最優秀歌唱曲賞を受賞するなど、台湾を代表する音楽家の一人に。
  • そして、彼は2013年から現在は隔年のペースで故郷の台東都蘭で、私財を擲って『阿美斯音楽祭』を主催し、地元の地域振興や次世代への伝統文化の継承にも尽力。また俳優としても、多くの映画に出演していて、最初に出演した短編映画『跳格子』では、2008年の金馬奨の最優秀新人賞も獲得。
  • 舒米恩さんと私は2011年に、実は台北、台中、高雄で一緒に共同ツアーを実施したことがある。当時の私のバンドと舒米恩さんのバックバンドはリズムセクションが同じミュージシャンだったことから実現した企画。また、彼は311東日本大震災から2か月後の2011年5月に、宮城県気仙沼市の被災したお茶屋さんの家屋を使って被災民を勇気づけるためにコンサートを行った。ちょうど被災地でボランティア活動をしていた私も現場に駆け付けた。悲しみや絶望の中に一筋の光が差し込んだような暖かなコンサートで、被災民の多くの方々が感謝と感動で涙していたのを目にした。被災者の方々に諦めないでという力強いメッセージを発した彼が、その後映画『太陽的孩子』のエンディング主題曲『不要放棄 Aka pisawad』を作ったのも、決して偶然ではない。
  • ここで『太陽的孩子』のエンディング主題曲で、2016年金曲奨の年間最優秀歌唱曲賞ともなった『不要放棄 Aka pisawad』をOA。

 

<第3セクション【台東長濱での「半農半音楽」生活者「以莉・高露Ilid Kaolo」】>

  • 続いてご紹介するのは以莉・高露さんです。彼女の歌を最初に聴いたのは、桑布伊さん、舒米恩さんと出会ってから程なくしてのこと。彼女は花蓮県の鳳林出身のアミ族のシンガーソングライターだが、7歳の時から台北で生活し、当時は「小美」と名乗っていた。インディーズバンドの登竜門であるライブハウス「河岸留言(Riverside Cafe)」での彼女のステージを聴きに行ったのが最初のご縁。実力派で透き通った力強い歌声に聴き惚れた。
  • 「河岸留言(Riverside Cafe)」は都市計画で建物が取り壊されることとなり、間も無く営業を停止するというニュースが流れていた。私も一時期は2か月に1回はここのステージで歌っていた。無常は仕方がないが、一抹の寂しさは感じざるを得ない。
  • 以莉・高露さん、出会った頃は、阿里山のツォウ族の音楽家で教員、警察官でもあり、1954年に白色テロで命を落とした高一生(日本時代は矢田一生、ウオグ・エ・ヤタウヨガナ)の遺した「鹿狩りの歌」「長春花(フロックスの花)」「春のさほ姫」などの日本語の曲をよく歌っていた。その後は徐々に創作にも力を入れ始め、2022年の金曲奨では華語のアルバム『尋找你』が最優秀華語女性歌手賞にノミネート。
  • 2015年からは家族と台東長濱鄉に移住して、農業を営む傍ら音楽の創作活動を続ける、いわば「半農半音楽」の生活に。公益活動にも熱心な以莉・高露さん。ここ数年は日本でも度々イベントに参加したり、コンサートを行ったりしている。
  • 本日は今月の歌は休みにし、以莉・高露さんのアルバム『尋找你』からアルバムタイトル曲『尋找你Longing』をOA。

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