台湾国際放送のリスナーの皆様はご存知のことと思いますが、台湾は面積こそ日本の九州程の大きさながら、多様な文化が入り混じっています。
また、歴史を切り口に説明しますと、もともと台湾には台湾原住民族の人々が暮らしていましたが、その後、オランダやスペイン、鄭成功とその子孫、清朝、日本、そして戦後の国民政府と、様々な国、政府、有力者が治め、それと共に様々な人達が台湾に移り住み、各種の文化が入り混じって、多様な社会を築いてきました。
こうした台湾の多様な歴史、文化、そして社会の様子は、様々な点から伺い知ることができますが、その一つが地名の変遷です。
さきごろ、最大野党、国民党のある立法委員が、国民党の韓国瑜・高雄市長が罷免されたことを受け、自身のフェイスブックに、南部最大の都市、高雄、カオションの地名について、およそ100年前の日本統治時代、日本人が、この街が、より高く、より雄々(おお)しくなることを希望して高雄と名付けたと記しました。そして、与党・民進党籍の市長が高雄市長を務めた20年間、高雄市は衰退、若者も、外国人もこの街を去ってしまった、と与党批判を行いました。
この立法委員の書き込みについてその内容以上に議論になったのは、日本が、より高く、より雄々(おお)しくなることを希望して高雄という都市の名前をつけた、という部分でした。後ほどご説明しますが、実はこの立法委員認識は誤りなんです。そして、この一件を受け、台湾の教育行政を司る教育部がフェイスブックに、日本と関わり、縁のある、台湾各地の地名を紹介しました。
本日の「ようこそT-ROOMへ」では、教育部がフェイスブックでとりあげた、これらの台湾の地名のうち、一部をご紹介いたしましょう。
まずは、冒頭でご紹介した高雄についてです。もともと、この土地は、現在の高雄市及び最南端の屏東県のあたりで暮らしていた台湾原住民族のマカタオ族により、「Tan-kau」と呼ばれていました。そして、漢字では、「打撃」の「打」、「打つ」、そして動物の「犬」を意味する字、けものへんに俳句の句という当て字が使われていました。しかし、日本統治時代の1920年、台湾総督府はそれまでの行政区分を見直し、「廃藩置県」ならぬ「廃庁置州」、それまでの庁を減らし、州を置き、台湾全域で12庁であったものの、5州2庁に改めました。この行政区分見直しの中、犬を叩くという字面はふさわしくないという考えから、京都の奥座敷として知られる「高雄」と同じ字を充てたのです。そして、この高雄という地名は、戦後、国民政府が台湾にやってきて以降、標準中国語で「高1雄2」と呼ばれています。
どんどん、ご紹介していきましょう。北部の台北市、空港やナイトマーケットで知られる松山は、もともとは、金へんに容易のい、錫という字に口と書き、台湾最大の方言、台湾語で「Sek-kháu」と読んでいました。この地名は、元々、この地に住んでいた原住民族、バサイ族の言葉で、河が曲がりくねった場所という意味の「Malysyakkaw」という地名に漢字を充て、台湾語で読んでいたものです。
その後、1920年の行政区分見直しの際、担当の役人が、景色が愛媛県の松山市に似ていたことから、地名を松山に改めました。そして、戦後は標準中国語で「song1shan1」と呼ばれています。台北市と愛媛県松山市は2014年に友好交流協定を締結、両国の松山駅も交流を行っており、台湾鉄道松山駅前には、、2011年の東日本大震災に対する台湾の支援へのお礼として、松山市から寄贈されたからくり時計が設置されています。
台北市をドーナツのように取り囲む新北市、台湾の新幹線、台湾高速鉄道の駅もある板橋、ばんきょうは、元々は、木偏に方向のほうに、橋という字が使われ、日本語では、「ぼうきょう」と呼ばれていました。この字でも、木材の橋という意味ですので、意味は同じですね。今は埋め立てられてしまった河の支流に、木の橋が掛かっていたことが由来だそうです。その後、1920年に現在に板の橋の板橋に改められました。なお、真偽はわかりませんが、木偏に方向の方、橋では、音読みが「ぼうきょう」、つまり、望郷の念の「ぼうきょう」と同じとなり、本土からやってきた人たちの士気に影響すると考え、東京の板橋と同じ漢字、読み方に改められた、という説もあります。現在は標準中国語で「ban3qiao2」と呼んでいます。
北部、新竹県の関西(guanxi、かんさい)は、関西地方の関西と書きます。このエリアは、台湾第2のエスニックグループ客家の人々が多く、客家語で「ham coi pin」と呼ばれていましたが、このうち、野菜の塩漬けを指す「ham coi」の音が、日本語の「関西」の音に似ていることから、この地名となりました。標準中国語では「關1西1」と読みます。
中南部嘉義県の民雄、min2xiong2、人民の民、雄大の雄と書く民雄(たみお)は、もともと、原住民族のホアンヤ族により「Ta neaw」と呼ばれており、その後、台湾語で「打撃の打、打つに、動物の猫」という漢字の当て字が使われていました。その後、この音に似ている、日本語の「民雄」に改められました。
現在、マンゴーの一大産地として知られる南部、台南市の玉井は、かつて、この地域に暮らしていたタイボアン族の人たちがtapaniと呼んでいました。その後、このtapaniという地名が、日本語の玉井、玉山の玉、井戸の井と書く玉井に音が似ているということで、玉井に改められました。標準中国語では「yu4Jing3」と読みます。
このほかにも、中部、台中市、日本語読みでは清水、清らかな水と書き、標準中国語ではqing1shui3と読む清水、中部の内陸県、日本語読みでは竹山、植物の竹に山と書き、竹2山1と読む竹山、東部の花蓮県、瑞穂の国の瑞穂と書き、標準中国語では瑞 4穗4と読む瑞穂、そして、南東部の台東県、日本語読みでは鹿野、動物の鹿、野原の野と書き、標準中国語では鹿4野3と書く、鹿野など、日本統治時代に日本人により日本風の地名に改められ、戦後、中華民国となった以降も、その地名をそのまま標準中国語読みしている地名は各地にあります。
日本にも、主に北海道、そして東北地方の一部には、先住民族であるアイヌの地名に、漢字を充てた地名が多くありますが、台湾のこうした地名は、原住民族の地名に、中国大陸から渡ってきた人々が台湾語や客家語の読み方で漢字を充て、さらに日本人がより日本風の地名に改めています。もちろん、戦後に、再度、中華民国政府によって改められた地名もたくさんあります。こうした地名の変遷からも、台湾の混沌とした歴史が見えてきて興味深いですね。
Rti 台湾国際放送
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