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馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」) - 2023-03-12-東日本大震災から12年後に思うこと

  • 12 March, 2023
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馬場克樹の「とっても台湾」(爸爸桑的「非常台灣」)
震災一年後の気仙沼岩井崎の登り龍(馬場克樹撮影)
  • 昨日は311東日本大震災からちょうど12年目。あの時、私はマンションの2階の一室にある東京の映画製作会社で打ち合わせ中だった。日本時間の2時46分、最初の大きな揺れが来た。それはかつて体験したことのないくらいの大きく長い揺れだった。棚の上から書類や調度品類、食器などが落ち始め、その場にいた映画製作会社のスタッフの皆さんとともに、階段を降りて外に避難した。外に出ると、いったん揺れが収まったかに見えたが、続いて2回目の強烈な揺れがやって来た。道路に立っているのもやっとで、電信柱がグワングワンと音を立てながら、隣の建物の壁に今にもぶつかりそうだった。
  • 1分以上続いた長い揺れが収まってから、私たちは会社のオフィスに戻りった。オフィスの床は先ほど落ちた書類や調度品が散乱し、割れているカップや皿もあった。その場にいたスタッフがテレビを付けると、緊急地震速報を流しているところだった。震源が宮城県沖でマグニチュードが8(後に9.2に訂正)の大地震であることを知り、埼玉県の両親、宮城県の仙台市に住む祖母や叔父や叔母、いとこの安否を確認しようと電話をかけようとしたが、何回か掛けても繋がらず。仕方なく、SNSを通じてこちらの無事と相手方の安否確認のメッセージを送り続けた。
  • すると、テレビの画面に大きな水の塊が川を遡り、堤防を越えて溢れ出し、田畑や家々や道ゆく車や人を次々と飲み込んでいく場面が映し出された。巨大な津波だった。まるでCGで作られた映画のように非現実的な光景に、恐怖というよりも、唖然とするしかなかった。それからのことは皆さんご存知の通り。最終的にこの津波で東北や関東の沿岸部を中心に2万人もの人が帰らぬ人となった。
  • この日は首都圏も電車が停まり、埼玉県の自宅に戻ることができず、この日初めて会ったばかりのプロデューサーのお宅で一夜を明かすことに。電話は相変わらず繋がらなかったが、仙台のいとこから親戚筋は皆無事であることだけはSNS経由で連絡があった。台湾のたくさんの友人たちからも、私自身の安否を確認するメッセージが届き、夜中までかかて一つ一つ返信したのを覚えている。
  • 私は仙台市で生まれ。今回の地震は全くの人ごとではなかった。震災の日から2週間後には車に支援物資を積んで、東北自動車道を仙台に向かって走った。途中福島からは道路が凹凸の場所もあり、自衛隊の救援隊が列を作って被災地に向かっていた。被災地に入った。仙台港付近にあった叔父の会社も津波で流され、辺りは建築物や車などの残骸、瓦礫の山でめちゃくちゃな状況。従業員の方一人も亡くなったと現場で叔父から聞きいた。東北で生まれた自分は目の前の光景に震撼し、何かをしなければと思った。
  • 洪一峰さんの名曲中の名曲『思慕的人』を、黃乙玲さんの台湾語のバージョンでOA。

 

<第2セクション【復興支援メディア隊での活動】>

  • 東京に帰ってから「復興支援メディア隊」というボランティア組織に加入。ちょうどこの年の4月から1年間、秋田県観光課で映像コンテンツを製作して、秋田の観光振興のお手伝いをすることになっていた私は、日本海側の秋田を拠点にして、太平洋側の被災地、釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼、石巻などの都市を中心に、大きなメディアでは取り上げられない被災者の本音、隠れた物語を拾い上げて映像コンテンツを作り、YouTubeなどで発信する作業の現場での指揮を執っていた。
  • また子どもたちにカメラを渡して自分たちの故郷の復興の様子をカメラに収め、写真パネルにし、その展覧会を全国各地で開いた。被災地が力強く立ち直っていく様子を捉えた写真展は各地で反響を呼び、台湾やオーストラリア等海外でも開催された。「絶望に向かい希望を拾う」が私たちの合言葉。また、台湾の音楽家を招いて被災者を励ますプロジェクトも手掛けた。こうした活動が衛星放送のテレビ局のBS12(トゥエルビ)のプロデューサーの目に留まり、私たちの小さな映像コンテンツは「未来への教科書」というタイトルで、2012年にテレビの連続ドキュメンタリー番組となった。この番組は2016年まで5年間続いた。
  • このほか、台湾の「民視」フォルモサ・テレビ局や台湾芸術大学映画学科の学生の被災地でのドキュメンタリー映像制作にも、私は企画・コーディネーター、現地での案内人、現場の通訳、クルーを運ぶ車の運転手としてサポートし、時には自ら取材に応じることもあった。フォルモサ・テレビの映像は2012年にドキュメンタリー報道番組『異言堂』で「未来への一通の手紙」というタイトルで放送され、シンガポールのアジアテレビ大賞批評家賞を受賞。
  • 『異言堂』「未来への一通の手紙」: https://www.youtube.com/watch?v=gpzMPEFn5RI (参考映像)
  • また、台湾芸術大学の製作したドキュメンタリー短編映画は『未来への元気』というタイトルで福島の『須賀川国際ドキュメンタリー映画祭』で上映された。この映画には「タンポポの小さな祈り」という私のオリジナル曲をテーマソングとして提供。後日譚だが、この時カメラを回していた撮影監督でマレーシア出身の廖克發さんはその後映画監督となり、昨年彼の作品に私が出演する形で10年ぶりに再会を果たした。
  • 私のオリジナル曲(作詞:村川恵美、作曲:馬場克樹)で、『タンポポの小さな祈り』を2009年輔仁大学でのライブバージョンでOA。

 

<第3セクション【台湾からの200億円もの義援金、『アリガト謝謝』】>

  • 震災後、台湾から200億円を超える義援金が日本に贈られたことは、リスナーの皆さんの記憶にも深く刻まれていることと思う。震災は大変辛い経験だったが、その一方で日本の多くの人々にとっては、台湾に関心を持ち、台湾を知るきっかけとなった。台湾と日本の人々の双方向での交流が大きく花開き、分水嶺となったのも、奇しくも東日本大震災だった。
  • この200億円もの義援金がどのように集まったのか、そしてその義援金には台湾の皆さんのどのような思いが詰まっていたのか、その様々なストーリーを束ねた小説が日本の講談社から、震災から6年後の2017年3月に出版された。台湾在住40年の作家・木下諄一さんの小説『アリガト謝謝』。この小説は日本では2万冊以上のセールスを記録したと仄聞。また、この小説の台湾華語(中国語繁体字)版も昨年3月に台湾の時報出版社から『阿里阿多·謝謝』として出版。台湾と日本は台風と地震という共通の自然災害を抱え、阪神淡路大震災や台湾中部大地震、88水害など、大きな自然災害が起こった時には、これまでもお互いに救援隊や救援物資を送り、お互いに関心を寄せ、支え合ってきた。これからも雨の日も晴れの日も、お互いに支え合う台日関係を発展させていけたらよい。
  • 今月の歌は『桜いろの夢』。この曲はピアニストの黄裕翔さんと私の共同作曲で、私が作詞。2011年に震災の後、2か月後に東北(秋田県角館)の桜を見て書いた。土岐千尋さんの歌で『桜いろの夢』をOA。

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